23章 異界と冥府の迷い姫 03
通路は縦2メートル半、横1メートル半くらいのもので、歩く分には丁度いいが、立ち回りなどはできない広さのものだった。
光るコケのお陰で光量は十分、床も完全に平らになっていて、非常に歩きやすかった。『気配察知』に引っかかるものもないので、この通路にはなにもいないようだ。
「ソウシさま、とても不思議な通路ですね。しかしこの通路はなんのためのものなのでしょう? 『悪魔』では通ることはできないと思いますが」
歩き始めて数分、俺の後ろを歩くフレイニルが、ふとそんなことを口にした。
「確かにそうだな。『神』が通るための管理用通路か……しかし……」
『神』がどのような姿をしていたのかはライラノーラも知らないらしい。もちろん人間に近い姿をしていた可能性もなくはない。
と少し考えていると、フレイニルの後ろからスフェーニアが話しかけてきた。
「『神』はもともと『人間』を作ろうとしてたというお話でした。ですからその『人間』用の通路なのではないでしょうか?」
「ああ、なるほど。その可能性は高そうだな」
本来なら『神』が作った『人間』が、ここを通って外に出るはずだったのだろうか。通路には人が通ったような跡がまったくなく、それが逆に『神』の無念さを示しているような気すらしてしまう。
緩やかな上りになっている通路を歩くこと15分ほど、前方からカサカサカサという音が聞こえてきた。虫の歩く音に近いが、俺はこの音を聞いたことがある。そう、例の部屋に集まっていた『悪魔』たちが立てる足音だ。
「やはりこの先の多くの『悪魔』がいるようだな」
と注意をしつつ、さらに奥へと進んでいく。
『悪魔』の足音はさらに大きく、もはや大合唱に近いまでになっている。通路の奥に扉が見えてきた。『気配察知』スキルが、その扉の先に無数の『悪魔』がいると示している。
ラーニが後ろから声をかけてきた。
「あ~、なんかいっぱいいるのがわかるね。どうするのソウシ?」
「入っていって全部潰すしかないだろう。俺がやるよ」
「間違って『悪魔』を生み出す像を壊さないでね。あ、でも壊しちゃったほうがいいのかな?」
「いや、ライラノーラやゲシューラに調べてもらわないとな。ドロツィッテも見たいだろうし」
「そうそう。絶対にこの目で見る必要があるんだ。壊すのだけはやめてくれよ」
後ろを振り返ると、ドロツィッテが俺の顔を見て何度もうなずいた。もちろん他のメンバーも見たいだろうし、ここは慎重にやろう。
扉は向こう側から閂がかかっているようだった。だが俺の力なら問題なく開けるだろう。
「フレイ、少し下がってくれ」
俺はフレイを下がらせ、『アイテムボックス』から『万物を均すもの』を取り出すと、その柄頭で扉を軽く押した。
金属の破砕音が響き、扉が向こう側に倒れる。その向こうに見えるのは、無数の『悪魔』たちの手足である。どうやら広間の底の部分に出たようだ。
近くにいた『悪魔』が異変に気付いて、通路の出口からこちらをのぞき込んできた。
その巨大な灰色の顔を柄頭で突いて粉砕しながら、俺は通路から外へと出た。
そこはやはり、俺が以前見た、『悪魔』を生み出す像のある広い空間だった。
天井までは30メートルくらいあり、床面積はたぶんサッカーコート二つ分はあるだろう。岩山をくりぬいて作った空間としては規格外もいいところだが、床や壁が完全な平面になっているところからも人知の及ばない技術で造られていることが理解できる。
そしてその広い空間には、数えるのも嫌になるほどの『悪魔』たちがひしめいていた。
多くは6本脚で、頭部が一つしかない小型の――といっても自動車くらいの大きさはあるが――『悪魔』たちだが、それより少し大きい頭部が二つのもの、さらに巨大な八本足に三つの頭の大型『悪魔』もいる。
とはいえ俺にとっては何度も戦っている相手であり、恐れるほどのものはない。
像の位置も確認できたので、俺は手加減をして『圧潰波』を四方に放ち、近くにいた『悪魔』50体ほどを一掃した。
周囲を見ると、まだ100体以上の悪魔が残っている。そいつらは俺から距離を取り、一斉に口から魔法の槍を放ってきた。
俺は『圧潰波』を連続で放って魔法の槍を相殺しながら、そいつらの方へと走っていく。
射程距離に入ったものから魔法もろとも『圧潰波』の餌食にしていると、『悪魔』たちは明らかに恐慌状態になり、広い空間を逃げまわり始めた。
何匹かは壁を上り、天井付近に開いた穴から外に逃げ出している。あの穴は、俺が前回入ってきた時の通路につながっているのだろう。
「ソウシ、手伝うよ!」
「ソウシ様、私たちにもお任せください」
俺が手間取っているのを見かねたのか、ラーニたちが通路から出てきて、バラバラになった『悪魔』たちを片づけ始めた。
上の穴から逃げようとした『悪魔』はスフェーニアたちの魔法が突き刺さり、一匹も逃がさない構えである。これは外から見たら、俺たちがただの虐殺者に見えるかもしれないな、そんなことを考えているうちに、『悪魔』たちはすべて魔石を残して消えていった。
「いや、これはすさまじい数じゃったのう。あれほどの『悪魔』がまとまって一度に地上に現れたら、それだけで大惨事となろうぞ」
シズナが、精霊に魔石を拾うよう指示をしながら、溜息交じりにそう口にする。
「真にその通りでござるな。ソウシ殿に話には聞いていたとはいえ、寒気のする様子であった」
サクラヒメはそう答えつつ、奥の壁に目を移した。
