新しい王
エンジュ視点の番外編です。
番外編の掲載にあたり、完結設定を外して連載に戻させていただきました。
今から五十年程前の事でしょうか。
私が次期精霊王候補に挙がり、一位精霊王のエアリエル様の従者になったのは。
あの時はとても嬉しかったですよ。
……エアリエル様がどんな方なのか知る前でしたからね。
我が主は、城に勤める重鎮達から「長い時間玉座を守り、この精霊界を統べている尊いお方」と聞き及んでいましたから。私の耳に入る噂も「どのような戯言も聞き流し、下々のくだらない話でさえ黙々と聞きとっている」など、彼の君は尊敬に値する方だと知らしめていましたし。
……まあ、実際に会って長く接するうちに、エアリエル様がそんな素晴らしい方だとは思えなくなりましたがね。
噂は、あくまで噂に過ぎない。
誰があんな噂を流したのか知りませんが、我が君は周りに興味が無いのか、誰の話も聞いていなかっただけ。……ただ単に、惰眠をむさぼっていただけの事。エアリエル様は瞳を閉じると眠る癖があるようです。いくら若い時に時間が止まっていても、もうかなりなお歳ですからね。しょうがない事です。
初対面で挨拶する為に声をかけた時の、あの不機嫌な顔は今でも鮮明に思い出せます。きっとあの時は、急に起こされて気分を害したんでしょうね。
あまり周囲に興味を示さないあの方が、人間の娘を隠れて付け回す様になりました。
娘がまだ幼子だった頃から、物陰から隠れて見続けるエアリエル様。……はっきり言って「幼児趣味だったんですか?」と突っ込みたかったです。
幼子を見る我が主の瞳はもう、ヘンタ……いえ、舐めまわすような……いえいえ、……言葉って、難しいですね。ええと……まあ、常に娘を視線で追いかけているんです。―――無表情で。
そんなストーキングする位なら声を掛ければいいのに、表情を変えずに遠くから見てるだけ。
はっきり言って、見ていてイライラしました。アンタは何歳だと。
ああ、表情が変わらないエアリエル様ですが、たまに変わりますね。
初めて見たのは、困惑顔。
あの日は、幼子が雪がしんしんと降り積もる中で滝に打たれ出したんです。「異世界のニホンという国にはそんな修行がある。我慢だ私。我慢」とかブツブツ言いながら。
皮膚の薄い人間の幼子が、こんな雪の降る中で冷たい水に打たれたら普通は無事では済まないだろう。下手をすれば凍死も考えれる事。
それを見た私は「馬鹿か? この子供」と言ってはいないですよ? ……心の中では言いましたが。
まあ、その時にエアリエル様の顔を盗み見たら、動いていたんですよ! 表情がっ!
初めて見ました。綺麗に整ったその顔の眉間にしわが寄るのを! 眉間に寄った皺を指で揉み、溜息を一つ吐くと、今度は柳眉が下がったんです。
口元は笑っていなかったので、あれは『困惑顔』ですね。間違いないです!!
エアリエル様は珍しい事に自身の能力を使い、温かい南国の風を幼子の許に送り始めたんです。―――まるでその幼子を守るように。
その幼子は翌日から高熱で寝込み、エアリエル様は少し寂しそうな雰囲気を纏っていらっしゃいました。 ……表情は変わらなかったですが。
あの日は、エアリエル様の『困惑顔』といい、『擁護』といい、新たな一面を垣間見た衝撃の日ですから、きっと私が死ぬまで忘れる事は無いでしょう。
衝撃と同時に、私は予感を感じましたよ。
―――何年か前に先代の精霊王達が言っていた話を思い出し、この幼子がエアリエル様を変える、と。
え? 先代精霊王達が話していた事ですか?
