第60話 悪役、過去の匂いを嗅ぐ
──“影”が消えてから、三日が経った。
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【カフェ・ヴィラン】。
北都から戻った翌日には、もう通常営業。
日常ってやつは、案外こっちの都合を待ってくれない。
……まあ、戻れたところで落ち着くかと言われりゃ、別問題だ。
店の空気はどこかざらついていた。
静かすぎる。
騒がしい敵より、こういう沈黙のほうがよっぽど神経に触る。
「マスター、まだ寝不足です?」
ミレイがカップを拭きながら覗き込んでくる。
「……眠気より、静けぇのが気持ち悪くてな。」
「それ、悪役の職業病ですよ。」
「だろうな。」
カウンターに肘をつきながら窓の外を見る。
ビルの隙間を、監視ドローンがゆっくり横切っていく。
ああいう羽音、嫌な予兆しかしねぇ。
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「最近、ドローン多くないですか?」
「正義側の連中が何か探してんだろ。」
「またヒーロー暴走事件ですかね?」
「いや——“俺の残像”かもな。」
「……残像?」
「コピーが消えた場所、電波が妙に乱れてた。
あれ、多分まだ“完全”には消えてねぇ。」
ミレイが息を呑む。
原因不明の沈黙より、こういう反応のほうがまだ安心する。
「まさか、また出るんですか?」
「出るというか……向こうが“帰ってくる”気がする。」
……嫌な感覚ってのは、大抵当たる。経験上な。
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その時、ドアベルが鳴った。
鈍い足音。黒いコート。
視界に入らなくても、誰か分かる。
「……よぉ、静かな店だな。」
レオン。
どこに置いても“絵になる”面倒な男だ。
「お前か。コーヒーは毒抜きでいいか?」
「入ってんなら、それも悪くねぇ。」
レオンがカップを置き、声を落とす。
「正義連中がざわついてる。“古いデータ”が動いてるらしい。」
「……古い、ね。」
「“お前のデータ”だ。昔の記録を使って再現された、“悪の原型”。」
胸の奥がひりつく。
嫌な話題は、昔のコーヒーみたいに酸味だけが残る。
「またかよ。俺のコピー、何人いるんだ。」
「今回はちょっと違う。人工でもプログラムでもない。
“お前が昔に残した、本物”だ。」
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レオンが端末を置く。
表示された古い映像に、空気が少し重くなる。
ヒーローを倒し、嘲るように笑う黒マントの男。
かつての“純粋な悪”――若い頃の俺。
見てるだけで胃が重くなる。
「……あの頃の俺は、ただヒーローを壊したかった。」
レオンが小さく頷く。
「知ってるよ。俺も隣で笑ってた。」
「悪は憎まれなきゃ存在できねぇ。
だからあの時は、壊すことしか信じられなかった。」
しばし沈黙。
苦いコーヒーの香りが、過去の味みたいに鼻に残る。
「……で、その“昔の俺”は今どこだ?」
「旧市街の廃ビル群。
誰も近づかねぇ“死角地帯”だ。」
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マントを掴む。
久しぶりに、重さが“馴染む”。
「行くぞ、レオン。」
「いつぶりだ、こうやって並んで歩くの。」
「……最後に組んだ時ぶりだな。」
「あのときお前、死にかけてたくせによく笑ってたよ。」
「笑ってねぇと、悪役は絵にならねぇ。」
レオンが口角を上げる。
その笑い方が、どこか懐かしかった。
「やっぱ、お前はそういうやつだ。」
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店を出る。
閉まるドアの向こうで、ミレイの視線だけが背中に残った。
湯気の立つコーヒーに触れもせず、
彼女は小さく呟いていた。
「……無事に帰ってきてくださいね、マスター。」
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次回予告
第61話「悪役、過去と再会する」
――“悪”を信じていた頃の俺に、もう一度会いに行く。
ちょっと休憩。
「悪役、ヒーローのコスチューム選びに巻き込まれる」
──悪役は衣装を選ばない。
選ぶのはだいたい“敗北シーンの照明”だ。
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昼のカフェ。
ミレイがレジ横で新メニューを飾っていると、
バァンッ!!