そこには女性を象ったと思しき、土偶と埴輪をかけ合わせたような、奇妙な像があった。
像というよりは、壁に刻まれた彫刻と言ったほうがいいかもしれない。全高は20メートルを超えるだろう。大の字になって、壁に張り付いているような姿である。
そしてその像の、広げられた足の間の壁は、ガラスのように透明感のある光沢を放っていた。ただそのガラスの向こう側がどうなっているのかはまったく見えないので透明というわけでもないようだ。
魔石拾いはシズナの『精霊』たちに任せ、俺たちはその像の近くまで歩いていった。
やはり見上げるほどの巨大な像である。
全員が息を呑むようにしてその像を眺め始める中、ドロツィッテは「これは素晴らしいね!」と両手を広げて感動を表現していた。
「『異界』に入ってきただけでも得難い体験なのに、さらに『神』の創造物をこうして目の当たりにできるとは! まったく驚くべきことだよ!」
「そうだな」
「やはり『ソールの導き』に入って正解だった。自分の選択の正しさをここまで強く感じたことは今までなかったよ!」
「ならリーダーとしても一安心だ。しかしこれは『悪魔』を生み出す装置だ。気は抜かないでくれよ」
という言葉が聞こえているのかいないのか、ドロツィッテはフラフラと像に近づいていって、詳しく調べ始めた。
代わりにスフェーニアが俺の隣にやってくる。
「確かにこれは女性を象っているように見えますね。しかし細部の造形は不思議です。鎧を着ているようにも見えますし、ただ装飾をまとっているだけのようにも思えます。神はなにを思ってこのような形の像を作り上げたのでしょうか」
「それは色々と想像はできそうだな。本当に人間を参考に作ったのか、それとも神の姿がこれに反映されているのか。ともかく今はこれがなんなのかを調べないとな」
すでにゲシューラとライラノーラも像に近づいて、像の足の部分や、足の間のガラスのような部分を調べ始めている。
ここは彼女たちに任せるしかないので、俺たちはバラバラに周囲を調べることにした。
しかし広い床や壁には、入ってきた入口以外に目立つものはなく、やはり女性像以外に手がかりになりそうなものはない。
俺が像のところに戻ろうとすると、像の足の間、ガラスのような部分が突然液体のように波打ち始めた。
「『悪魔』が出てくるぞ! 気をつけろ!」
俺の叫びに少し遅れて、波打っていたガラス面が餅みたいに膨らみ始めた。そしてその膨張が限界に達した時、膨らんだ部分からニュルッと押し出されるようにして、六本足の『悪魔』が現れた。
「うえっ、あんなふうにして生まれてくるの!?」
「これは見てて気持ちのいいものじゃないねえ!」
ラーニとカルマが『疾駆』で接近して、その『悪魔』を一瞬で倒してしまう。
『悪魔』誕生の瞬間を間近で見ることになったドロツィッテとゲシューラ、ライラノーラはすぐに『悪魔』が出て来たところを調べ始めた。
波を打っていたガラス面はもう完全な平面に戻っていて、ゲシューラが叩いているのを見ると硬くなっているようだ。
俺が近づいていくと、ゲシューラの声が聞こえてくる。
「これは理解するのが非常に難しい物質だな。今は硬いが、先ほどは明らかに柔軟性があった。完全に未知のものだ」
「『神』が作ったものですから、人間が理解できないのは仕方ありませんわ」
「しかし理解できないままではいられまい。ライラノーラ、お前はなにかわかるのか?」
「そうですわね……今この像が動作した時に、外部から力の流入を感じました。なんらかの指令が『根源』とともにこの像へと流れ込んで、起動させたように感じます」
「ということは、この像は単体で動作するものではないということか。どこかにこの像を操る大元のなにかがあるということだな」
「ええ、そうだと思いますわ。この像自体には『神』の力をそこまで感じませんから」
話が大きくなってきた。確かにこの空間には『悪魔』を生み出す像以外のものはない。『冥府の燭台』の連中がいればフレイニルが感知するはずだ。それらがないということは、この場所はライラノーラの言う通り、ただ『悪魔』を生み出すだけの施設なのかもしれない。
「ということはライラノーラ、今の話だとやはりこの場所以外にも『神』が作った施設がある可能性が高いということだな?」
「そういうことになるかと思います。先ほどの力と『根源』の流れを辿れば、その施設に辿り着けるのではないでしょうか」
「なるほど。ならここを出てそちらを探さないとな。問題はこの像だが……」
「破壊してしまうと『根源』の流れが途絶えてしまうかもしれませんわ。このままにしておいた方がいいでしょう」
「なるほど、ではここはそのままにしておこう。その『根源』を送り込んでいる元をどうにかできればここも動かなくなるだろうしな」
どうやら思ったより、この『異界』はスケールの大きなフィールドなのかもしれない。
そういえば、ドロツィッテの情報では、もとの世界のあちこちに『悪魔』が現れたということであった。規模から考えると、ここで生み出される『悪魔』だけではそんな事態は引き起こせないだろう。
ここと同じような岩山は多く存在していたので、そちらにも同等の『悪魔生成装置』が備えつけられていると考えたほうが自然である。
と考えると少し頭が痛くなるが、大元を潰せばいいだけだ。
俺は再度異形の女体像を見上げ、そしてこの場を去るようメンバーに指示を出した。