「アイリスという娘が、エアリエルを振り回す者を生みだす。妾たちは、あやつらの許へ行く」
その一言です。本当にその一言をいって、去って行きましたね。先代地の精霊王と先代火の精霊王のおふた方は。
その時は「何言ってんの? この人達」って心の中で罵倒しましたがね。
時が何年か流れ、幼子は娘へと成長しました。成長過程を物陰から相変わらずストーキング……いえ、見守り続けるエアリエル様の時折動く表情や行動を見て、私の予感は確信に変わってきました。
娘に対するエアリエル様の言動は、私自身を見ているようで少々気持ち悪かったですが……。
案の定、エアリエル様はその娘に懸想致しました。
……なかなか認めようとしなくて、イライラしました。長年たまったイライラは爆発寸前でしたので、皆さんの前で「この、ぐうたら昼寝王は人間をストーキングするほど、懸想しておられるっ! 」って歩いて回る寸前でした。―――本当ですよ?
幸いな事に先代水の精霊王様が、私がキレる前にエル様に進言してくださったので事なきを得ましたが。……それを私が実行していたらどうなったんでしょうね。
まあ、幸運な事にエアリエル様とあの娘は両想いだったわけです。
これで長きにわたって続いた我が主の時代は終焉を迎え、私の時代がやってくると心から喜びました。やっとエアリエル様の側近と言う名の子守が終わると思ったからです。
ですがっ!!
計算外な事に、エアリエル様の時代は終わりませんでした。
お互いに同じ想いを抱え伝えあったにも関わらず、エアリエル様には時が流れませんでした……。
精霊王の代が変わる時は『精霊王の時が流れる』か『精霊王の消滅』の二つです。精霊王の望みが叶えば時が流れ始める筈でした。
エアリエル様の望みは、『あの娘と想いが通じ合う事』だと思っていたのですが……。
娘とエアリエル様の二人の様子を見る限り、幸福感に包まれて至福の時を味わっている様子です。エアリエル様も随分柔らかい感じになってきましたし。以前は全く動かなかった表情も、今は娘の前だけ頬が緩みまくって怖いくらいです。……見慣れましたけどね?
この間二人を垣間見た時は、我が目を疑いました。
なんとっ!
あのエアエル様が……、ぐうたら昼寝王様がっ!!
ほうき片手に床を掃除しておりました!!
どうやらあの娘に掃除を頼まれた様子で、掃除をしながら緩みまくった表情であの娘を見ていました。時折、娘の傍に赤い髪の少年が現れるんですが、彼に対してはなぜか威圧感たっぷりの眼力が注がれているようですが……。
エアリエル様は時が流れていない為、未だ一位精霊王の位におられます。なので私が居城に連れ戻しがてら、二人の様子を少し観察して行くのですが、仲睦まじく過ごす二人なのに彼の君に時が流れない理由がさっぱりわからないままです。
精霊界と人間界を行き来するのは面倒になってきたし、抵抗するエアリエル様を連れて帰るのもとっても疲れるので、早く時を流れさせたいのですがね。
まあ、そんなこんなでエアリエル様と娘の二人を観察しだして何年か経過した頃、ついに彼の君に時が流れない理由が判明いたしました!!
