9
☆9☆
新宿御苑はとっくに閉園していた。
原生林のように鬱蒼とした木々の間を抜け、俺は人気の無いひっそりとした遊歩道に出る。そこで、炎のルビーを取り出すと、淡く光るルビーを月の光にかざした。
すると、たぐいまれなる宝石が、本領を発揮して燃えあがるような輝きを発する。
まさしく、炎のルビーという名にさわしい美しさだ。
「とてつもなく素晴らしい輝きだな。こりゃ、まさしく国宝級のルビーだぜ」
炎のルビーに見とれていると、誰もいないはずの御苑に、俺に向かって歩いてくる一人の少女の姿が見える。
少女の瞳は銀色に輝き、白塗りの顔に派手な口紅を塗った真っ赤な唇が目を引く。
長い睫毛の下には流れ落ちるかのように描かれた、雫のペイントが見える。
髪は長い銀色。
肩に向かって扇状に広がっている。
表情はピエロじみた白塗りのせいで、人形じみた無表情さだ。
服装は白ロリ風のフリル満載のミニスカタイプのワンピース。
ふくらんだ肩やフリル満載のミニスカから、スラリと華奢な手足が伸びている。
小ぶりな日傘をさし、軽やかに近づく姿は、ピエロ姿の美少女人形といった感じだ。
俺は怪訝そうに、
「夜の散歩にしちゃあ、
風変わりすぎる女の子だな」
少女がうるさそうに、
「うるっせェンだよ、ニセモノ! さっさとワタクシ様のルビーを返しな! そいつは、ワタクシ様が予告状まで出して狙っていた、とっておきの獲物なンだからな!」
俺は炎のルビーをお手玉するようにもてあそび、
「するってえと、あんたが噂の怪盗ゲロデムってわけだ。ちなみに俺は、
怪盗アールっていう、ケチなドロボーだよ」
少女が声を荒らげ、
「お前がアールかっ! ガキじゃないか! 死にたくなかったら、さっさとワタクシ様にルビーを寄こしな! オタンコナスっ!」
少女の右腕が日傘も含め、ドロリと溶ける。
溶けた腕をムチのようにしならせ、俺に向かってブン回す。
俺の背後の巨木が二、三本、ばっさり切断された。
俺の髪の毛も二、三本、宙を舞った。ていうか、危うく首を切断されるところだった。
「な、なるほど、な。ゲロゲロ~として、デロデロ~ってしているから、ゲロデムなんだ」
俺はへらず口を叩く。
少女が眉間にシワを寄せ、
「下郎がっ!」
ゲロデムだけに?
「ワタクシ様は、地獄の少女道化師だっ! 予告状にそう書いたンだぞ!」
警察ではゲロデムで通っていたがな。そのほうが呼びやすいからか? ともかく、
「ずいぶん昭和な雰囲気の古風な名前だこと」
右腕に続いて、左腕も液状化してブン回してくる。
数十本の木々が瞬時に薙ぎ倒される。
俺はその複雑怪奇な攻撃をかわし、
「しかし、よくもまあ、からみもしないで、攻撃出来るもんだな」
俺は感心しながらワルサーP38のゴム弾を発射。が、
少女の体にグニャリと穴が開き、ゴム弾は御苑の闇に消え去る。
全身を液状化出来るということか。
少女が半身を俺に向け、ビシッと俺を指差す。
「遊びは、終わりダっ!」
いきなり俺の背後の地面が割れ、液状化したムチが飛び出す。
俺は腰から胸にかけてバッサリ切られた。
上半身と下半身が別々に地面に倒れ、バケツの水をブチまけたように地面に真っ赤な血が広がる。
頭を打った時に仮面が外れ、俺の素顔を見た地獄の少女道化師ことゲロデムが、
「お前、なンか見覚えがあるな。そうだ! 新宿美術館に入っていった高校生の一人だな。
なンで一介の高校生が怪盗なんてやってンだ?」
目の前に立つゲロデムの半身は溶けていた。
俺と対峙した時に、残りの半身を液状化して地面の中に送り、背後から俺を攻撃したのだ。
俺の意識はすでに薄れかけている。ゲロデムの問い掛けに答えようもなかった。
「まあいいか。こいつさえ手に入れば、お前なンかに用はない」
