21章 アルマンド公爵領 10
子爵邸は、町の中央やや南寄りにあった。
派手な庭園などのない、質実剛健、というよりむしろ質素な佇まいの館で、ドルマット子爵家の堅実さがどことなく感じられる建物である。
ニールセン青年を先頭にしているので、特に咎められることなく正面の門から敷地内に入る。
玄関前には男の使用人がいて庭の手入れをしていたが、ニールセン青年の顔を見て慌てて一礼をした。
「これはニールセン坊ちゃま。お帰りなさいませ」
「ご苦労さん。親父は部屋か?」
「はい、ご自分のお部屋にてお休みになっておられます」
「わかった。こっちはお客さんだ。一緒に入るぞ」
「はい、どうぞ」
ニールセン青年はそのまま玄関の扉を開いて入っていき、俺たち5人もそれに続く。
館の中に入った瞬間にフレイニルが眉をひそめ、ラーニが小声で「あ~、やっぱりニオイが強いわね」と口にした。
ロビーにいた年かさのメイドがニールセン青年に気づいて近づいてくる。
「あんれまニールセン坊ちゃん、おかえりなさいませ。これは旦那様にお伝えしないと」
「大丈夫だジジュ、俺が直接部屋に行く。こちらお客さんだが……なあオクノ侯爵様、使用人たちはどうすればいい?」
「そうだな、なるべく子爵の部屋からは離れたところにいて欲しい。できればまとまっていたほうが安全だ」
「わかった。ジジュ、使用人をすぐに集めてここに集合させておいてくれ。ちょっと騒ぎになるかもしれねえ」
「どういうことですか?」
「それはこれからわかる。とにかくすぐやってくれ。お前たちの安全のためだ」
「は、はい。わかりました」
ニールセン青年が真剣な顔で言うと、ジジュと呼ばれたメイドは驚いた顔で廊下へと去っていく。
「さて行くか」
青年が階段を上がっていく。
俺たちも続くが、フレイニルが俺の袖を引っ張ってくる。
「ソウシさま、間違いなくこの上に『冥府の燭台』のあの人形がいます」
「そうか……。一人だけか?」
「はい、一人だけです。ただその部屋に召喚の石板らしいものもあるようです。大きなものが一つです」
「屋敷の中で戦うのは避けたいな。フレイ、部屋に入ったら石板の位置を確認してくれ。起動しそうになったらなんとかしよう」
と話していると、階段を上り切ったところでニールセン青年が振り返った。
「なあ侯爵様、最初は一人で話をさせてくれないか? もし俺の親父が操り人形にされちまってるとして、そいつが何を狙ってるのかは知りたいだろ?」
「ああ、それはできれば知りたいな。だが大丈夫か?」
「例の穴の件で少しつついてみるさ」
青年はそう言って廊下を奥へと歩き始めた。俺たちは少し遅れて、足音を殺しながら歩いていく。向こうが『気配察知』持ちだとバレてしまうかもしれないが、それでもこちらが誰かまではわからないだろう。
奥の扉の前で青年は立ち止まり、こちらをチラッと見てから扉をノックした。
「俺だ親父、入るぜ」
「おお、ニールセンか。入りなさい」
老年の男性と思われるその声は穏やかで、生前の人柄がしのばれるものだった。
俺の中にやるせなさと、義憤のようなものがじわりと湧いてくるのがわかる。
青年は扉を開けて部屋に入っていった。
俺たちはその場で中の声に耳を傾ける。
「……ニールセン、随分と立派になったな」
「……まあな。これでもBランクまでは行ったからな。親父は身体のほうはどうなんだ?」
「……あまり良くはない。が、お前が来てくれたのなら多少はもつかもしれないな」
「……そんな早くくたばらないでくれよ。俺がこの家を継ぐにしろ、教えてもらいたいことは山ほどあるんだからな。それより兄貴が死んだって聞いたんだが、なにがあったんだ?」
「……一年前に流行り病があってな、その後遺症で亡くなってしまったのだ。私も少し前から体調を崩していたこともあり、公爵様のところを辞してこちらに戻ってきたのだよ」
「……そうか。ところで領都のウチの館なんだけどよ。公爵様の使いが来て調べていったんだよ」
「……なにかあったのか?」
「……倉庫の地面に穴が開いててよ。それが公爵様の家につながってるんだと。あれは親父が開けたのか?」
「……いや、私は知らないな」
「……だが公爵様の家の親父が使ってた部屋につながってたんだぜ。知らないじゃ済まねえよ」
「……そうか。では私自身は死んだということにするしかあるまい。……ちょうどいい代わりが来ましたからね」
ドルマット子爵の口調がいきなり変化した。
『イスナーニ』とも『ワーヒドゥ』とも違う口調だ。声の調子からいうと、闘技場の時のモメンタル青年のそれに近い。とすれば『サラーサ』という奴だろう。
気になるのは奴が明らかにニールセン青年を「代わり」呼ばわりしたことだ。さすがにそれをさせるわけにはいかない。
「行くぞ」
俺はフレイニルたちに声をかけ、扉を開いて中に入った。
まず目に入ったのはニールセン青年の背中。
そしてその向こうに、初老の男の姿があった。
初老の男……灰色の髪と髭を持った、恐らくは品のいい紳士だったと思われるドルマット子爵は、気味の悪い笑みを浮かべながら、ベッドから立ち上がろうとしていた。
