第4章:絶体絶命、挟まれる私
「嘘でしょ……なんで、私の店(職場)に向かってくるのよ、あいつ!」
表に飛び出した私の目に飛び込んできたのは、市場のアーケードを紙細工のように踏み潰して進む、山のような巨躯――。
古の文献にしか出てこないような、漆黒の毛並みを持つ『盤古の大熊』でした。
逃げ遅れた私は、倒壊した露店の残骸に足を取られ、無様に尻餅をつきます。
「きゃぁ……!あっ、 待って、私、まだ貯金通帳の半分も使ってない……!!」
巨大な前足が、太陽を遮るように振り上げられる。
三十路の独身人生、走馬灯のように駆け巡るのは、売れ残ったリンゴの山と、昨日のセドリック様の眩しい笑顔。
(……あ、死ぬ。死ぬなら、せめて昨日の高級紅茶、一口飲んでおけばよかった……!)
ぎゅっと目を閉じた、その瞬間。
「――そこまでだ、醜悪な獣よ。私の愛しい街に、その汚らわしい爪を立てることは許さない」
「あぁ!? 出遅れたじゃねぇか、金ピカ! どけ、アンナは俺が守るって決めてんだよ!」
爆音。
鼓膜を揺らす衝撃波と共に、目の前の視界が「白銀の閃光」と「漆黒の斬撃」に二分されました。
――ズ、ドォォォォォン……ッ!
目を開けると、そこには信じられない光景が広がっていました。
一山を飲み込みそうな巨獣が、左右から真っ二つに断ち切られ、蒸気となって霧散していく。
そして、返り血一つ浴びていない完璧な姿のセドリック様が私の右手を、荒々しく肩で息をするザックスが私の左肩を、同時にガシッと掴んだのです。
「無事かい、アンナ? 遅くなってすまない。……怖かっただろう。もう大丈夫だ、私がついている」
セドリック様が、上品に口元を押さえて(いや、今は私の耳元で)、吐息が掛かるほどの至近距離で囁く。
(……えっ、何。いい匂い。薔薇? 騎士団長って薔薇の匂いするの!?)
「おい、アンナ! 立てるか! 腰抜かしてんじゃねぇぞ、ほら、俺に捕まってろ!」
ザックスが、強引に私の腰を引き寄せ、厚い胸板に私の頭を押し付ける。
(……ちょっと待って。こっちは鉄と煙の匂い。ワイルド……抱擁力が、岩盤浴レベルなんだけど!?)
右からは、王国の至宝による極上の愛の囁き。
左からは、最強の死神による命懸けの独占欲。
極限状態の恐怖(吊り橋効果)に、この「イケメンのサンドイッチ」という過剰な刺激が加わった結果――。
私の脳内回路は、パチパチと音を立ててショートしました。
(……あ、あれ? おかしい。私、この人たちのこと『在庫確認みたいなノリの変人』だと思ってたよね? なんで今、二人とも『運命の旦那様』に見えてるの? え、結婚? 結婚しちゃう? どっちと? いや、いっそ二人まとめて……?)
正常な判断力は、魔物と一緒に霧散しました。
「……あ、あの……あ、あ、ありがとうございます……あ、お好きに……どうぞ……」
頬が沸騰しそうなほど赤くなり、私は完全に、されるがままの「借りてきた猫(三十路Ver.)」と化してしまったのです。
「ふふ、可愛いね。震えているのかい? ……よし、このまま私の腕の中で、王宮まで運んであげよう」
「ふざけんな! こいつの家はこっちだ。俺が担いでってやる。アンナ、大人しくしてろよ!」
左右から引っ張られ、浮き上がる私の体。
街の人々の「え、あの果物屋のアンナさん、何者……?」という驚愕の視線を浴びながら、私は意識を飛ばしたまま、自分のアパートへと「お持ち帰り」されていくのでした。




