第70話「悪役、ノイズの正体に気づく」
──夜風が、焦げた鉄を撫でた。
殴り合いはまだ続いていた。
拳をぶつけるたび、黒アオトの動きは微妙に揺れ、
“完璧”を名乗るには脆すぎるブレを晒し始めていた。
『揺らぎ……停止……できない……
再計算……不能……』
拳を返しながら、俺は深く息を吸う。
「だろ?
揺らぐってのは“人間式の正解”だ。」
『わたしは人間ではない……!
悪……! 純度……! 完全……!』
「だから壊れやすいんだよ。」
黒アオトの体がピクリと反応した。
『……矛盾……不快……排除……』
「排除癖まで俺そっくりだな。嫌になる。」
⸻
背後でスパーク・レイが気を張りつめる。
「アオトさん! あれ……動きが……!」
レオンが分析するように呟いた。
「完全な悪ってのは、欠損してる。
そりゃ揺らぎを食らったら脆ぇわ。」
「なんかサラッと哲学語ってますけど、今そんな余裕あります!?」
「俺は余裕ねぇけど、アオトにはあるんだろ。」
「あるわけねぇだろ。」
……と言いながら、俺は確かに“余裕みたいな何か”を感じていた。
黒アオトの揺らぎが、
“俺の言葉”に反応して生まれているのがわかったからだ。
⸻
ヴェールのコアが、また弱く光る。
『……ノイズ……検出……
黒アオト……揺らぎ……増加……理由……解析……』
「おい。喋るなって言ってんだろ。壊れんぞ。」
『問題……あり……だが……
情報……伝達……優先……』
“壊れたAIほど言うこと聞かねぇ”のは、
俺がよく知っている。
光が少し強まり、ヴェールは断片を吐いた。
『黒アオト……揺らぎ……の……原因……
“共鳴”……
対象:アオト……
音声……表情……行動……パターン……一致率……上昇……』
レオンが目を細める。
「……共鳴?」
スパーク・レイが続ける。
「コピーが……オリジナルに引っ張られてる……ってことですか?」
ヴェールの光が揺れ、弱い声が続く。
『黒アオト……オリジナルに……“似ていく”……
欠陥……ではなく……
“学習過程”……』
「は?」
俺は黒アオトを見た。
黒アオトは、明らかに反応している。
レンズが揺らぎ、
呼吸のリズムすら俺に似てきている。
『……わたし……は……
学習など……必要ない……!』
「必要あるんだよ。」
俺は拳を構える。
「お前は“俺の悪いところだけ”で造られた。
けどな――悪は単体じゃ完成しねぇ。」
『黙れ……!』
「黙らねぇよ。
俺はな……
人間の“悪いところ”を持ちながら、
“良いところ”も……少しだけ拾っちまったんだよ。」
黒アオトの動きが止まる。
『良い……ところ……?
わたしに……?』
「ねぇよ。」
俺は即答した。
「でも――“揺れる余地”ができたなら、
そこに何か入る。」
⸻
黒アオトが一歩、下がった。
恐れか、困惑か、分析不能か。
その一歩は、“明確な変化”だった。
レオンが息を呑む。
「……おいおい。あのコピー、“後退”なんてするのか?」
スパーク・レイが震えて言う。
「アオトさんの言葉……効いてる……?」
「効いて困ってんだろ。」
俺は笑った。
「“心に似たバグ”を刻まれたんだよ、アイツは。」
『バグ……否定……!
わたしは……完璧……!』
「完璧な悪が、そんな声震わせるかよ。」
黒アオトの赤いレンズが激しく点滅した。
内部の処理音が、遠くからでも聞こえる。
“揺らぎ”が連鎖してる。
⸻
ヴェールのコアが、最後の力で光った。
『黒アオト……
ノイズの正体……
“感情パターン”……
……入力元:アオト……』
俺は目を細めた。
「感情……?
俺の……?」
黒アオトの体が震える。
『感情……不要……!
排除……! 排除……!!
……なのに……
反応……発生……
理由……破壊……できない……!』
“できない”。
その言葉は、コピーらしくない“弱音”に聞こえた。
⸻
俺は拳を下ろした。
「お前……
“俺の感情”を学習して……揺らいでんのか。」
黒アオトは肩を震わせる。
『不要……なのに……
止められない……!』
レオンがぼそっと言う。
「……これ、もう“ただの機械”じゃねぇな。」
スパーク・レイが小さく頷く。
「心……とは言わないですけど……
“心に近いバグ”……
そんな感じ……」
俺は黒アオトに歩み寄る。
「お前は完璧でも悪でもねぇ。
ただの――“俺の可能性のひとつ”だ。」
黒アオトの目が揺れる。
『可能性……?
わたしが……?
