20章 『龍の揺り籠』、そして獣人の里へ 26
昼過ぎになると、マーリさんの家に続々と人が集まってきた。
カルマの父上のゼンダル氏をはじめ、各獣人族の族長、そしていわゆる『長老』と呼ばれる人たちも数名、全部で10人以上は家に入っていっただろうか。
狼獣人は獣人族の中でもっとも数が多く、獣人としての能力も優れている上に結束力が固いため、派閥として最も力を持っているらしい。
とすれば、その元族長が帰還したとなれば、これは獣人族全体としても大きな事件である。
当然ノレッカ氏を元の族長に戻すことも含めて話し合いが持たれるはずで、それがこれから行われるということだろう。
いささか性急な感じもするが、『隠密』スキルで監視をしているマリアネによると、ノレッカ氏がそれを求めたらしい。
「妻であるマーリさんに迷惑をかけたから早く肩の荷を下ろしてやりたい、ということのようですね」
「それだけ聞くと、責任感の強い家族思いの人間のように思えるな」
「そうですね。ただ集まった者の中で、何人かは彼をノレッカ氏とは認めていないようです。ノレッカ氏が本人かどうか試すような質問をしている方もいました。それはきちんと答えていたようですが」
「ファルクラム侯爵の件などを考えると、『冥府の燭台』は操っている人間の記憶を得る手段を持っているようだからな。それすらも邪な感じがするが」
「私もそう思います」
「ともかく、『冥府の燭台』の目的は狼獣人族の族長になって獣人族全体を操ることか? 今までの行動を考えるならそう考えるしかないが……」
メカリナンでも王都の教会でも帝国でも、『冥府の燭台』は権力に近い場所に入り込んでその集団に混乱をもたらすのが目的のようだった。
聖女交代の儀の時の神官も、帝国の闘技場での、『イスナーニ』も、直接自分がアンデッドを召喚して騒ぎを起こすことは「教義にもとる」とも言っていたのだ。
そう考えれば、あの偽ノレッカ氏が族長に戻ることを望むのはむしろ当たり前のことのように思える。
俺の推測にマリアネもフレイニルもうなずくが、ラーニだけは首を傾げた。
「でもさソウシ、もしお父さんの記憶があるなら、わたしたちがニオイで判断するっているのもわかってるんじゃない?」
「それは……そうだな。自分が本人だと認められないパターンも考えているか」
「そうなったら、闘技場の時みたいに――」
ラーニが言いかけた時、マーリさんの家から大きな声が響いてきた。
それはカルマの父上、ゼンダル氏の声だったのだが――
「おいてめえ、ノレッカのフリなんぞしやがってなんのつもりだ! お前がニセモノだなんてこっちは全員分かってんだ! スカした顔してねえでさっさと正体現しやがれ!」
「あ~、やっぱりやっちゃったかあ。カルマには一応言っておいたんだけどなあ」
ラーニは溜息をつくが、さすがにこれは危険な状況かもしれない。
予想通り、フレイニルが緊張感に満ちた声を出した。
「ソウシさま、家の中で邪な力が急に膨らみ始めています。何かを呼び出すつもりのようです」
「まずいな、皆行くぞ!」
俺たちは物陰から飛び出して、マーリさんの家に飛び込んだ。
応接の間には10人以上の人間がいる。奥に偽ノレッカ氏が気味の悪い笑みを口元に浮かべ、妙に力が抜けたような姿勢で立っている。その右にはマーリさん、左にはトラ獣人族長のゼンダル氏が尻尾を立てた状態でいて、偽ノレッカ氏に対している。2人の後ろには各獣人の族長、そして長老たちが並んでいてことの成り行きを見ているようだ。
俺たち3人が駆け付けると、偽ノレッカ氏は「ひひひ……」と、見た目にそぐわない笑い声を出した。
「な~んと、やはり獣人が見た目よりニオイで判断するというのは本当じゃったんじゃのぅ~。元族長すら疑うとは思わなかったのぉ~」
「アンタ、一体何者なの?」
マーリさんの質問に、偽ノレッカ氏は両手を広げて答えた。
「お前の愛する夫、ノレッカなんじゃがのぉ~。少しは本物だと信じてくれてもいいのではないのか~? それでも妻と言えるのかのぉ」
「ノレッカはそんな腐った臭いなんてプンプンさせる人間じゃなかったんだよ。それに見た目なんていくらでも繕えるからね。お前みたいな後ろ暗いやつは特に繕うのが好きじゃないか」