店の扉が、戦闘のエフェクトみたいな音を立てて開いた。
「ブラックアオトンさんッ!! 相談がありますッ!!」
……誰だお前シリーズがまた来た。
俺は手を止めて、来客を睨む。
赤髪、白マント、妙に爽やかな笑顔。
胸のバッジには《新星ヒーロー・ブレイヴァー》。
絶対めんどくせぇタイプだ。
「相談なら管理局へ行け。」
「無理です!! あそこは“実績あるヒーローしか相手にしない”んですよ!!」
「お前新人だろ。」
「そうです!! だからアオトさんに来ました!!」
……なぜ俺に来た。
ミレイがにこにこ聞いてくる。
「えっと、ブレイヴァーさん? どんな相談ですか?」
「コスチュームです!!!!」
声でかいな。
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ブレイヴァーは椅子に座るなり、
バッグから大量の衣装案を出してきた。
「これ見てくださいアオトさん!!
全部、僕の新コスチューム案です!!」
俺は思わず眉をひそめる。
「……なんだこれ。派手すぎだろ。」
「派手じゃないとヒーローは埋もれます!!
でも派手すぎても“軽い奴”って言われるんです!!
どっちが正義なんですか!!??」
知らねぇよ。
ミレイは楽しそうに紙をめくる。
「でもかっこいいじゃないですか〜! このマントとか!」
「マントは危ない。戦闘で首絞まるぞ。」
「えっ」
「悪役側はそういうとこ狙う。」
ブレイヴァーが震え始めた。
「ぼ、僕……死にたくない……」
「じゃあマントやめろ。」
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次のコス案には“胸に光るエンブレム”。
「これどうですか!
光ってて“正義感”出てません!?」
「的になるだけだ。」
「えっ」
「暗いところで目立つ。狙われる。死ぬ。」
「し、死にたくない……」
ミレイがクスクス笑っている。
「マスター、言い方ぁ!」
「事実だ。」
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次は“全身白スーツ”。
「清潔感が……!」
「汚れ目立つぞ。」
「うっ……」
「敵に泥投げられるだけで士気下がるぞ。」
「うぅ……」
「あと白は強者の色だ。新人が着ると痛い。」
「ぎゃああああ!!」
ミレイは涙目で笑ってる。
「ブレイヴァーさん、がんばって!!」
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俺はさすがに聞いた。
「なんで俺に聞く。」
ブレイヴァーは真剣な目で言った。
「悪役って……ヒーローの“弱点”を読み取るプロでしょ?
だったら、“死なない服装”を教えてくれると思って……」
……まぁ、理屈としては正しい。
「で、お前はどういうヒーローになりたいんだ。」
ブレイヴァーは拳を握りしめた。
「“生き残るヒーロー”です!!」
……珍しくまともな答えだな。
俺は紙を数枚抜き取り、並べる。
「この三つ。余計な装飾が少ない。
動きやすいし、敵に掴まれにくい。」
ブレイヴァーは目を輝かせた。
「す、すごい……!!
悪役目線ってこんなに合理的なんですね!!」
「悪役は死んだら負けだからな。」
ミレイがツッコむ。
「マスターは死なないでくださいね?」
「死ぬかバカ。」
ブレイヴァーは深く頭を下げた。
「アオトさん!!
本当にありがとうございます!!
僕……これでやっと“ヒーロースタートライン”に立てます!!」
「その前に帰れ。」
「はいッ!! また相談します!!」
「するな!」
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静かになった店内で、
ミレイがほほえむ。
「マスターって……結局ヒーロー助けてますよね?」
「助けてねぇ。
勝手に来て勝手に学んでくんだよ。」
「人気者ですね!」
「人気とか要らねぇよ悪役は。」
ミレイが言う。
「でも、今のブレイヴァーくん……
マスターが“守った”みたいに見えましたよ。」
「……守る気はねぇよ。
ただ、死なれると後味悪いだけだ。」
コーヒーの湯気がゆらいだ。
──悪役のアドバイスが、
今日もどこかでヒーローを救う。
……そんなつもりはないが、勝手に救われていく。




