22章 異界の門への道標 14
ライラノーラが待つはずの部屋へと足を踏み入れる。
そこは今まで通り、王城の謁見の間のような空間であった。天井が高く、左右には円柱が並び、床には真紅の細長い絨毯が奥の雛壇まで続いている。
その雛壇には、真紅と金で彩られた派手な玉座が備えつけられていて、一人の女性がその座に足を組んで座っていた。
純白に近いロングヘア、赤い瞳を宿した切れ長の目、淫靡さをルージュにしてひいたような唇からは、白い牙がのぞいている。真紅のドレスがグラマラスな身体を引き立てる、幻想的な美女。この『彷徨する迷宮』の主、女吸血鬼ライラノーラである。
俺たちが玉座の近くまで進み出ていっても、玉座のライラノーラは身じろぎ一つしなかった。すでに会うのは4回目であるので、話のできる距離まで待ってくれたようだ。
「お久しぶりですライラノーラさん。またお会いできて嬉しく思います」
俺ができるだけ丁重に挨拶をすると、ライラノーラは妖艶に微笑み、俺たち全員を見回した。
「ええ、わたくしも嬉しく思いますわ。どうやら皆さん以前よりもさらに力をお付けになったみたいですわね。特にソウシ様からは途方もなく強い力を感じます」
「そうでしょうか。前回お会いした時とはそこまで変わりは……いや、『黄昏の眷族』の王を倒しましたので、その分上がっているかもしれません」
「あの時感じられた強大な力の主を見事倒されたのですね。あの者は『神』が後から作り出した存在の一人ですから、『神』としてもソウシ様が倒したのなら感謝することでしょう」
俺はその台詞を聞いて、前回ライラノーラから告げられた、この世界についての真実を思い出していた。
この世界には『神』とも呼べるほどの力を持った存在がいて、自然に生じたこの世界にいくつか手を加えたのだそうだ。それは例えば覚醒やスキルやダンジョンという冒険者にかかわるシステムであり、この『彷徨する迷宮』であり、そしてゲシューラたち『黄昏の眷族』であった。
正しくは『黄昏の眷族』が先に生み出され、それに対抗するために冒険者というシステムが作り出されたということらしいが、今ライラノーラは、俺がレンドゥルムを倒したことを『神』のシステムが正常に作用した結果だと指摘したのである。
「この世界の役に立てたのなら結構なことですね。ところでライラノーラさん、今回は貴女にいくつかお尋ねしたいことがあるのです。前回のお話の続きもそうですが、それ以外にも新たに確認したいことがあるのです」
「あら、そうですの? なにをお聞きになりたいのか、あらかじめお教えいただいてよろしいかしら」
「一つは、この世界に手を加えた『神』についてです。彼らはダンジョンや冒険者といったシステムを作った後どうなったのか、今どうしているのかということですね。それからもう一つは……『冥府の迷い姫』についてです」
最後の言葉に、ライラノーラは興味を持ったように目を細め、わずかに首をかしげた。
「その『冥府の迷い姫』というのはどのようなものなのでしょう?」
「我々の国に『冥府の燭台』と名乗る集団がいるのですが、彼らが言うには、人が死後訪れる『冥府』に『姫』がいて、死者に救いをもたらすのだそうです。彼らはその『姫』を地上に呼び寄せ、地上を死者の国にしたいと考えているようです」
「不思議なことを考える者たちがいらっしゃるのですね。死後の世界など、『神』ですら認識してはいなかったはずですのに」
「死後の世界はないのですか?」
「ええ。少なくともわたくしが知る限り、『神』は認知しておりませんでしたわ」
その言葉は、死んでこちらの世界に転移した俺には引っかかる所があった。だがよく考えると、確かに俺は死後の世界に行ったことはないのかもしれない。俺の記憶にあるのは、あくまでも地球という生者の世界から、異世界というもう一つの生者の世界に渡ってきたというものだけなのだ。