ある日、エアリエル様がいつものように娘に会いに行くために居城を留守にした時の事です。
秘密裏に先代水の精霊王であるヒュドラ様を、玉座の間に呼び出すことにしました。ヒュドラ様はいきなりの呼び出しにとてもしぶっておられましたが、あの娘の名をちらつかせると、すぐさま移動魔法を使いこの場所までやってきました。
移動魔法の風圧の影響か、いささか髪を乱しながらやってきた彼は、玉座しかない殺風景なこの部屋を見回しながら「あれっ?」と言い、怪訝な表情をしながら私を視界に収めました。
「ねえエンジュ……。メイは? 」
「さぁ? 」
「『さぁ?』って……。俺はあの子がここに居るってお前が言うから、こんな場所まで来たんだけど?」
「私は一言もあの娘がここに居るとは言っておりませんよ? ただ、『あの娘とエアリエル様の事で、この場所で話がある』と言っただけですよ。……ああ、人間の作った道具が出来そこないで間違った事を伝えたのかもしれないですね」
ヒュドラが片手に持つ魔道具を指さしながら、自分が手に持っている同じ魔道具を振り上げ、エンジュがニッコリと含みのある笑顔を浮かべる。
二人の持つ魔道具はメイの友人であるオルガが作った魔道具である。魔力を使えば、離れた場所で会話が出来るという優れた逸品である。
「お前ねぇ……。コレは伝える道具じゃなくて、会話する道具なんだけど。 ……はぁ、まあいいよ。―――で? 話って何? くだらない事だと、いくら温厚な俺でも怒るよ? 」
魔道具を上衣の中に入れ腕を組みながらエンジュを見据える。「早く話せ」と頭髪と同色の蒼い瞳が物語っている。
エンジュはやや真剣身を帯びた表情をし、ヒュドラに向かい口を開いた。
「実は―――…」
エンジュが「エアリエルに時が流れる気配がしない、何故だ?」と今までの観察結果と愚痴を交えながら小一時間程かけて話し終わった時、ヒュドラの肩が小刻みに揺れているのに気がついた。
その肩の揺れは次第に大きくなり、時折くぐもった声が聞こえてくる。
「……ヒュドラ様? 」
俯く彼の揺れが収まる事は無く、気分でも悪くしたのかと覗きこんだ時、聞こえてきたのはヒュドラの笑い声……。
彼はしゃがみ込み、床を叩きながら笑っている。時折瞳を擦る仕草からして、泣き笑いをしているようだ。
「クッ! ククッ! はははははっ! はははははっ!!! 」
「ヒュ……ヒュドラ様?! 」
「ごめ、―――ぶっ!! くくくっ!! ……はぁ~っ! 久しぶりにあんなに笑ったよ。主従って行動が似てくるんだなぁ。お前って、アイツと同じ行動してるし。エアリエルがメイのストーカーなら、お前はエアリエルのストーカーみたいだなぁ! 」
「なっ!! 私がストーカーですって?! 」
ヒュドラ様にはこの数年の間にあった、私が観察してきた事を話しただけだ。彼が私の話した事を想い浮かべ安くするために出来るだけ細かくも話した。それは全て、エアリエル様の時代が終焉を迎え、私の時代に早くしたいが為。
なのに、ストーカーとは心外である!
ヒュドラ様は私が気を悪くしたのを感じとったのか、笑うのを止めた。
「ああ、ごめんごめん。 お前が話す事ってなんだか生々しくって、一昔前のエアリエルを見てる感じがしたんだ。……で、エアリエルの時が何で流れないのかだったよね? 」
コクリと首を一度縦に振り、肯定を現すとヒュドラ様は咳払いをして少し愉しそうな表情を浮かべた。
「エアリエルが欲張りだからだよ。 俺は自分自身を見てくれるだけで満足だった。だけど、多分アイツはそれだけじゃ嫌なんだろうなぁ。メイの全部が欲しいんだと思う。好きという心だけじゃなく、本当にあの子の持ってるもの全部。 ……【今まで周りに興味を示さなかった者が欲を出す】か、良い傾向だな」
それだけ言うと彼は来た時と同じように、移動魔法を使い帰って行った。
全てが欲しい、ですか……。
あの娘の全てですか、難しいですね。
あの娘は、意外に聡いですからね。本人は気付いていないようですが、エアリエル様との種族の違いに恐れて、垣根を作っている模様なのですよ。エアリエル様を想う心は本物であると思いますが……。
エアリエル様自らはきっとあの娘に「全てを差し出せ」とは言わないだろう。おそらく何年でもあの娘の考えに合わせていくに違いない。あの娘が自分から全てを彼の君に委ねるまで……。
「冗談じゃないですよ。この先ずっと人間界と精霊界の往復が続くだなんて! エアリエル様が言わないなら、あの娘に全てを差し出す様に言わせる状況を作ればいいだけの事」
口元に手をあてながらやや思案をした後、エンジュの頭の中に一つの策略が浮かんだ。
その案は名案だとばかりにエンジュの心を浮上させた。
「―――ふふふ。 エアリエル様に少し前まで婚約者がいたと知ったら、あの娘はどうするんでしょうね」
* * * *
エアリエル様に元婚約者という女の影がちらつくと、あの娘はどうするでしょうか?
