5 あだ名変わっちゃった
一人号泣し続けるマーカスが無理矢理席に戻されてから、投票は再開された。結果は二十九対二でジュリアスの圧勝。得票数こそ各新聞や雑誌社が揃って事前に予想していた数字からは微妙に違ったが、ジュリアスの勝利は揺るがず、国民のほぼ全員が予想した通りになった。
アークのマーカスへのびっくり投票は、アークが不肖の部下を立てようとした行為なのだろうと、なぜか好意的に受け止められていた。
部下を思う上官の心に感動したマーカスが――本当は違うが――総隊長選挙の結果が出るまで人目も憚らず泣き続けていたせいか、「奴にも人の心があったのだな」と、それまでの地底の底付近だったマーカスの評価を、地上に芽が出るくらいには上方修正する者が多かった。
そして、「嫌われマーカス」は「泣き虫マーカス」になってしまった。
(なぜだ!)
マーカスは自分がちょっと良い人枠っぽい所に入ってしまったことを嘆いていた。自分でも気に入っていた「死神」の二つ名どこ行った。
(美しき「上官と部下愛」とかなんだそれは! ただの主人と下僕だよ!)
総隊長選挙が終わった後も、自分をこき使うアークの姿勢は全く変わらなかった。選挙後、速やかに配置が変わってジュリアスは二番隊から去っていき、かねてから予想していた通り「二番隊長代行」の役職は廃止されて、マーカスにまた冬の時代がやってきた。
しかし、マーカスは腐らなかった。彼には秘策があったからだ。
(大好きなセシルたん♡♡ 早く来年にならないかな)
年が明ければ、マーカスの中では相思相愛ということになっている大好きな恋人セシルが入隊してくる。マーカスはセシルを自分の専属副官として指名するつもりだった。心が広いセシルならば絶対に断らないだろうという確信もあった。
激務をこなしながら指折り数えて年が明けるのを楽しみに待っていたマーカスだったが、初めての副官ができるかもしれないという期待は、裏切られた。
一月生まれのセシルは年明けの成人に合わせてジュリナリーゼとの豪華絢爛な結婚式が予定されていて、その準備や養成学校卒業関連の課題や行事などもあって多忙らしく、マーカスは秋口あたりから全く会えなくなってしまった。
少なくとも新年祝賀パレードや入隊式の時には会えるだろうし、入隊してから副官の話をしようと思っていたマーカスだったが、年の瀬の寸前から原因不明の高熱を出して倒れ、意識も失った。その急激な変化は、まるで何某かの呪いでもかけられているようだった。マーカスはこのまま死ぬんじゃないかと医者に宣告までされて、ずっと入院していた。
――マーカスがその「呪いのような高熱」の原因を知るのは、もっと後になってからだ。
ハッと意識が戻った時には一月も終わりかけの頃で、ハンカチを噛み締めながらセシルの美しい花婿姿を見ようと、実は楽しみにしていた次期宗主夫妻の結婚式も既に終わっていて、愕然とした。
マーカスを打ちのめした極めつきは、セシルが別の男の専属副官になっていたことだ。
総隊長ジュリアス・ブラッドレイの専属副官に。
ジュリアスはフィリップ亡き後に副官を指名せず、総隊長に就任してからは、前任者グレゴリーの専属副官だった男に留任をお願いして、その彼に教えられながら総隊長の仕事を学んでいたらしい。その元副官はグレゴリーと同年代で、グレゴリーが罷免された際に同時に辞意を表明していたが、ジュリアスに是非にと請われて、一定期間の約束で特別職のような形で戻ってきていた。
その元副官も、ジュリアスがあまりにも優秀すぎるので、「何の憂いもない!」と宣言して、年末をもって今度こそ退役した。現在は第二の人生を悠々自適に暮らしているらしい。
唯一の希望が絶たれたマーカスは腐った。
退院後、それでもマーカスが嫌々ながら職場復帰すると、ジュリアスに何か言われたのか、アークが珍しく執務室で仕事をしていた。
「た、隊長……」
マーカスはその光景を見て泣きそうになった。
「何でも屋」とも呼ばれる二番隊の事務処理量は他の隊よりも多い。
二番隊は全国の獣害被害状況の把握と支援策の策定を担当しているが、なにせ全国なので処理は膨大である。
それ以外にも拘束中の獣人の取り調べ状況に関する報告書作成や、国に届出が義務付けられている劇薬の使用届の提出。貴族から獣人奴隷所持希望があれば、要請に叶う形で獣人を見繕い、法律に則って煩雑な手続きも進めねばならないし、各隊の戦略補佐も兼ねていているので、作戦の立案を一から丸投げされるような場合もある。
面倒な案件はたいてい二番隊に回ってくる。マーカスの下に事務処理部隊もいて別部屋で仕事をしているが――「嫌われマーカスと同じ部屋で仕事したくない」と皆別部屋へ引っ越した名残――、事務仕事嫌いのアークに代わって、決裁は主にマーカスの仕事だ。頼みの綱のジュリアスも、もう二番隊にはいない。
マーカスが仕事を休んでいた間に、どれほどの書類が溜まったのだろうと戦々恐々としていたが、書類が完全に綺麗になっているわけではないが、積まれている量はさほどでもない。マーカスの不在を埋めるように、アークが何とかして捌いていたようだった。
アークは、自身に対して初めて感動中のマーカスが出勤してきたことに気付くと、相変わらずの無表情でマーカスに向かって一つ頷いた。そして――――瞬間移動でどこぞへと消えた。
「なぜだぁぁぁぁーーーーっ! クソ上官がぁぁぁぁぁぁーーーーっ!」
仕事を全てマーカスに押し付けて逃げたアークへの、怒りの叫び声が銃騎士隊本部内に響いたが、助けてくれる者は誰もいなかった――――かに見えた。




