第44話 悪役、街の落とし物を拾う
──拾い物ってのは、だいたい落とした奴より重い。
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朝の通勤ラッシュ。
仕入れ帰りに駅前を歩いていると、足元にくたびれた手帳が落ちていた。
財布じゃない。
もっと……ため息みたいに重たいやつだ。
拾って開くと、子どもの字でこう書かれていた。
ヒーローになりたい。
でもうまくいかない。
どうすればいいか、わからない。
ページの隅は折れ、指で何度も触った跡があった。
最後に小さく──
「ナツミ(11)」
胸の奥に雨粒が落ちたような感覚がした。
さらにページをめくると、雑な線の落書きがあった。
黒いカップ。
見覚えのある看板。
拙い字で、こんなひと言。
“いつか悪役のカフェ行ってみたい”
……なんだよ、それ。
朝から心臓に悪い。
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昼過ぎ。
カフェ・ヴィランに、珍しく子どもの影が差した。
制服の袖をつまんで、俺のエプロンをちょんちょん引っ張る。
「ここって……悪役の人のお店なんでしょ?」
「そうだ。悪いコーヒーを淹れてる。」
「飲んだら悪役になれる?」
「ならねぇよ。子どもはお子様カプチーノでも飲んどけ。」
ミレイがにこにこしながら小さなマグを置く。
泡がハート型になってる。
「前にツバサさんが“愛はどの方向からでも届く”って!」
「だから誰に教わってんだ、お前は。」
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帰り際、ナツミがカバンをごそごそ探し始めた。
急に動きが止まり、小さく呟く。
「……手帳が……ない。」
その声だけで、全部ピンときた。
俺はカウンターの下から、朝拾ったあの手帳を取り出した。
「これか?」
ナツミは一瞬息を飲み、強く頷いた。
「……わたしの……
もう、持ってても意味ないのかなって思って……
落としたのか、捨てたのか、自分でもよく分かんなくて……」
泣いてないのに、声だけが濡れていた。
「もう……ヒーロー目指すのやめようかなって思って……でも……」
俺はカウンター越しに言った。
「やめることは悪じゃねぇ。
けど、“立ち止まる”ってのは、やめるより勇気がいる。」
ナツミが顔を上げる。
その目はしっかりしてるくせに、迷いだけ残していた。
「悪役なのに……なんでそんなこと言うの?」
「悪役が悪いことしか言わなかったら、ヒーローの仕事が増えるだろ。」
その意味が分かったかどうかは知らねぇ。
でも、心だけはちゃんと届いた。
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ナツミが帰ったあと、カウンターの上に小さな紙切れが残っていた。
“ありがとう。
手帳、もう一回ちゃんと持ってみるね。
ほんとのヒーローになれるかな。”
……やられたな。
これは“落とし物”じゃない。
拾ってほしい気持ちごと落ちてたやつだ。
俺はその紙切れを、手帳の最後のページにそっと挟んだ。
返し忘れたわけじゃない。
たぶん、返すのは今日じゃない。
拾い物ってのは、
落とした奴より──拾った側の方が重く感じることがある。
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夜。
雨が止み、街灯がにじんで見えた。
ミレイが聞いてくる。
「手帳、返したんですか?」
「ああ。
持ち主は……もう自分の場所に戻れたみたいだ。」
カップを磨きながら、ひとつ息を吐く。
今日拾ったのは手帳じゃなく、
少し折れかけた誰かの心だったのかもしれない。
──悪役だって、ときには拾う。
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次回予告
第45話「悪役、バイト面接を受ける」
――「……なんで俺が“面接される側”なんだよ。」