そう言って、地面に落ちている炎のルビーを拾いあげ、来た時と同じように、踊るよな足取りで軽やかに去って行った。
入れ違いに烈火がやって来た。
「見つけたのだゲロデム! 観念する、な!? 何で真っ二つになっているのだ!?」
烈火が俺の顔を見て、さらに仰天する。
「りゅっ! 竜破っ! ゲッ、ゲロデムの正体は竜破だったのだ! いやっ、そ、そんな事より、救急車を呼ぶのだ! 待っているのだ、竜破! すぐに助けるのだ!」
そこで俺の意識は落ちた。
真っ暗闇の暗黒を漂う俺の意識に緑色に光る走査線が、俺の体に沿って走るのが感じられた。
転生後に身に付いた不思議な能力。それが、
絶対復元能力。
烈火が驚愕の声をあげる。
「なっ!? これは、いったい何なのだ!? りゅっ、竜破の体がドンドン治っていくのだ!?」
正確には治っているのではない。壊れる前に戻っているのだ。
腐りかけのバナナや死にかけた猫を元に戻したのも、この絶対復元能力の力だ。
生物だけじゃない。
この能力はガラスのような無機物ですら、以前の状態に戻してしまう。
炎のルビーを入れていたガラスケースや、丸天井のガラスを原料の砂に戻したのも、この力だ。
俺は上半身を起こし、あぐらをかくと烈火を見上げ、
「奇跡みたいだろ。神様からもらった、絶対復元能力だ。まあ、名前は俺が勝手につけたけどな」
と、軽口を叩く。
烈火が口を金魚のようにパクパクさせ、内心の動揺を隠さずに、
「生き返ったのは、じ、実に目出度い事なのだが、なのだが、と、とりあえず、そこに直るのだ竜破! 神妙にお縄につくのだ! 怪盗ゲロデム!」
烈火はまだ俺の事をゲロデムだと信じているらしい。
「俺が誰にぶった切られたか? その理由が知りたくないか?」
「うぬ! それは知りたいのだ。誰なのだそいつは? さっさと教えるのだ!」
「その怪盗ゲロデムだよ。本物のゲロデムと言ったほうがいいかな。自称、地獄の道化師。ピエロの格好をした可愛子ちゃんだよ」
烈火が疑わしげに、
「なっ、なに~っ! ウソをつくと承知しないのだ! ハリ千本飲ますのだ!」
俺は神妙に、
「本当だよ。ゲロデムは俺が苦労して盗んだ炎のルビーを持っていきやがった」
烈火が今さらのように、本来の目的を思い出し、
「何っ! そういえば炎のルビーの事をすっかり忘れていたのだ!」
俺は余裕綽々で、
「と、言いたいとこだが、ゲロデムには偽物をつかませた」
烈火が目を丸くして驚く。
「えっ!? どういう事なのだ?」
俺はエリの内側をまさぐり、
「本物はエリの裏に隠してある」
首筋をおおう防弾スーツのエリの内側から炎のルビーを取り出す。
その輝きに目をみはって烈火が手を伸ばすが、
俺はその手をかわし、
「こいつを新宿美術館に戻しても、またゲロデムに襲われるだけだ。奴の特殊能力、体の液状化の前には、警察ごときでは手も足も出ない。むしろ」
俺は烈火を指差し、
「俺と烈火でこいつを守り、なんとかして、奴を倒す方法を見つけたほうが、余計な被害や損害も出ない、いい方法だと思うんだがな」
烈火が真っ直ぐに俺を見つめる。
紅蓮剣を地面に突き立てると俺と同じように、その場にあぐらをかく。
烈火が覚悟を決めたように、
「わかったのだ。ならば、包み隠さず、あたしに全てを話すのだ。納得出来たら、手を組むのだ」
俺はほくそ笑む。
烈火は話が早い。それは烈火の美点だ。俺は頭をワシャワシャとかき、
「ちょっと長い話だから、はしょって話すとだな」
烈火が怒る。
「全部包み隠さず話すのだ!」
烈火が腕組みして鬼のように睨みつける。俺は嘆息する。長い夜になりそうだ。
「異世界アヴァロン。そこが、転生前に俺がいた世界だ。俺はそこで、こう名乗っていた」
一息つき、
「アルセーヌ・ルパン、とな」