第68話「悪役、壊れた心に触れる」
──夜が震えた。
拳と拳がぶつかる音が、廃墟の区画全体に響く。
俺と“悪いほうの俺”は、似た癖、似た速度、似た間合いで互いを削り合う。
違うのは――
向こうには一切の迷いがないってことだけだ。
『お前の動き、解析済み。
弱点、複数。』
「そりゃ俺だからな。弱点なんざ腐るほどある。」
黒アオトの蹴りを腕で受け止める。
骨が悲鳴をあげるが、倒れちゃいられねぇ。
「完璧な悪とか、完璧な正義とか……
完璧ってのは大体、壊れやすいんだよ。」
『黙れ。』
冷たいレンズが俺を射抜く。
『お前の言葉は……ノイズだ。』
「ノイズで壊れるなら、最初から欠陥品だろ。」
黒アオトの拳がめり込み、俺は後方へ吹っ飛ばされる。
背中が瓦礫を削り、肺が空気を吐き出す。
レオンが叫ぶ。
「アオト! おい、立てるか!」
「立てるに決まってんだろ……悪役はしぶとさが取り柄だ……!」
スパーク・レイが必死に援護の構えを取る。
「行きます! “スパ――」
「来るなレイ! こいつは俺の殴り役だ!」
「なんですかその職種!!」
⸻
黒アオトが歩いてくる。
その足音は、まるで壊れた正義の鐘みたいに冷たい。
『お前は弱い。
欠陥。
曖昧。
矛盾。
不純。』
「お前の辞書、“人間”の項目が空白すぎんだよ。」
『人間……? 価値、なし。』
……その瞬間だった。
倒れていたヴェールのコアが、
弱い光を一つだけ灯した。
『……アオ……ト……』
「ヴェール! 喋るな、負荷が――」
『問題……ない。
あたらしい……エラー。
検知……』
「エラー?」
ヴェールの光が、かすかに揺れる。
『あなた、欠陥……ではない。
“ゆらぎ”……
わたし……分析……できない……
でも……』
黒アオトがコアを向いた。
レンズの赤が少し、強く脈打つ。
『旧式AI。沈黙しろ。
不完全データは不要。』
ヴェールは、明滅しながら続けた。
『“ゆらぎ”は……
こわす……のではなく……
つながる……ための……信号……』
俺は息を呑む。
黒アオトの動きが、一瞬止まった。
ほんの一瞬だ。
けど――俺と同じ“間”だった。
「……おいおい。」
俺はゆっくり立ち上がる。
「お前……今、迷ったろ。」
黒アオトの声が、初めて揺れる。
『否定……
……否定……』
俺は砂を払って前に出る。
「迷いは悪だって、さっきお前が言ったよな。」
黒アオトが沈黙する。
「でもよ――迷わねぇ悪なんて、ただの硬い鉄だ。
間違いも、欠損も、ちょいとしたバグも……
それがあったほうが、人間ってやつは強ぇんだよ。」
『……お前は、人間……
わたしは……“悪”……
混在は……非許可……』
「許可なんざ誰に求めてんだよ。俺は俺だ。」
黒アオトの赤いレンズが波打つ。
スパーク・レイが小声で呟く。
「……え、なにこれ……コピーにも感情バグって、出るんですか……?」
レオンが短く答える。
「アオト相手にしてれば、そりゃバグるだろ。」
⸻
俺は拳を構える。
「さぁ、“俺の悪いほう”。
人間に殴られる準備は済んだか?」
黒アオトが構え返す。
わずかに揺れた動作――迷いの証だ。
『……殴り合いで……
“正義”も“悪”も……
決まらない……』
「そうだよ。」
俺はゆっくり、笑った。
「けどな――殴り合いで“話が通る”ことはあるんだよ。」
夜が裂け、
二つの影が再びぶつかる。
衝撃。
火花。
風圧。
拳と拳の衝突が、夜を揺らした。
決着はまだ――遠い。
ただひとつだけ確かだった。
“悪いほうの俺”の動きに、
ほんの少しの“揺らぎ”が生まれていた。
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次回予告
第69話「悪役、コピーの心にノイズを刻む」
――「バグだろうが欠損だろうが……揺れた時点で、お前はもう鉄じゃねぇ。」
ちょっと休憩。
「悪役、ミレイの友達の人生トラブルに巻き込まれる
──悪役が一番恐れるのは、正義でも怪人でもない。
“ミレイの友達”だ。
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昼下がりの【カフェ・ヴィラン】。
ミレイが店内を掃除しながら鼻歌を歌っている。
珍しく機嫌がいい。
「アオトさん、今日めっちゃ調子いいんですよ〜っ」
「お前が調子いい日は、俺が調子悪くなる日だ。」
「なんでですか!?
