第69話「悪役、コピーの心にノイズを刻む」
──拳がぶつかる音が、金属より重く響く。
黒い“俺”は揺らぎながらも、正確すぎる軌道で拳を振るってくる。
テンプレートみたいに完璧な動き。
だが――テンプレも汚れりゃ歪む。
さっきの一瞬の“迷い”が、まだ残ってやがる。
『行動最適化……再試行……
揺らぎ……原因……不明……』
「原因不明のままで困るのは、そっちだろ。」
黒アオトの蹴りを受け止めながら、俺は指を鳴らす。
「俺ってのはな、
“原因不明のバグ”で動いてんだよ。」
『……理解不能。』
「よーし、理解させてやるよ。手取り足取り。」
拳を返す。
黒アオトは受けた瞬間、ほんの0.1秒だけ軌道がブレた。
⸻
スパーク・レイが焦りつつ叫ぶ。
「アオトさん!! なんか……あいつ、動きが変っす!」
「だろ?」
「いい方向なのか悪い方向なのか、どっちっすか!?」
「両方だよ。最悪で最高だ。」
「説明になってねぇっす!!」
レオンが横から割り込む。
「アオトの言語はな、“体感で理解するモード”が必要なんだよ。」
「そんなモード持ってないっすよ俺!!」
⸻
黒アオトが一歩だけ後退する。
ほんの一歩。
だが、“俺”なら絶対にしない動きだ。
『距離調整……意図……不明……
……わたしに……意図……?』
「お。思考回路に“はてなマーク”増えてきたな。」
『ノイズ……ノイズ……
揺らぎ……排除……
排除……のはず……』
レンズが不規則に明滅する。
ヴェールのコアが、弱い光を点滅させる。
『……アオ……ト……
データ……補足……』
「おい、喋んな! お前、壊れてんだぞ!」
『問題……
あり……
しかし……伝達……優先……』
光がちらつき、ヴェールは断片を吐き出した。
『ゆらぎ……は……学習の……入口……
模倣体……学習……開始……可能性……
……あなた……似る……』
レオンが息を呑む。
「おい……まさか……」
スパーク・レイが震える声で言う。
「コピーが……“学習”……?」
黒アオトのレンズが、明らかに揺れた。
『学習……?
わたしが……?
その必要……なし……
わたしは……完成体……』
「完成体がそんなに否定すんじゃねぇよ。
図星って言ってんのと一緒だ。」
『……黙れ……黙れ……黙れ……!』
黒アオトの拳が狂ったように飛んできた。
さっきまでの無機質な正確さじゃない。
怒りか、焦りか――
“俺の悪い部分”が乱れ方ごと出てきてる。
俺は殴られながら笑った。
「おう、ようやく“俺っぽく”なってきたな!」
「アオト! その言い方だと褒めてるみたいだぞ!」
レオンの突っ込みが飛ぶ。
「褒めてるんだよ。
アイツに足りなかったのはノイズだ。
……それと、ぶん殴られる経験だ。」
⸻
黒アオトの動きがさらに乱れる。
速度は落ちてない。むしろ速い。
だが、軌道が歪む。
『排除……排除……排除……!
ノイズ……不要……!
揺らぎ……削除……!』
「だから削除できねぇんだよ、俺は。」
俺は拳を構える。
「“人間は揺らぐ”が正解だ。
お前が完璧じゃねぇってのは、今証明されてんだよ。」
黒アオトが一瞬止まった。
『……わたし……は……
完璧……』
「違うね。」
俺はゆっくりと言った。
「お前は――
“俺というデータ”から、一番大事な部分だけ抜き落とされた“未完成品”だ。」
黒アオトの赤い目が、ざわり、と揺れる。
『未……完成……?
わたしが……?
