第41話 悪役、閉店時間を延長する
──悪にも、残業はある。
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「……もう閉店時間ですけど?」
ミレイが壁の時計を見上げながら、やや眠そうに言った。
「知ってる。」
俺はカウンターの片隅で、カップをもう一つ置いた。
店内には客はいない。
ただ、雨上がりの街灯が窓に映り込んでいるだけだ。
「じゃあ、なんでコーヒー淹れてるんです?」
「客が、まだ来る気がする。」
「霊感ですか?」
「悪の勘だ。」
ミレイが呆れながらエプロンを外そうとしたそのとき――
ドアのベルがカランと鳴った。
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入ってきたのは、制服姿の高校生。
髪は濡れていて、目の下にはクマ。
「……もう、閉まってます?」
「まだだ。悪役の店は、夜に強い。」
少年は少し笑って、席に座った。
「ホット、ください。なんでもいいや。」
「なんでもいいのが一番難しいんだぞ。」
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コーヒーを淹れながら、なんとなく尋ねる。
「テストか?」
「はい。明日、推薦の最終面接で……寝れなくて。」
「推薦、か。どこの?」
「ヒーロー養成学園です。」
少し、手が止まる。
湯気が静かに立ち上る。
「緊張してんのか?」
「めっちゃしてます。俺、正義とか……自信なくて。」
「正義に自信持つやつの方が危ない。」
「え?」
「だいたいの正義は、誰かの不幸の上に立ってる。
……だから、迷ってるうちはまだマシだ。」
少年はカップを見つめ、少しだけ笑った。
「マスター、なんか悪役っぽくないですね。」
「だからカフェやってる。」
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夜が深くなる。
時計はとっくに閉店時間を過ぎていた。
それでも、少年は最後の一滴まで飲み干してから、
立ち上がって頭を下げた。
「ありがとうございました。……なんか、勇気出ました。」
「それはコーヒーのカフェインのせいだ。」
「それでも、効きました!」
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扉のベルが小さく鳴る。
帰り際、少年が言った。
「いつかヒーローになったら、また来ていいですか?」
「その時は、ヒーロー割でも作っとく。」
外の街灯が消え、夜が静かに溶けていく。
ミレイが欠伸をしながらつぶやく。
「マスター、ほんとに延長しましたね。」
「……悪役は、たまに残業するんだよ。」
コーヒーの香りが、まだ少しだけ温かかった。
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☕️ 次回予告
第42話「悪役、知らない誰かに感謝される」
――「世の中には、“ありがとう”が届かない仕事もある。」