ただイスナーニたち『冥府の燭台』は、結局あの『悪魔』が住む『異界』を『冥府』だと言っていた。そしてその『異界』に俺は実際に行っているのだ。
「では『異界』はどうでしょうか? 我々が『悪魔』と呼ぶ、奇怪なモンスターが棲息するもう一つの世界があるようなのですが」
「『異界』……ああ、確かにございますわ。それは『神』が作った実験場ですわね」
「実験場、ですか?」
「ええ。『神』は複数いたのですけれど、その中の一柱が人間を自らの手で作り出そうとしたのですわ。その実験場が『異界』なのです。残念ながら実験は失敗し、その『神』は『異界』を閉じたとされておりますわね」
「人間を作る実験……なるほど」
確かに『悪魔』の姿は、人間を作ろうとして失敗した結果生み出された生き物と言われれば、腑に落ちる気がしなくもない。それはそれであまりいい気持ちになるものでもないが。
「もしかしたら、その『異界』のことを、死者が訪れる『冥府』だと考えているのかしら?」
「『冥府の燭台』はそう考えていたようです。彼らは『異界』に渡る手段を作り出し、そして死者となって『異界』へと入っていったようですので」
「人間とは時に面白いことを考えるものですわね。ですが、『異界』が人間の根源を取り込む性質があるのは確かですわ。なにしろ『神』が作ろうとした人間は、自然に生まれた人間の根源を材料としておりましたから」
「人間の根源を……材料に?」
ライラノーラがいきなり核心めいたことを口にしたので、俺は一瞬戸惑ってしまった。戸惑ったというより、その言葉を理解することを心が拒否したのかもしれない。
だがその代わりに、好奇心の塊であるドロツィッテが口を開いた。
「その根源というのは、魂などと言い換えられるものなのかな?」
「ええ、そう言い換えても間違いではありませんわ。ただその根源については『神』ですら解析はできませんでしたの。ですからその根源をそのまま使うことで、『神』は人間を作ろうとしたのです」
「なるほど。人間の魂を再利用して人造の人間を作ろうとした。ところがそれが『悪魔』になっていると」
「『神』も自分のなしたことがあまりにひどいと気付いて『異界』を閉じたのですわ。ですがそれが再び開いたとなれば、大いなる問題かもしれませんわね」
「ライラノーラさんは『異界』が開いたことは知らなかったのかい?」
「ええ。わたくしは地上で起きたこと、起きることを詳らかに知る権限は与えられておりませんの」
そこでドロツィッテは俺の方にチラッと視線を向けた。
それが本題に入れという合図なのは理解できた。ただ今までの話から、なんとなく答えは見えている本題ではあるのだが。
「ではライラノーラさんが『冥府の迷い姫』であるということはないのですね? 実は『冥府の燭台』の本拠地に、ライラノーラさんによく似た女性の姿が『迷い姫』として描かれていたのですが」
俺の質問に、ライラノーラは足を組み替えてから答えた。
「ええ、そのようなものは一切存じませんわ。ただ……」
「ただ……?」
「……いえ、ここまでにいたしましょう。残念ながらこれ以上お話をする時間を、わたくしは持ってはいないのです」
ライラノーラはそう言うと、赤いドレスをなびかせながら優雅に立ち上がった。
「もしソウシ様たちがこれ以上のお話を希望するのであれば、まずはいつもの通り、わたくしを倒してごらんになってくださいませ」
「しかしそれではライラノーラさんは消えてしまうのでは?」
「ソウシ様の一撃を受けたならそうなるでしょう。ですが前にも申し上げましたが、もし今回勝つことができたら、希望を一つ聞いてさしあげます。もしさらにお話をすることを望むなら、それを希望としてお伝えくださいませ。きっとお話ができるようになりますわ」
そう言いながら微笑むライラノーラ。その表情には、どこかいたずらを仕掛ける子どものような雰囲気があった。
なにか含みがありそうだが、しかし彼女から情報を聞かないという選択肢はない。ここは彼女の言う通りにするしかないだろう。




