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十二

 バリケードを過ぎていくらも進まないところで舗装された道路はいきなり途切れた。


 今にも擦り切れそうな黄色と黒の縞のナイロン紐が木の枝と枝の間に張られており、赤いペンキで「キケン」と手書きで書かれた板がユラユラと揺れている。


 そのヒモの先には円形の空間があり、右側には長い間誰にも手入れされていないであろう壊れたベンチと山之内ダムの説明の書かれた古い看板が立っていた。「山之内展望台」と書かれている。左側は切り立った崖で崖下に山之内ダムが霧雨に透けて見えた。申し訳程度に柵が回してある。


 徹は下方に小さく見える管理搭周辺を見つけ、数年前に遠足で見学したことを思い出していた。学校から子どもの足でも歩いて一時間かからなかったはずだ。

 

 果たしてアナザーさんはその朽ち果てる寸前のベンチに座っていた。

 ロープの前でしばらく息を整えた徹は、意を決したようにロープをまたごうとする。


「くんな」


 アナザーさんは左手だけをわずかに上げて、徹を見ずに低く制止した。霧の雨が少し強くなる。


「ピーちゃん……ありがとうございます」


 徹が掠れた声で言うと、アナザーさんは下を向いて上がっていた左手で頭の後ろを掻くような撫でるような仕草をする。戸惑っているように徹の目には写った。


「ニワトリは食った。ニワトリってえのは食うもんだ」


 手をひざの上に下ろし前を向くと独り言のようにつぶやく。


「はい」


 徹が返事をするとアナザーさんは初めて気がついたように徹を見た。何を考えているのか、何も考えていないのか不思議な表情をしている。

 一時の間空を見上げると、徹など居ないかのように立ち上がってロープを跨ぎ走り去っていった。


 徹は雨の避けらそうな葉の茂った大きな木を探しての根元に座る。

 しばらくして気がついたようにモソモソとリュックを下ろすとおにぎりを出して食べた。食べ終わって時計を見る。


「十二時五分」


 ノートには時間が表になってびっしりと書き込まれている。何も書き込まれていない目的地とかかれた列に徹は時間を書き込んだ。


 その後、この奇妙な交流は徹が小学校を卒業するまで続いた。


 卒業間近には徹はアナザーさんと変わらない時間に展望台にたどり着くことができるようになっていた。初めて追いかけたときより頭一つ分以上背が高くなっている。抜かすことも可能だったのかもしれないが徹はそれをしようとは思わなかった。約15m、それが徹とアナザーさんの距離だった。

 ひと時を二人で展望台で過ごし、アナザーさんが先に出る。おにぎりを食べて徹が出る。いつも何も変わらなかった。


 アナザーさんはほとんど何もいわなかったが、時々何かぼそぼそと話すこともある。

 ある時、ダムを指差して「あの赤い屋根がおれのうちだ」というので、一度だけアナザーさんが走り去ったあとにロープをまたいでダムを見下ろしてみたが、屋根も赤いものすら見えなかった。

 徹もほとんど何も話さなかった。



「明日から中学校です」


 中学の入学式を控えた日、いつものようにアナザーさんはベンチに座り徹はロープの前に立っていた。アナザーさんは相変わらずの表情でダムを見つめている。ここ数日寒さが戻っており、今日もかなり肌寒かった。アナザーさんは相変わらず表情も変えず何も言わなかった。


「陸上部に入ります」


 かまわず徹は続ける。少しの間のあとアナザーさんはいつかのように左手で頭の後ろを撫でる。そして空を見上げた。


「神さんがしなさるんだなあ」


 ゆっくりと呟くとアナザーさんは長い間空を見上げていた。

 徹もつられて空を見上げた。薄い雲の間からところどころ光の帯が降りてダムの水面をスポットライトのように照らしていた。


 おもむろに立ち上がるとロープを跨ぐ。

 徹は何か伝えたいが言葉が見つからないという様子で目を伏せる。


「いきてるとな……」


 アナザーさんは言いながら徹の前を通り過ぎて立ち止まった。


「もうくんな」


 振り向かずに言って、いつもと変わらぬ様子で走り去った。

 徹もいつもと同じアナザーさんの背中をいつもと同じく見送った。




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