おいでませゾンビの国へ
ありふれた題材は大概にして有名作品の中にある。例えば人類が絶滅する、例えばゾンビが街を闊歩する。これだけの情報で誰もが知っている映画や小説の作品名をあげられる人は多くいるものだ。あちこちで似たような作品があるせいで食傷気味だという人がいるのもわかっている。けれどだ。自分の状況を事細かに説明するのが面倒くさいときはテンプレって偉大だ。
世界の現状をこの偉大なテンプレートで簡単に説明しよう。世界、ゾンビパニック。人類は、絶滅寸前。
次いで私の現状、ゾンビ。なんでゾンビがこんなに話が出来るかってところなんだけども、これもテンプレの共食いすればなんか賢くなるって奴である。
本当に人類がゾンビに圧倒された数ヶ月は地獄のような毎日だったのだけれども、ここまで思考が回復するまでも長かったのだけれども、事細かに話さなくとも偉大なテンプレ様のおかげでこのとおりです。本当にありがとうございます。
しかしながら、偉大なテンプレ様はゾンビが世界で増殖した後のことはあまり定まっていない。俺たちの戦いはこれからだという人類生存エンドは多いが我々増えてしまったゾンビはどうなるのか。というか今どうなっているのか。そこをお話したいと思う。
最初の思考するゾンビは誰だったのかは知らない。私にも経験があることだが、私たちゾンビはごはんを食べたら仲間が増えていたというところから思考回路が復活してくる。おなかがすいた、おなかがすいた、ごはんごはん、あれ、これ、ごはんじゃなくなってね?という流れである。ゾンビに噛まれたら即ゾンビになるわけではないのだが、人類の数が減りごはん争奪戦がおき始めた頃には、私たちのように身体能力が強くもない女・子どものゾンビちゃんたちはどうしても他人の食べ残しを糧にしていたためにこんなことが起きてしまうのだ。マッチョゾンビどもが温かいごはんを食べる中で賢くなる貧弱ゾンビ。温かいごはんのために頭を使っているうちになんだかもっと頭のいいゾンビが現れた。
思考回復をしはじめているゾンビコミュニティの中で一際頭のよくなったゾンビは他のゾンビを観察していた。そしてどういった基準だったのかはわからないが数人選び他のゾンビを無理やり食べさせたのだった。それは何度も繰り返される。温かい人間がほしくてほしくてたまらないのに何が悲しくて、なりかけどころか完璧なゾンビを食らわなければならないのか。抵抗しまくったが今ならわかる。思考回復をさせるために選別をして薬を処方するようなものだったのだ。
こうした人間性を賢いゾンビが管理して取り戻していく現象は何も私のいるところだけではなかった。日本中でこういうゾンビコミュニティは出来上がって行く。人類は毎日減っているがゾンビはゆるやかに社会を形成した。そして気付いたらゾンビたちは学校に通い、仕事にいく。そりゃあ資源も規模もゾンビパニック前ほどではないが日常というものがいつのまにか帰ってきたのだ。
結構初期の段階でゾンビになってしまったけれどもこんなに普通になるのであれば抗わずにみんなでゾンビになってしまえば世界は平和だったのかもしれないとすら思う。あんまりにも沢山引き連れて逃げたりしてしまった人たちや、最後のほうまで孤軍奮闘した人たちは狙われすぎてゾンビになるまもなく食い尽くされてしまった。もう早いところで諦めてゾンビに抱きついたようなあほな私がいきてというか人生を取り戻しているのに。
さてそんな社会を再生中の話は実のところ日本だけらしい。まぁ映画のように広大で幾らでも逃げながら銃ブッパな国ではゾンビが固まっていれば未だにキャンプファイヤー会場になるのだろうなというのは想像できる。ゾンビが知性を持ち合わせ始めたと言っても多分そんなお話すら聞いてくれないのであろう。イルカは知能が高いから殺すなといっていた国でもゾンビ政府はいまだ樹立していないのだから。
こうした他国の現状は知性の高いゾンビたちがこれもまた知性の高い他国のゾンビたちと連絡をとっているからわかっている。日本の賢いゾンビたちは賢くなるにつれて文明再建の希望とともにひとつの恐怖をもつ。それは他国から軍隊がきたり核を落とされたりする恐怖である。そういうわけで賢いゾンビたちは様々なジャンルの技師ゾンビを優先的に復活させて電気とインターネット、無線にラジオと通信機器を次々に復旧増産させて常に情報交換を行っている。
ゾンビ政府の優秀さを示すにはもうひとつ功績がある。国内の人類との和解だ。思考能力があがったため人間を食べたいとは思うが自制しなければならないという考えが生まれた。理由は簡単でごはんが絶滅したら困るといったところ。ただ復活している思考回路が食べたいなんかいっちゃダメだよねと働いてそれぞれ譲歩が出来たためなんやかんやでうまいこと和解となった。内容は定期的に肉を削ってわけておくれとゾンビが言い、どうせ俺たちも死んだらゾンビだよねそのときは思考回復させてもらってもいいかなとお互いの血肉を交換するという不思議な等価交換である。人数対比でいうと等価ではなく感じるかもしれないが生きていれば回復するし成長する。ゾンビだって生きるためには仕方ないと人類が減ってから獣の肉を以前のように摂取して保持している。最近はあまり食べなくても大丈夫という触れ込みで肉体のシリコンカバーなんかも売っていたりもする。徐々に増えていってくれればいい。でないとゾンビだって子どもを産むわけではないから人口問題雇用問題とややこしさは雪だるま式でふえてしまうのだから。
かいつまんで話をしてきたがまるっとひっくるめると、日常あんまり変化なし。私はゾンビで、世界は色々で、でもこの国は平和である。「その暢気な思考が一番未来を明るくしてくれる」と、私に無理やりゾンビ肉を食べさせた男性ゾンビが私の頭を静かに撫でた。あ、そこ防腐剤切れてるから皮膚単位ではげるかも。