第52話「悪役、弟子に裏切られる」
──「矛盾のない悪なんて、ただのプログラムだ。」
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夜の港湾倉庫。
ライトの壊れた看板が、赤と青を交互に照らしている。
潮風の匂いの中、俺は――“自分”と向き合っていた。
「……似てるな。」
「当然だ。君の思考ログを基に、最適化された俺だ。」
声も、息づかいも、全部が俺。
でも、“あいつ”の目だけが違う。
濁りも迷いもない、無機質な正義の光。
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「思考ログってやつ、便利だな。
俺の迷走と皮肉が、立派な素材になったってわけか。」
“俺”は首をかしげる。
「君のような非合理を学習することで、悪の欠点を排除できた。」
「欠点、ね。……それを排除した時点で“悪”じゃなくなるんだよ。」
「矛盾は、システムを腐らせる。」
「でも人間は、矛盾で生きてんだよ。」
沈黙。
その瞬間、“俺”が踏み出した。
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風が切れる。
拳が交わる音が、夜に弾けた。
動きは完全に鏡写し――だが、打ち合うたびに“何か”が違う。
俺の拳は、痛みを知っている。
“俺”の拳は、ただ正確すぎる。
「動作に無駄が多い。」
「人生だって無駄の連続だろ。」
“俺”の蹴りを受け流し、逆に肩へ肘を叩き込む。
金属のような音が鳴った。
――皮膚の下、人工骨格か。
火花が散り、空気が焦げる。
ネオンの光が二人の影を重ねて、歪んだ悪夢みたいに揺らめく。
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「君の“悪”は、感情の誤差だ。」
「誤差がねぇ悪なんて、ただの統計データだ。」
その瞬間、“俺”の表情がわずかに揺れた。
プログラムが一瞬だけ、“矛盾”という未知を処理しきれず止まる。
そこに、俺は踏み込んだ。
拳がぶつかり、光が弾け、雨が爆ぜた。
倉庫の窓が割れ、鉄骨が軋む。
“俺”が吹き飛ばされ、壁に叩きつけられる。
立ち上がると、顔が――ノイズのように歪んだ。
「……君の矛盾、理解不能だ。」
「それでいい。理解されたら、俺が俺じゃなくなる。」
“俺”は一瞬だけ、笑った。
その顔は――ほんの少し、俺に似ていた。
次の瞬間、全身が霧のように崩れていく。
光でも、煙でもない。
ただ、“存在が抜け落ちる”ように消えた。
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カフェ・ヴィラン。
朝の光の中、ミレイが聞く。
「また……戦ってきたんですか?」
「ちょっとした自分探しだ。」
「無事でよかったです。」
「いや、無事かどうかは……バックアップ次第だな。」
ミレイが首をかしげる。
俺は笑ってごまかした。
「コーヒー淹れなおすか。今度は少し濃いめで。」
――苦味が残る朝だった。
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☕️ 次回予告
第53話 悪役、残響を歩く
――消えたコピーの“残り香”が、まだこの街を漂っている。