不……良……?』
「そうだ。」
手を握り、拳を作る。
「だから――完成にしてやるよ。
この拳でな。」
黒アオトの体が、わずかに後ろへ揺れた。
“恐れ”とも“困惑”とも言えない何かで。
──揺らいだ。
⸻
「レオン、レイ。」
俺は二人に背中を向けたまま言う。
「まだ終わらねぇけど……今、アイツに隙がある。」
レオンが頷く。
「わかった。お前のタイミングで動く。」
スパーク・レイも拳を握る。
「……アオトさんの“悪いほう”……
ちゃんと止められるんすよね?」
「当たり前だろ。」
俺は笑った。
「俺はな――
“面倒見がいいほうのアオト”なんだよ。」
⸻
雷が走り、風がうなり、
黒アオトの赤いレンズが揺れ続ける。
決着はまだ、遠い。
だが――
確かに“揺らぎ”は始まった。
そしてそれは、
悪意だけで組まれたコピーにとって
最大のノイズ だった。
⸻
次回予告
第70話「悪役、ノイズの正体に気づく」
――「悪ってのはな、ブレてからが本番なんだよ。」
ちょっと休憩。
「悪役、ヒーローの“親”の悩みを聞く」
──ヒーローが増えると、悩むのはだいたい“親”だ。
⸺
昼下がりの【カフェ・ヴィラン】。
ミレイがミルクピッチャーでハートを練習しながら言った。
「アオトさん、ヒーローって家ではどんな感じなんですかね?」
「知らねぇよ。」
「じゃあ悪役は?」
「もっと知らねぇよ。」
「えー、マスターなのに〜」
くだらない会話をしていたら――
カラン。
⸺
入ってきたのは、
落ち着いた服装の女性。
年齢は40代後半くらい。
手には買い物袋。
ただ――表情がやけに“重い”。
俺は直感で思った。
(……今日も面倒なのが来たな)
⸺
ミレイが笑顔で迎える。
「いらっしゃいませ!」
女性は席に座り、
メニューを見もせずに口を開いた。
「いちばん苦いものをください。」
俺は無言で“悪役ブレンド”を淹れる。
カップを置いた瞬間。
女性は、深く深く、ため息をついた。
「……うちの子、また怪我して帰ってきて。」
ミレイ「えっ、お子さん……ヒーローなんですか?」
女性はうなずく。
「まだ若いのに……毎日、“市民を守れ”だの“正義に生きろ”だの……
言ってることは立派なんだけどね。
帰ってくると、足が震えてるのよ。」
俺とミレイは静かに耳を傾ける。
「ヒーローの親なんて……
心配しかしない仕事よ。」
ミレイが小声で言う。
「……わたし、ちょっと胸が痛いです。」
「正義の舞台の裏なんて、家族しか見てねぇからな。」
「……あなたは?」
女性が俺を見た。
「ヒーローに詳しいんですか?」
「まあ少しわな。」
「じゃあ聞くけど……
どうしたら“あの子”は無茶をしなくなるの?」
俺はしばらく黙った。
ミレイが心配そうに俺を見る。
そして俺は、ゆったりと答えた。
「無茶はする。
しない奴はヒーローやってねぇ。」
女性は苦笑しながらも、少し目を潤ませる。
「……やっぱりね。」
「でもな。」
俺は続ける。
「帰ってくる場所がある奴は、
無茶の“戻り方”を覚える。
だからあんたは正しいよ。心配してろ。」
女性はぽつりとつぶやいた。
「心配してるだけで……支えになるのかしら。」
「なるさ。」
「どうしてそう言えるの?」
俺はカップを磨きながら、
皮肉をひとつだけ混ぜた。
「ヒーローは、自分が最強だと思ってねぇ。
でも、“帰る場所がある”とは思ってる。
……それだけで十分だ。」
ミレイが小さく頷いた。
「……そうですよね。」
⸺
女性はコーヒーを飲み干し、立ち上がった。
「ありがとう。
悪役の店なのに……優しいのね。」
「悪役は、必要なときにだけ優しいんだよ。
悪いか。」
女性は微笑んで帰っていった。
⸺
店が静かになる。
ミレイがぽつり。
「今回は特に優しかったですね。」
「優しすぎる悪役ほど、面倒なんだよ。」
「はい出た、名言っぽいこと言って誤魔化すやつ!」
「うるせぇ。次の客の準備しろ。」
⸺
扉の外で、
誰かが走り去る足音が聞こえた。
たぶん――
女性の息子のヒーローだろう。
帰る場所を確かめて、
また戦いに戻っていく。
そんな連中のために、
今日も苦いコーヒーを淹れる。
──誰も知らねぇところで、悪役は少しだけ支えてる。




