メイさん混乱
精霊というものは人間のプライバシーなんて考えないのだろうか。
今日は何だか精神的に疲れたので、もう休もうと思って寮の自分の部屋に帰ってきた。
扉を開けてびっくりだ。いきなり目に飛び込んできたのは、さっき「もう帰ります」と言って帰ったはずのエル。エルは私のベットに彫刻のように座していた。少ししか見ていないが、迂闊にも綺麗などと思ってしまった。
いきなりエルが居るとは思わず、部屋を間違えたと思い扉に貼ってある自分のネームプレートを見て確認してしまった。……何かのコントみたいだ。
再び扉を開けると、待ってましたとばかりに笑顔でエルが両手を広げて出迎えている。「おかえりなさい」と言いながら。
とりあえず「ただいま」と言った方がいいのか、それとも何で私の部屋に居るのか聞いた方がいいんだろうか。それともさっきのオルガの事を話した方がいいんだろうか。「アンタが魔道具をおもちゃ扱いしたからトンでもない目に遭ったわよ」って……。それともその両手を広げていることを……それとも……ああ、突っ込みどころ多すぎ! ムカムカしてきた。
―――フゥ、と息をつき、とりあえず気を落ち着ける。
「―――タダイマ」
もの凄く棒読みで不機嫌オーラを滲ませながら帰宅の挨拶をすると、エルの広げていた両手を横目にすり抜け勉強机の椅子に座る。きっと今の私は眉間に深い皺が寄っているだろう。
「ふふふ。大変でしたね。―――こんなに冷えて」
エルがギュッと後ろから抱き締める。エルの持つ独特の甘い香りと体温が伝わってくる。
……ああ、温かい。
さっきのオルガのブリザードのお陰で、もの凄く冷え切っているのだ。今はこのセクハラまがいの行為も許せてしまえそう。
いや、まてまて。そもそもの原因はコイツの要らない一言だった気が……。
「―――そうだった!! 」
バッと立ち上がり、後ろに居たエルの胸倉を掴み引き寄せる。
「私がこぉーーんなに冷え切ってるのはアンタの要らない一言のせいなんだからね!! どうせまた、どこからか見てたんでしょ? お陰であの部屋はぐちゃぐちゃじゃない! どうしてくれるのよっ。責任を取りなさいよ!! 」
エルの胸倉を掴み私の目線まで引き寄せ、ブンブン振り回しながら睨み見る。
エルは揺らされながらもニコニコ笑っている。……何故かとても楽しそうだ。
「あの少年は年齢の割に潜在魔力が強いみたいですね。だからあんなおもちゃのような魔道具で、まあまあ高等の精霊を読めたんですよ。おもちゃに魔力を大量に入れ込み道具にするだなんて、彼だからこそ出来たことです。それにしても、感情によっては魔力が暴走するだなんて残念ですね。……しかし、惜しかったですね。私の名前が判らなくて。」
「それをきちんとオルガに言ってあげてたらこんな事態になってないでしょうがっ!! お陰でけがさせちゃったわよ! 」
「――ブッ……フッフフフ」
オルガを殴って気絶させた時の事を思い出したのか、エルは襟首を掴まれて振られながらも笑いだした。
私は魔力はあるけれど、なぜか魔法が使えない。この学院で魔法が使えないのは私くらいなものだ。魔法が使えたらオルガが暴走した時に殴って気絶させるんじゃなく、魔法でとめてあげれたのに。―――それなのに……!
「笑うだなんて酷いっ! こっちは魔法が使えないから必死だったのよ! 殴った時は死んじゃったって一瞬思って怖かったんだからっ」
エルの襟首を掴み、睨みながらも眼がぼやける感覚に耐える。瞬きをすれば眼にたまった涙が流れ落ちそうだ。コイツの前で泣いてなるものか。
「―――メイさん……。笑ってしまってすみません」
エルが少し困ったような顔をして両手で私の頬を優しく包み、瞳にたまって今にも零れ落ちそうな涙を唇がすくい取る。何かの誓いをするみたいにゆっくりと両方の瞳にエルの唇が触れる。きっと一瞬の行為だったはずなのに時間がゆっくりと流れているような感じがする。近くで見るエルの黒い双眸にハッと我に返るとなおも近づいてくるエルの唇を手で押さえる。
「―――っ。今、何をしようとしたの? 」
じっと警戒心をあらわにした私を見て、少し色気を含んだ艶のある笑いを見せる。私の頬を包んでいた手を離し、エルは自分の口を押さえている手を握りとり私の手のひらに口づけると再び顔が迫ってきた。
「何って……、泣いているお嫁さんを慰めるくちづ――― 」
エルが全部言い終わる前に足を思いっきり踏みつける。ダンッと音を出しながら。今日は靴底が固いのをはいているからさぞや痛いだろう。雰囲気にただ飲まれる私ではないのだ。
結構痛かったのだろう。若干顔が引きつっている気がする。
「痛っ! メイさん酷いです! ……ああ、痛くて足が動きません。もうそろそろお暇しようと思っていたんですが、足が痛いので今日はこちらに泊ってもいいですか? 」
「誰が嫁だ! 魔法でも使って痛みを消して、お早くお帰りください。」
「うう……。メイさんの事なんですがね……」
足を痛がるエルを横目に、机の棚からこの間図書館で借りてきた精霊図鑑を取り出す。本を読んでいるふりをして少し考えてみる。
どうしていきなりこの部屋に居たのか気になるが、なぜ『嫁』!まだ賭けには負けてないのに!!
絶対にコイツを使役してやる!
この図鑑にエルのことが載っていないだろうか。
図鑑の最初のページにはピラミッド型の精霊の組織図が描かれている。精霊は大まかに見て四層構造になっていて、一番下の数が多いのは下級精霊、下から二番目が中級精霊、下から三番目が上級精霊、一番上がそれぞれの属性を束ねる精霊王となっている。
精霊使いを目指すなら誰でも知っている基本の構造を頭に浮かべ、チラッとエルを見てみる。
もう足が痛くないのか、机の傍にあるベットに座りニコニコとこちらを見ている。そうだ、帰れと言っても帰るヤツじゃないんだ。
「メイさんはそんなに私の事が知りたいんですね。……本当は私の事を知っているはずなのに。人間は面白いですね、頭の奥底に自分が欲しいはずの記憶を眠らせておくことができるだなんて」
(えっ!? ええええ?? )
「……今、なんて? 」
思いっきり眼を見開きエルを見る。
ニコニコと笑っているその口から紡がれた言葉が真実なのかいささか疑問だが、その言葉が真実なら私はエルの名前を知っていることになる。
エルはニイ、と妖しく微笑み私を見た。
「メイさんは私の名を……私の事をすべて知っていますよ。―――忘れてますけど」