第2章:ご指名百個、腰が死ぬ(騎士団長編)
「……ふんぬッ! どけどけーい! リンゴ様のお通りだい!」
私は今、人生で一番、己の筋力のなさを呪っています。
台車の上には、山積みにされた百個のリンゴ。
王都特有のガタガタした石畳が、私の手首と腰を殺しにかかってくる。
事の始まりは、今朝のこと。
店主が血相を変えて飛び込んできて、「騎士団長様直々のご指名だ! アンナ、お前が直接、訓練場まで納品してこい!」と宣いやがった。
ご指名。なんて甘美な響きでしょう。
ですがね、三十路の雇われ店員にとって、それは「一人で百個運べ」という強制労働の別名に過ぎません。
「……着いた。ここが、税金の無駄遣い……じゃなくて、麗しき王国騎士団の総本山ね」
王城の訓練場。
そこには、朝の光を浴びて訓練に励む、汗の臭いさえ香水に変えてしまいそうな美青年たちがひしめいていました。
そしてその中心。
一際輝く金髪をなびかせ、部下に指示を飛ばしていたのが、彼――セドリック様です。
「おや。本当に来てくれたんだね、アンナ」
私を見つけるなり、彼は騎士団長としての峻烈な表情を、一瞬でとろけるような甘いものに変えました。
カツン、カツンと歩み寄ってくるその足取りの優雅なこと。
(いや、見惚れてる場合じゃない。早くこれを受け取って、受領印を押して!)
「セドリック様! ご注文のリンゴ百個、お届けに上がりました! 騎士団の皆様の健康を願って、一玉一玉、魂を込めて磨き上げましたよ!」
私は全力で「営業スマイル・金ピカVer.」を張り付けます。
実際には、重い台車を引いてきたせいで、顔は引き攣り、目は血走っていたことでしょう。
ですが、彼にはそれがどう映ったのか。
セドリック様は、白手袋の手を口元に当て、クスクスと上品に笑いました。
「……素晴らしい。これほど情熱的な眼差しでリンゴを届けてくれるとは。君の選ぶ果物は、部下たちの士気を高める魔法のようだ。――いや、私自身の士気が、これ以上ないほど高まってしまったよ」
(士気!? リンゴ一個で!? どんだけ燃費のいい騎士団だよ!)
私のツッコミを無視して、彼は至近距離まで顔を寄せてきました。
「君のような、仕事に誇りを持つ女性は、王宮に咲くどの花よりも美しい。……そうだ、アンナ。少し休憩していかないかい? 私の執務室で、淹れたての紅茶があるんだが」
「滅相もございません! まだギルドへの納品が百個残っておりますので、これで失礼いたします!」
私は食い気味に断り、受領証を彼の鼻先に突き出しました。
誘いに乗って優雅にお茶なんてしてごらんなさいよ。店主に「油売ってんじゃねぇ」と、給料からリンゴ三個分くらい引かれるのがオチです。
「……ふふっ。相変わらず、つれないね。だが、その潔さもまた、君の魅力だ」
彼は名残惜しそうに受領証にサインをし、去り際の私にこう囁きました。
「近いうちに、また店へ行くよ。……君が独り身だと分かってから、どうにも仕事が手につかなくてね」
(仕事しろよ! 国家の危機だろ!)
私は背後から注がれる熱視線を無視して、空になった台車を爆走させました。
次は、むさ苦しい冒険者ギルド。
あそこには、あの「死神」が待ち構えているはずです。
私の腰は、果たして今日一日、持ち堪えてくれるのでしょうか。




