始まりの賭け
頭上を覆う数え切れないほどの葉から生み出される木陰。
キラキラと木陰から差し込む柔らかな光。
時折吹く柔らかな風。
その風によって木陰を作っている木の葉のサヤサヤという音。
樹齢四百年と伝えられているこの大樹の下は一人で昼寝をするにはうってつけの場所だ。
ここは王国都市スッツェにある精霊学校の裏の山。この山には樹齢何百年という大木がそここに生えている。都市と言えば聞こえはいいが、はっきり言って田舎だ。
木陰に入り葉が出す音を聞きながら暫く目を閉じていると、次第に体がふわふわして眠くなってきた。
昨日は夜中まで課題をやっていたから寝不足気味なのだ。
―――少し寝たら寮に帰って課題の続きをやらなきゃ―――意識が途切れる間際にそう考えていたら草を踏む人の足音が聞こえてきた。
近くまで来たら寝ているのが判ったのか、足音が少し小さくなった。どうやら起こさないように気を使ってくれているようだ。
足音は私の頭の方まで来て聞こえなくなった。
なんだか見られているのは気のせいだろうか。起きなくてはいけない。でもウトウトとしていた私の体はそう簡単に動いてくれない。
――――見られている――――そう思った瞬間、柔らかな風が吹き花のような甘い香りがしてきた。
頭に手が添えられ、髪を撫でられた。左手も握られているようだ。
私が昼寝をしていると声も掛けずにこんな事をするヤツは一人しかいない。
このまま寝ていると何かされそうだ。
自分を叱咤して頑張って目を開けてみると、至近距離で黒くて長い睫毛に縁取られた閉じた目が近づいてくる。
「―――ひぃっ! 」
昼寝から覚めたら自分の眼前に目があるだなんて誰が想像しているだろうか。とっさに乙女にあるまじき「ひぃっ! 」だなんて悲鳴と共に強力な右パンチが出てしまった。
バキッ!
「痛っ! 」
目の前に居たヤツは頬を擦りながら、長い睫毛に縁取られた黒い瞳を妖しく輝かせている。
何かをたくらんでいる目だ。
「メイさん、酷いです。優しく起こそうとしてたらいきなり殴るなんて。ああ、キズものになってしまいました!責任取ってください。今すぐお嫁にきてください! 」
私の両手を取り顔を覗き込んでくる。
形の良い唇が三日月の形になり『さあ、誓いのキスを』と言いながら顔が近づいてくる。コイツと知り合って三年が経つが、いつもこんな感じだ。
「嫌!キズどころか、赤くもなってないし」
相手の手を払い、持ち前の瞬発力で1メートルは離れる。
私の言葉を聞いたとたん「即答しなくても………」と言いながら、もの凄い勢いでうなだれる。ウサギの耳があったら絶対垂れてるなって位うなだれている。
コイツはこれでも上級妖精らしい。キズができたとしても、すぐに治るだろうに。
上級精霊ともなると軽いキズは一瞬で治り、人型が取れるようになる。
すらりと伸びた手足。黒檀のようなつやのある少し跳ねた綺麗な髪。シミ一つないきめの細かい肌。そして黒曜石のような黒い瞳。瞳を覆う長い睫毛。女性ともとれる整った顔立ち。はじめは女性と思ったがコイツは性別上、『男』だ。
精霊は魔力が大きい程整った顔になるそうだ。たしかに人間ではありえない顔立ちかもしれない。見とれてしまう。
見とれていると、目の前にシルフが飛んできた。シルフは私に気付くとなぜか一目散に逃げ出してしまった。心なしか青ざめて、泣いていた気がする………。
シルフはこの大樹のそばに住む風の下級精霊だ。精霊使いの能力が無くても見る事が出来、精霊使いは必ずと言っていいほど使役している精霊のはず。
昨晩も課題の為にシルフを呼び出していたが、泣いて逃げられてしまったのだ。何度呼んでも同じで、お陰で寝不足だ。なぜ、私の顔を見ただけで逃げ出すのか。精霊使いの才能が無いのだろうかと思っていたら隣から声がかかる。
「使役精霊はできましたか? 最終課題に必要なんでしょう? まあ、シルフに逃げられているようでは出来ていないでしょうねぇ。なんなら、お手伝いしましょうか? 」
指を口に当てながらフフフと笑うこの男に頼めば楽かもしれない。お手伝いしてもらうには使役しなければ。
しかし私は上級精霊を使役できるほど実力がないのだ。
卒業まであと半年。あと半年で精霊を使役できなければ卒業できない。もう一年最終学年のやり直しだ。留年するくらいならいっそのこと万年求婚中のコイツに協力してもらおうか。
精霊を使役する方法は二つある。
精霊を力で支配する方法と、精霊の名前を読み取って支配する方法がある。
実力が無い私は後者の方法で使役しなければならないが、過去何度かコイツの名前を読もうとしてみたが読めた事がない。『………はぁ』とため息が出る。
「知り合って三年の間に、アンタのこと使役しようと何度も企んだわよ。上級精霊は判るけど、名前はおろか属性も読めないのよね」
ああ、言ってて空しくなる。属性が読めないなんて、私の力がコイツの足元にも及ばないって事だ。
使役できる精霊は見ただけで名前が頭に浮かぶのに、コイツは全く名前が浮かばないのだ。
美貌の精霊は私の頭に手を伸ばし、髪のひと房を取り口づけながら「当然」とばかりに魅惑的な表情を浮かべている。何かを企んでいる妖しい表情だ。
「メイさん、私はとっても暇なんです。なので卒業までの半年間で賭けをしましょう」
にっこりと笑い、私の顔を見ながら名案だと目を輝かせている。
「………賭け? 」
精霊は時に気まぐれにとんでもない事を言い出す時がある。もしかして、今がその時か?!
少し身の危険を感じた私は両手でギュッと自分を抱きしめる。
警戒感を出し始めた私を見ながら、髪から手を離し今度は肩に両手を置きだした。ちょうど向き合う感じだ。
「卒業するまでに使役精霊が出来なかったり、私の名前が読めなかったらあなたの負けです。素直にお嫁に来てください。………ああ、卒業まであなたの精霊探しのお手伝いはしますから安心してくださいね」
―――じゃあ、賭けの代償をいただきますので。―――そう言ってヤツは妖しく微笑み三日月型をした唇を私のそれと合わせた。
「………んんっ! 」
精霊との賭けの代償は口づけ?! 聞いたこともない。それに、なんで嫁っ??
なんだか怒りがふつふつと込み上げてきた。ぐっとこぶしを握る。唇は未だヤツとくっついたままだ。
握ったこぶしを思いっきり振りかぶる―――今度はヤツの顔に当たることなくかわされた………。
「そう何度も、殴らないでください。痛いんですから」
颯爽と私から離れたコイツは、私の髪をまたひと房取ると口づけて『照れてるんですか?赤い顔のあなたも可愛いですね』なんて事を言っている。
「殴られる事をしたのはだれかしらっ?私の顔が赤いのは怒りからよ! 」
コイツは黙っていればイイ男なのに、見た目に反して中身は変な奴。
私の髪先をクルクル回し妖艶に微笑みながら、今後自分を呼ぶ時についてを話し出した。
「私を呼びたい時は………『エル』とでも呼んでください。私の通り名ですが、あなたの呼ぶ声が聞こえたら直ぐに行きます。まあ、呼ばれなくても常に傍に行きますけど」
それでは帰りますね。そう言って美貌の上級精霊『エル』は音もなく姿を消した。
大樹の下に残された私は、半年後の卒業計画を練り始めるのだった………。