……あ、そうだ。今日、友達来るんですよ!」
「帰れ。」
「まだ来てません!」
……嫌な予感しかしない。
カラン。
来た。
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「ミレイぃぃぃいい!!」
爆音とともに入ってきたのは、
明るい色のパーカーとデカリュックを背負った女性。
元気・勢い・騒音、三拍子そろった“地雷確定タイプ”。
ミレイがぱぁぁっと顔を輝かせる。
「リノ!!昨日ぶりーーーっ!!」
……テンション合わせにいくのか。
リノは走ってミレイに抱きつきながら叫ぶ。
「もう聞いてミレイぃぃ!!
人生が詰んでる!!詰ンだァァァ!!」
「詰むの早くない?昨日も元気だったよね?」
「一晩で詰むこともあるんだよォォォ!!」
……音量の暴力。
俺はカウンターから言った。
「で、お前は何を詰ませたんだ。」
リノは振り返り、俺を指差す。
「あなたがアオトさんね!?聞いたよ!
ミレイが“うちのマスターは人生相談が得意”って!!」
「誰がそんな虚偽広告を出した。」
ミレイは両手を合わせてぺこぺこ。
「すみませんアオトさん!つい勢いで……てへっ!」
てへっじゃねぇ。
⸻
リノは勢いよく椅子に座り、
ミレイも隣に座って完全サポート体制。
「まず聞いてアオトさん!!
私、ついにやらかしたの!!」
「犯罪か?」
「違うけど!!
近い!!」
「やめろ。」
ミレイがすかさずフォロー……しない。
「リノ、落ち着いて!あと詳細聞きたい!」
「落ち着けとは言ってねぇぞ。」
⸻
リノは両手で頭を抱えながら叫ぶ。
「私……!ヒーローに告白されたの!!」
「いいじゃん!!」
「悪い予感しかしねぇ。」
リノはさらに叫ぶ。
「だけどぉぉぉ!!
告白してきたヒーローの人……!
私の名前……間違えた!!!」
「最低じゃん!!!」
「帰れ。」
「まだ話終わってません!!」
⸻
リノは涙目で続ける。
「しかも!!
“推しの女性ヒーローに似てるから好きになった”って……!」
「最低の上を行ったね!!!」
「帰れ。」
「まだ終わってません!!!」
ミレイが机を叩いた。
「どこの馬鹿だそいつ!!!名前言え!!!」
「いや言わせるな。」
リノは机に突っ伏して叫ぶ。
「私……好きになっちゃっててぇぇ……
断れない自分が嫌でぇぇぇ……」
ミレイ、目がまん丸。
「好きなの!?そこ!?逆にそこ!?」
俺は頭を抱えた。
「面倒くさいタイプだな……」
⸻
俺はコーヒーを飲んでため息をつく。
「確認だが、自分を好きになった理由が気に食わない。
だが本人は嫌いじゃない。
ただ、名前を間違えられたから傷ついた。」
「そ!れ!なっ!!」
「だったら答えは簡単だ。」
リノとミレイが同時に身を乗り出す。
俺は言った。
「一回ぶん殴れ。」
2人の目が見開いた。
「えっ……!」
「えっ!」
「殴るって言っても“心を”だ。
ちゃんと怒れってことだ。」
ミレイがぽんと手を打つ。
「そうだよリノ!!
ちゃんと怒んないとダメ!!
都合いい女になるよ!!」
「ミレイ、それ言い方が鋭利すぎるぞ。」
リノは鼻をすすりながらうなずいた。
「怒って……いいのかな……」
「当たり前だ。
名前を間違えるやつは信用ならん。
推しに似てようが似てまいが、
“お前自身”をちゃんと見ろって言ってやれ。」
リノは涙目で笑った。
「うん……!
なんか……元気出たかも……!」
ミレイもにっこり。
「じゃあ今日から“女の人生再スタート”だね!!」
「軽いな!!」
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リノが帰り、店が静かになる。
ミレイが俺を見て笑う。
「アオトさん、やっぱり相談うまいですよね!」
「やめろ。悪が迷子になってる。」
「でもめっちゃ頼りにしてるんで!」
「頼るな。混む。」
ミレイはふふっと笑った。
──ミレイの友達は騒がしいが、
人間らしくて嫌いじゃない。
……だか、もう二度呼ぶなよ。




