最強老爺
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息遣いが聞こえてきそうな程静かな部屋に、一人の老爺とその老爺に仕えている金の角を頭に持つ馬型の白い聖獣と、ずぶ濡れの床に伏した精霊が居る。
精霊は此処に来て直ぐに、老爺―――総学院長の向かいに座っているオルガをどこかに飛ばした。そして、オルガが消えるのを見届けてから床へと崩れた精霊のしなやかな肢体。立ちあがる気力も無いのか伏したまま老爺と聖獣に向けた黒曜石の様な黒く輝く双眸を送っている―――殺気を込めて。その殺気に即座に反応したのは白い聖獣である。聖獣は老爺の前に出て、今にもその角で一突きしそうな体勢をとっている。
老爺はその殺気に気付かないのか気付いてないふりをしているのか、飄々とした態度で場の殺伐とした雰囲気を壊す。
「お久しゅう、とご挨拶した方がよろしいか? 貴方は変わっておらんのじゃな。……それにしても貴方が人の前で伏している姿を見るのは初めてですな。今なら儂でも使役できそうじゃ」
その言葉に反応した精霊の殺気がさらに濃くなる。
「貴方と初めて見えたのは半世紀以上前だったか……。儂の知る限り、貴方を使役できる者は誰一人おらんかったの。歴代最高峰の召喚士と言われたアイリスでさえ貴方を使役できなんだ。貴方を使役することは全ての召喚士と精霊使いの悲願じゃ。―――儂の悲願でもあった。一位の精霊王『エアリエル』殿」
老爺が名前を言うと同時に殺気が膨れ上がり、部屋中に風が吹きあれ風の矢が飛び交い、部屋に居る者の服や顔が切れていく。老爺の前に聖獣が出て風の攻撃から守るが、老爺の皮膚には幾筋も赤い線ができる。エアリエル―――エルの整った顔や手にも赤い筋が入るが、直ぐに消えていく。
「―――クッ……! 人間に使役される位ならば、このまま果てて消滅した方がましだ」
自分の認めていない者に、力でねじ伏せられる位なら自身の力で果てる。自分でも覚えていない程昔に決めた事だ。
一人の少女が頭の片隅に浮かんだが、目の前に居る老爺に使役されるという嫌悪感がそれを払い去った。そして、立ちあがる気力が無いほど消耗した自身に残る魔力を集める。―――自身を滅ぼす為の魔力を。
攻撃態勢に入った聖獣を片手で制しながら、老爺はエルの忌々しげに吐き捨てられた言葉に、眉をひそめる。
「……相変わらず、プライドが高いのぉ」
―――自身の属性により、水が禁忌の精霊王。それなのに、こんなにずぶ濡れで瀕死の状態を晒して……。きっと水の中に入ったのじゃろう。おそらく、その原因は一人の少女。オルガをどこかに飛ばしたから、間違いないはずじゃ。水に入るという事は、その気高いプライドを自身が一人の少女の為に一時捨てたのを気付いておらんのか……。
老爺は一息吐きだすと、エルの溜めている魔力が発動する前に、持っている杖で急ぎながらも正確に召喚陣を中に描き一人の精霊を呼び出した。
虹色の光の中に一つの影が浮かび上がる。
影の主が歩を進め、老爺の前で床に伏しているエルを認め目を見開く。
「いきなりの呼び出しに応じてもらい、まずは礼を言おう。―――次期精霊王の器よ。主を連れて帰ってくれんかの? その対価は儂の魔力を、この消耗しきった瀕死の精霊王に分け与える事でどうじゃ? 」
呼び出された精霊は、黒に近い深緑の髪をした精霊だった。その精霊は翡翠色の瞳を老爺に向けると、静かに首を縦に振り一つ頷いた。
「―――それでよろしいです。ああ、あまり魔力はあげなくて結構ですよ。復活されるとまた私が探し回らなきゃいけないですから。はぁ、小娘の傍を見張ってれば現れるのは判ってるんですが……。とっても面倒なんですよ」
盛大に溜息をつきエルの傍まで行くと、果てる気満々で自害の魔法を編んでいるエルの腹を蹴り上げた。
「―――グッ!! ……エン、ジュ……!! 」
自身の主を蹴り上げた精霊―――エンジュは、主の自害の魔法が中断された事を確認し、やっと自分を見たエルに満足そうに頬を緩め、エルに付いている水分を風で飛ばした。
「ああ、やっと私が此処に居る事に気付いてもらえました? ―――自身の禁忌を冒してまで水に飛び込むとは思いませんでしたよ。あのまま放っておいても小娘はヒュドラ様や他の方々が助けたでしょうに。それに、瀕死の状態を見られて恥ずかしいからって自害を企む、だなんて何やってるんですか、―――馬鹿王」
エルは蹴られた腹が痛いのか、どこかつつかれたくない所を言われたのか、苦い物を噛んでいるような表情である。
一位の精霊王といえば、精霊界に居る少数の王の中で一番の力を持つ者をさす。このエアリエルは自身の名前が魔法になるほど力が強い。あまりに力が強大すぎ、気高いプライドで今まで自身が跪いた事が無く、過去に彼を使役したのは二百年程前のこの学院を創設した王のみと言われている。
そんな王に対して『馬鹿王』とは……。今まではそんな事を言う者は見た事が無い。まして腹を蹴り上げるなど……。一位の精霊王がやり込められた姿を見て、老爺は堪らず噴き出した。
「ほっほっほっ! 使役する気が失せたわい。貴方のその姿は忘れる事にするかのぅ。どうやらメイ殿を助けてくれたようじゃの。彼女は儂の教え子達の忘れ形見じゃ、礼を言う。―――そして一つ助言じゃ。一人の少女に対して、過去に起こった出来事を忘れ、その気高いプライドを少しは捨ててはどうじゃろうか。……禁忌を冒しその身を危険におかしてまで、お譲ちゃんが大切なのじゃろう? 」
「…………」
エルから答えは無いが、身に纏っていた殺気が本人の意思とは関係なく、少し緩むと老爺はそれを答えと受け取った。
「―――近いうちに、十年と少し前の数人の精霊王達の様に、また精霊王が変わるやもしれんの」
老爺はニヤリ、と揶揄するように、居心地の悪そうな何とも言えない表情をしているエルを見ながら笑うと自身の持った杖に己の魔力を込めエルに分け与えた。
この作品に出てくる精霊王の名前、精霊の苦手属性等は作者の創作です。
「精霊王の名前が違うよ!……えっ?!風って水に入ると力が無くなるの??」との突っ込みは読者様の心の中でのみ、お願いします^_^;