子爵は闖入者である俺たち見て、醜悪に顔を歪め、虚ろな笑みを浮かべた。
「おやおや、なるほど、あの通路は貴方たちが見つけたのですか。まさかそんな力まであるとは、甘く見過ぎましたかね」
「お前は『サラーサ』か?」
「ええそうです。お会いするのは2回目になりますか。闘技場ではまさか『影獄』を力で破られるとは思いませんでしたよ」
「お前たちはそれぞれに人を超えた力があるのに、なぜこんな手の込んだ真似をする」
「おや? イスナーニあたりから聞いてはいないのですか? それが教義だからですよ」
「直接手を下したくないという話か? それなら確かに口走っていたな」
「そうでしょう。まあ教義といっても、私たちが直接手を下して奪った命は不純であまり役に立たないというだけなのですがね。人間同士が憎しみ合い、殺しあった時に奪われた命こそが純粋で、我らの役に立つのです。だからわざわざいろいろな手を使うのです」
「役に立つ……だと?」
あまりにふざけた物言いに声が大きくなりかけるが、ここで俺が激しても意味はない。息を整えて話を続ける。
「……なるほど、メカリナンで内戦を起こしたのもそれか」
「ええ、イスナーニは上手くやっていたのですがね。実際に戦も起きましたし。ところが何者かのせいで命がほとんど奪えなかったと、イスナーニはたいそう腹を立てていましたよ。まあ代わりにいい身体を見つけたと喜んでもいましたがね」
「いい身体」というのは俺のことだろう。『冥府の燭台』は操り人形にするのにいい人間を探しているということもあるらしい。
しかしそれはともかく、「命が不純」とか「役に立つ」とか、詳細を聞きたくなくなるほど不快なことを言う連中だ。改めて『冥府の燭台』がわかり合える相手ではないことを確認させられる。
「それで、今回のお前はなにが目的だ? 公爵家から金を盗み、公爵に必要な情報を流さず王国内に混乱でも引き起こそうとしたのか?」
「調べるのが早いですね。まあそういうことです。ついでに言えば獣人族についてもそうだったのですがね。彼らの鼻の良さはワーヒドゥも苦い顔をしていましたよ」
クククッ、と含み笑いをする子爵、いやサラーサ。
その時俺の頭の中で、解放奴隷の件と獣人族の里での一件がつながった。
獣人族の長をワーヒドゥが抑えておき、一方で解放奴隷を連れ去って公爵領の鉱山で働かせる。適当なタイミングで解放奴隷の件を獣人の里にしらせ、公爵への反感を高めておいて、獣人族を蜂起させる。回りくどいが争いを起こす手段としては理解できる。
「なるほど、公爵と獣人族を対立させようとしていたのか」
「ご名答と言わせていただきますよ。さて、貴方が相手ではこの身体では到底勝ち目がありません。私は撤退させてもらいますが、いつもの通り教義に反することはさせてもらいましょうか」
サラーサが邪な笑みを濃くする。
その襟首を、ニールセン青年が前に出てつかんだ。
「おい待て。結局テメエが俺の親父をやったのか!?」
「そういうことになりますかね。ちなみにこの町に疫病を流行らせたのも私です。ですから君の兄を殺したのも私ということになりますね。クククッ」
「な……!? んだとぉ!」
「まあまあ。そのおかげで貴方も爵位を継げるわけですし、それにこの町では体の弱い者がだいぶ減って統治しやすくなったと思いますよ。もっともこれから健康なものもそれなりに死ぬと思いますけどね」
「くそ……がぁ!」
拳を振り上げるニールセン青年。
しかしその震える拳が振り下ろされることはなかった。
「さすがに父親の顔は殴れないでしょう。貴方も悔しいかもしれませんが、我々もこの拠点を失うのはかなり痛いのですよ。ですからそれでお相子としませんか。クククッ」
ふざけたことを捨て台詞のように言ったかと思うと、サラーサ……ドルマット子爵の顔から一切の感情が、そして生気が抜け落ちた。
サラーサによる操作が解除されたのだろう、と思う間もなく子爵の身体はドロリと崩れ、青い泥となって床に広がった。
「なっ、くそっ、親父……っ!」
ニールセン青年がつかんでいた衣服を離して飛びずさる。
と同時に、床の青い泥の中から禍々しい魔法陣が浮かび上がってくる。
「ソウシさま、邪な力が広がっています。この部屋にある召喚の石板が反応しているようです。大きな力ですが、多分デュラハンと同等のものだと思います。五体出現するようです」
フレイニルの分析が細かくなっていて少し驚くが、敵戦力がわかるのはありがたい。
ただデュラハンが出てくるとして、この部屋には1体でも出現したら床が抜けるだろう。
「フレイ、石板はどこだ?」
「あそこです」
フレイニルが指さしたのは、壁際にあるクローゼットだった。
近づいて開くと、そこには大きな石板が立てかけられていた。表面に描かれた魔法陣が強烈に発光していて、起動が完了していることがわかる。
「破壊すれば止められるか?」
「危険です。魔力が暴走して爆発が起きる可能性があります」
スフェーニアがすぐに答える。
なるほどありそうな感じだ。とすると方法は一つしかない。
俺は石板を抱え上げると、部屋の窓を開いた。
「済まないが皆も続いてくれ」
俺はそう言って、窓の外に身を躍らせた。