私の読みでは、その女に対し嫉妬しエアリエル様に引いていた種族の違いという垣根を突破するのではと踏んでいます。
元婚約者である闇の一族が主催する夜会を開く事にしましょう。そこにエアリエル様を暫く引きとめ、あの娘が不安になった頃に我が主の前に連れてくればいい……。
ふふふ。
我ながら名案ですね。即実行しましょう。一秒も無駄にしたくないですからね。
私の考え付いた名案は、準備期間に人間の時間で数カ月を用したが、誰にも疑われる事無く実行された。
元婚約者である闇の精霊族の姫は、エアリエル様に随分ご執心だった。振られたと判っていながら、未だその想いを引きずっている模様。
「もう一度、我が主に会う機会を設ける。後は貴方のお好きなように」と伝えれば、あの姫は嬉々として我が主を屋敷に引きとめた。
約一週間が経過し、エアリエル様が娘に会えなくてやや不機嫌になったころ合いを見計らい、あの娘をこっそりと夜会に連れてきた。……エアリエル様がブチ切れたらこの計画が台無しですからね。
連れてきた場所はちょうどエアリエル様と闇の姫が歓談している姿がよく見える場所だ。
娘は二人の姿を視界に入れるや否や、青ざめながら何も言わずに走り去った。
エアリエル様に視線をずらすと、珍しく両眼を見開き「信じられないものを見た」とでもいう様な表情をなさっていました。
私こそ信じられないものを拝見しましたよ。表情筋が固まっていた貴方でもそんな顔をなさるんですね。
心の中でそんな風に考えていた私ですが、そんな表情は瞬きをする程の短い時間で消え失せ、今度は絶対零度の無表情になり、エアリエル様の黒い双眸が私を射抜くように向けられました。……慣れている筈の気配ですが、私は恐怖で足が竦みその場に縫いとめられたかのように動けなくなってしまいました。
徐々に私に近づくエアリエル様が、死刑執行人の様な感覚さえ覚えます。
エアリエル様は私の横を通り過ぎる瞬間に僅かに視線をこちらに向け、私の耳元へ一つの言葉を落とし、娘が去って行った方向へと向かいました。
「―――余計な企みなどするな。その存在を消されたくなければ……」
エアリエル様が去っても私の耳からはその言葉が抜けません。私の考えなど、お見通しだったという事でしょうか―――?
ふふふ。
しかし、貴方には私の存在を消すことなどできない。
貴方はきっと娘を手に入れる事でしょう。貴方の心の望むままに……。
そうしたら貴方は精霊王ではなくなり、ただの精霊になる。そして、私が『一位精霊王』になる。
* * * *
私の読みが当たり、エアリエル様は娘の全てを手に入れた様です。
何故判ったのか、と?
ふふふ。
判るんですよ。私の上に誰も居ないというのが。
私が精霊界の一番上の者だと―――。
さて、元我が主に挨拶に行ってきましょうかね。
服を着ているといいのですが……。
―――さすがの私も他人の情事を邪魔する程、粗野な心の持ち主ではないですよ?
お疲れ様でした。
多くの方が未だにこの作品をお気に入りにしていただいている事に気付き嬉しくて番外編を書きあげてしまいました。
前書きでも書きましたが、番外編を投稿するにあたり、完結だと投稿が出来なかったので連載設定にさせていただきました。