訪れた微かな闇
黒い物が好きという口から紡がれた出まかせに、しばらく沈黙してしていた。
沈黙を破ったのは、エルのくっくっという笑い声。彼からは心なしか黒いオーラが出ている気がする。
今この男と二人で居るのは危険と警鐘を鳴らす人間の本能に従い、この場を離れようと決めた。
ここは総学院長から行ってみるように言われた裏山だ。日もまだ高い。本当はオルガと一緒に行きたかったけれど、地図も持ってるし今から行ける所まで一人で行ってみよう。さて、どう言ってコイツから離れようか……。
顔には無理して作った笑顔を張り付け、少しずつ後ずさりながらエルとの距離を取った。
……いや、距離を取ったつもりだったが、私が一歩下がればエルが一歩進み、全く距離が取れてない。
顔に張り付けた無理やりの笑顔の所為で、頬の筋肉がかなり痛い。この際、ひと睨みして「ついてくるんじゃねぇ! 」とでも言った方がいいのだろうか。―――止めておこう。コイツは殴っても蹴っても目の前に現れるのを止めない奴だった。コイツがMな人だったら、きつい事を言うのは危険だ……。どこにでも現れる事ができるやつだ。ストーカーになりかねない。使役されてくれる精霊は欲しいけれど、ストーカーしてくる精霊はいらない。よし、ここは温厚に温厚に……。
「メイさん、この至近距離で独り言を言うのはお勧めしません。丸聞こえですよ。第一、私はストーカーではありません。ただ、あなたに私の印をつけてあるので、いつでも傍に行けるだけですよ。……ああ、印? こうやってつけたんですよ―――」
黒いオーラをそのままに、妖艶に笑うと、エルが指先でスッと自身の形の良い唇をなぞり、私のそれと合わせる。
「―――っ!んぅ……」
口が塞がれて言葉が出ない代わりに、自由な両手でエルの胸元を押すがピクリとも動かない。今度は両手を頭上で一括りにされ、近くの木に押さえつけられる。また足を踏んでやろうと思っても、足はエルの長い片足で抑えられているように動かない……。
……とってもヤバい状況よね!? コレは!! ―――こうなったら……
唯一動くのは、エルに唇を翻弄されている頭のみ。
こちらも痛い攻撃は嫌だ。でも、このままの状況はもっと嫌。覚悟を決めて、頭をエルの顔めがけ渾身の力を込めて振った―――!
鈍い音がしたと同時にエルの呻きが聞こえ、私の頭の中に星が飛んだ。痛いを通り越して、目の前がチカチカする。そして、エルの拘束が一瞬緩んだ隙に、押さえつけられた木から抜け出すと小走りで彼から離れた。
ちらりとエルを見ると、私の頭突きが口元に当たったのか、口元を手の甲で拭いながら眉を顰めながらこちらを見ている。
「……じゃじゃ馬だな」
いつも人をからかって楽しんでいるエルとは違う暗い闇を纏う雰囲気を醸し出しながら、無表情でこちらに近づいてくる。
……いつものエルじゃない。誰?この精霊は。
今の彼に捕まると闇にのまれそうだ。逃げなきゃと思っていても足がゆっくりとしか動かない。
……一歩エルが足を進める。こちらはゆっくりと後ずさる。お互いに無言で、何度も後ずさりながらエルを警戒していると、ふいに足元がすべった―――。
「―――っ!きゃあああぁぁぁぁ……!!! 」
足元の平坦な地面が無くなり、急な崖に近い坂を転げ落ちながら視界に入ってきたのは、無表情で私を見下ろすエルだった……。
しばらく転げ落ち、不意に訪れた浮遊感の直後に派手な水音が聞こえた。川に落ちたと理解したのは、水中だと気付かず息を吸いこんだら水を吸い込み、苦しくなった時だった。
着ている服の重みでうまく動けず、水面に浮く事も叶わない。このままじゃ……。
肺から出た酸素が、口から大小様々な気泡となり溢れ出る。手や足には力が入らず、地上に向かって手は延ばされたまま、徐々に霞んでゆく意識。突然訪れた死の恐怖と、先ほどのエルの行動に絶望し水の中に涙が溶けた……。
霞んでゆく意識が途切れるまで頭の中でよぎったのはエルの事―――。
無意識にエルに助けを求め、差し出した手を取ってもらえなかった。
エルなら後ろが崖になっているのも気付いていたのに、何も言ってくれなかった。
落ちていく私を無表情で……。
―――どうしてっ……!?