番外編•いい夫婦の日
今日は“いい夫婦の日”だそうだ。
いつも通り店を開けただけなのに、
街が妙に浮かれている。
……こういう日が一番落ち着かねぇ。
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開店準備してると、
ミレイが妙にテンション高い声を出した。
「マスター!今日、“夫婦割”どうします?」
「どうもしねぇよ。」
「じゃあ“ペアで来たらクッキー半額”とか!」
「うちは悪役喫茶だぞ。」
「悪役にも愛は必要ですよ。」
「勝手に必要性を生むな。」
ミレイはいつも通りだが、
今日だけ妙に押してくる。
多分イベント事が好きなんだろう。
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しばらくすると、
客が俺たちをチラチラ見る。
「ねぇ、あの二人、いい雰囲気じゃない?」
「夫婦っぽいよね……」
……ため息しか出ねぇ。
ミレイがすぐに客のほうへ向き直って、
「誤解です!店長とバイトです!」
と、元気よく宣言した。
客たちは逆にざわついた。
「店長とバイトだからこそ距離が近いのでは……?」
「わかる……職場夫婦……!」
……職場夫婦ってなんだ。
ミレイが戻ってきて言う。
「マスター、なんか誤解深まりましたね。」
「お前の言い方の問題だ。」
「事実を言っただけなんですけど。」
「事実ほどややこしい時がある。」
俺の声はあくまで淡々と。
慣れている。こういう誤解は。
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昼過ぎ。
ミレイがレジのポップを指差す。
《疑似夫婦割あります! ※本当に夫婦じゃなくてもOK》
「……ミレイ、お前これ作ったのか。」
「はい!今日だけです!」
「“疑似夫婦”って言葉を軽く使うな。」
「だって使いやすいですよ?」
「そういう問題じゃねぇ。」
ミレイは楽しそうだ。
俺は淡々とコーヒーを淹れ続けるだけだ。
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閉店間際。
片付け中のミレイがふいに言った。
「いい夫婦の日って、いいですね。」
「そうか?」
「いや、なんかこう……
夫婦じゃなくても、誰かと隣で働ける日常って、
ちょっと暖かいじゃないですか。」
「……仕事としてやってるだけだろ。」
「もちろんです!私はバイトですし!」
「ならそれでいい。」
「でも、“バイトでも隣にいていい相手”って、
けっこう貴重ですよ?」
俺は特に顔を変えずに答えた。
「店が回るならそれでいい。」
ミレイが笑う。
「はいはい。マスターらしい。」
その言い方が、妙に落ち着く。
俺はコーヒーを口に運ぶ。
苦い。
味は変わらない。
でもそれでいい。
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