「なるほどのぅ。獣人にもそれなりの知恵があるということかのぉ~。もっともそうでなければ捧げる魂としては不十分なんじゃがなぁ~」
「それでてめえはナニモンなんだ。もしかして『冥府の燭台』とかいういけ好かねえ連中か?」
ゼンダル氏が詰め寄ると、偽ノレッカ氏はわずかに目を広げた。
「ほほぅ~? それを知っておるとは、いささか獣人族を侮りすぎたかのぅ~。ん~? そこの男の顔には見覚えがあるのぅ?」
その時になって、偽ノレッカ氏が俺に気付いたようにこちらに目を向けてきた。その瞳には生きた人間の持つ生命力は感じられず、なるほどいつもの操り人形なのだとわかる。
「おおぅ、お前は王都でわしの邪魔をした男だのぅ。確かオクノ伯爵、いや今は侯爵じゃったか。イスナーニが執着しておる者じゃろう?」
偽ノレッカ氏が俺に注目したので、族長たちも左右に分かれて、俺と偽ノレッカ氏を交互に見始める。
「お前はイスナーニともサラーサとかいうのとも違う者だな」
「わしはワーヒドゥ、『冥府の燭台』の最高神官、『三燭』が一人よぉ~」
「前回は教会だったが、今度は獣人族の扇動でも狙ったのか?」
「そういうことになるかのぅ~。まさかこれほど早く頓挫するとは思わなかったがのぅ~。まったく獣人族の鼻のよさは想像以上じゃったわいのぅ」
「もしやメカリナンから戻った獣人族が行方不明になったのもお前らの仕業か」
これは当然ずっと考えていたことではあるが、この質問に対して偽ノレッカ氏改めワーヒドゥは首をかしげてみせた。
「ん~、それはどうだっかのぅ~。そこはわしのあずかり知らぬところじゃてのぅ~」
「しゃべる気はないということか」
「そう取ってもらっても、別に痛くもかゆくもないしのぅ~」
うつろな笑みを浮かべるワーヒドゥ。いや、うつろに見えるのはノレッカ氏の身体を使っているからで、ワーヒドゥ自身は死体を操る術の向こうで気味の悪い笑みを浮かべているに違いない。
ともあれ奴はこれ以上なにかを話す気はないようだ。とすればさっさと退場してもらうほかないが、それにはマーリさんの許可が必要だろう。
「マーリさん、彼を斬ってしまってよろしいでしょうか?」
「ん? コイツにはこれ以上聞くことはないってことかい?」
「ええ、もう話す気はないようですので」
「なら構わないよ。ああ、別に最初からノレッカだとは思ってないから、私に気兼ねはしなくていいよ」
「わかりました。マリアネ」
声をかけると、ワーヒドゥの背後に急に現れる黒紫の忍者装束。
ワーヒドゥが振り向く間もなく、その首を『龍尾断ち』が落とす。
頭部が床に落ち、身体はそのまま崩れ落ちる。切断面から流れ出るのは青みがかった粘性の高い、ドロリとした液体。そして身体のほうは、そのまま全身が同じ液体になって崩れていった。
「ま~た教義にもとることになるのぅ~。やれやれじゃわい」
頭部だけになったワーヒドゥはそう言ってカラカラと乾いた笑いを漏らした。
「ソウシさま、外にアンデッドの気配が多数感じられます。強力なものも3体いるようです」
「飽きない奴らだ。マリアネ、カルマの家まで行って皆を呼んできてくれ。マーリさん、ゼンダルさん、こいつは多数のアンデッドを召喚したようです。急ぎ対応を」
声をかけると、ゼンダル氏がワーヒドゥの頭を踏みつぶしながら答えた。
「カルマがキナ臭ぇってんでこっちの冒険者にはすでに声はかけてある。弱い奴なら任せてくんな」
「それはありがたいですね。私たちも外に出ます。フレイニル、ラーニ、行くぞ」
「はいソウシさま」「うん。さっさと倒しちゃお」
家から外に出ると、通りの地面にいくつもの禍々しい魔法陣が浮かび上がっていた。人々がその魔法陣を見て戸惑ったり立ち止まったり、離れたところで様子を窺ったりしている。
「皆さん、この周囲一帯にモンスターが出現します! 離れてください!」
俺が『万物を均すもの』と『不動不倒の城壁』を『アイテムボックス』から取り出しながら叫ぶと、周囲の人々は驚いたような顔をして、慌ててその場を離れていった。