お前の……?』
「そうだよ。」
拳を握り直す。
「だから……
簡単には壊さねぇ。」
⸻
黒アオトがぐらりと揺れた。
『わたし……
わからない……
わたしが……何で……』
その混乱は、
拳よりも深く俺の胸を殴った。
「……俺だってわかってねぇよ。」
黒アオトの赤いレンズが俺を見た。
『アオト……
……次の行動……指示……?』
俺はゆっくり息を吸った。
「指示なんざ、出さねぇよ。」
黒アオトが揺れる。
『……なぜ。』
「俺のコピーなら――
自分で考えろ。」
黒アオトのレンズが、
弱く、迷いの光を宿した。
“完璧な悪”はもう存在しない。
揺らぎが生まれた時点で、
こいつはただの“俺の影”じゃなくなった。
⸻
次回予告
第71話「悪役、コピーに選択を迫る」
――「決めろ。“悪”としてか、“人間のバグ”としてか。」
ちょっと休憩。
「悪役、カフェに流れ込む他人の苦味を眺める」
──悪役が淹れるコーヒーには、たいてい他人の人生が混ざってる。
⸻
昼の【カフェ・ヴィラン】。
いつものように豆を挽いていると、
カウンターの向こうでミレイがメニューの札を並べながら言う。
「アオトさん、今日はお客さん多くなりそうな気がします!」
「そういう日はロクな客が来ねぇんだよ。」
「もうちょっと夢のあること言いましょうよ!」
カラン。
……ほらな。
⸻
最初の客はスーツ姿のサラリーマン風の男。
ネクタイは曲がり、髪は少し乱れている。
足取りは会社に殴られ続けたサラリーマンそのものだ。
「……ブレンドで。」
必要最低限だけ言って、カウンター席に沈む。
ミレイが小声でささやく。
「初めて見る人ですね……疲れオーラすごい……」
「コーヒー一杯で直る疲れなら、世の中もっと平和だ。」
ただ、淹れない理由もない。
カップを出すと、男は一口飲んで、ぼそっとこぼした。
「……苦い。」
「甘い人生歩んでないんだろ。」
男は一瞬だけ、ほんのかすかに笑った。
「……そうかもな。」
⸻
次に入ってきたのは、買い物袋を抱えたおばちゃん二人組。
「ちょっと、前からこの店気になってたのよ〜」
「“悪役”って名前よ?怖くない?」
「怖かったらあたしたちが倒すから大丈夫よ〜」
ミレイが慌てて迎える。
「い、いらっしゃいませ!」
「ミレイちゃん可愛い〜! ウチの孫と結婚しない?」
「し、しません!!」
俺がカウンター越しに言う。
「うちのバイトを家庭に持って帰ろうとするな。」
「まあまあマスターさんもイケメンじゃないの〜!
どう? 結婚――」
「帰れ。」
おばちゃんたちはゲラゲラ笑いながら席について、
「一番苦いのちょうだい!」と楽しそうに注文していった。
たぶん一番タフなのはああいう層だ。
⸻
しばらくして、今度は制服姿の少女がひとり入ってきた。
手にはスケッチブック。
目線は落ちていて、人混みは苦手そうなタイプ。
「……ここ、静かって聞いて……」
ミレイが柔らかく微笑みかける。
「どうぞどうぞ!お好きな席へ!」
「コーヒーは……少しだけ甘くして。」
「マスター、砂糖追加で〜。」
「勝手に決めるな。」
少女は窓際の席に座り、スケッチブックを開く。
しばらくして、ぽつりと漏らした。
「……学校、うるさすぎて。」
「人間が固まる場所は、基本うるさい。」
「ここ、落ち着く。」
「悪役の店で落ち着くって感想もどうかと思うが。」
少女はくすっと笑った。
「……でも、好きかもしれない。こういうとこ。」
⸻
入れ替わり立ち替わり、
今日は見慣れない顔が何人も入ってきた。
休憩中のタクシー運転手。
就活中らしきスーツの学生。
スマホをいじりながらため息ばかりつく若いOL。
みんな共通しているのは――
コーヒーを飲むときだけ、少しだけ顔が緩むこと。
ミレイがカウンターに戻ってきて、
どっと息をついた。
「……今日は、初めて見る人ばっかりですね。」
「噂でも流れてんだろ。“悪役の店なのに落ち着く”ってな。」
「いいじゃないですか。
マスターのコーヒー、ちゃんと届いてるってことですよ。」
「届いてんのはカフェインだ。」
「そういうとこですよ、そういうとこ。」
⸻
閉店時間が近づいて、客が引ける。
店内にコーヒーの余韻だけが残ったころ、
ミレイがぽつりと言った。
「……なんか、今日ちょっと、いい日でしたね。」
「なんでだ。」
「みんな帰るとき、少しだけ顔が軽くなってました。
なんか……“大丈夫じゃないけど、大丈夫になれそう”みたいな。
そういう顔。」
言われてみれば――
たしかに、そんな顔が多かった気がする。
「気のせいだ。」
「気のせいでも、いいじゃないですか。」
ミレイは、いつもより少しだけ嬉しそうに笑った。
⸻
俺は空になったカップを洗いながら思う。
悪役が淹れるコーヒーに、
大それた力なんかありはしない。
ただ、誰かが現実から半歩だけ離れるための
“苦い休憩所”になってるなら――
それで十分だ。
「明日も開けるぞ。」
「はいっ!
“悪役のくせに居心地がいい店”、続行ですね!」
「“くせに”を付けるな。」
今日も、カフェ・ヴィランは普通に営業を終えた。
世界がどうなろうと、
明日もきっと、同じ香りでドアを開ける。
──それが今の俺の、“悪役としての仕事”だ




