20章 『龍の揺り籠』、そして獣人の里へ 25
翌日は、ラーニ、カルマも連れてD、Cクラスのダンジョンを踏破した。
一昨日と違って雑魚が大量に出現するようになったが、やはりもう俺たちはこちらでないと落ち着かない身体になってしまったようだ。
さらに言えば、
「これだけの大所帯ですから、魔石や素材が多く手に入らないのは少し不安になりますね」
とスフェーニアが言っていて、俺もそれに同調してしまった。
資産だけでいっても、よほど贅沢な暮らしをしない限り帝都のあの家で10年は余裕で生きていけるくらいはあるのだが、それでも収入がないと心もとなく感じるのは庶民感覚が残っているからだろうか。
その日もマーリさん宅で一泊して、翌日。
朝食を終えて、明日には出発する旨をマーリさんに話していると、玄関の方から声が聞こえてきた。どうやら来客のようだ。
マーリさんが「ちょっと失礼するよ」と言って席をたち、玄関へと向かった。
聞こえてくる声からすると、近所の人たちが何か用があってやって来たらしい。
「……だから本当なんだってえの」
「……本当って、ノレッカはもう5年以上も前に死んでんだよ」
「……だけど死体は見つかってないんだろ。だったら……」
「……首が半分ちぎれかかった状態で川に落ちたんだ。冒険者だからって生きちゃいないよ」
「……いやしかしマジなんだって。いいから来てくれよう」
「……ったく。悪ふざけにしても度が過ぎてるね。ラーニが帰ったからって……」
「……ラーニだって父親に会いたいだろうよ」
訪ねてきた男性もマーリさんも声が大きく、聞き耳を立てずとも会話が聞こえてきてしまった。
しかし断片的な言葉だけ拾っても、どうものっぴきならない話をしているように思える。耳をピクピクさせていたラーニだが、我慢ができず玄関の方に行ってしまった。
その後ろ姿を追っていたフレイニルが心配そうな顔を俺に向けてくる。
「ソウシさま、今のお話、とても大切なもののように聞こえたのですが」
「俺も同じだ。ラーニの家族の話だが、俺たちもかかわったほうがいい気がするな」
「はい、私もそう思いました」
スフェーニアたちもうなずいているので、俺は席を立って、玄関へと向かった。
玄関にはマーリさんとラーニのほか獣人族の若い男女2人がいて会話を続けていた。
俺の気配を察知したラーニが近寄ってくる。
「あっソウシ、ソウシはどう思う?」
「詳しくは聞こえなかった。どういう話なんだ?」
「ええとね、わたしのお父さんが死んだって話は一昨日したと思うんだけど、よく似た人が里の外にいるんだって。それでどうしたらいいかって話なんだけど」
「なるほど」
やはり聞こえてきた通りの話らしい。
「ええと、それは本当の話なんですよね?」
報せに来た若い男女に確かめるように聞くと、彼らはそろってうなずいた。
「まちがいねえ。本人も自分はノレッカだと言っているんだ」
「ではすぐに里に入れないのはなぜなのですか?」
「いやそれがさ、見た目が昔のままなんだよ。それにちょっと臭いがな」
最後の言葉で、後からやってきた『ソールの導き』のメンバーは全員が顔を見合わせた。
マーリさんが耳ざとく聞き返す。
「臭いがなんなんだい?」
「ああ、そのノレッカさんを名乗るやつは、なんか妙な、肉が腐ったような臭いがするんだよ。それでちょっとおかしいってんで、里に入るのは待ってもらってんだ」
「ふぅん……。で、ラーニたちはなんか心当たりがあるのかい?」
「うん。王国でも帝国でも、似たようなやつに会ったことがあるの」
「似たようなってどういうこと? まさかノレッカを名乗る奴が何人もいるってことかい?」
「違う違う。腐ったような臭いがする奴に何度か会ったことがあるのよ。そいつらは『冥府の燭台』っていうアンデッドを操るとんでもない悪人で、私たちが追ってる相手でもあるの」
ラーニが真面目な顔でそう言うと、マーリさんも呼びに来た男女も、揃って難しい顔をした。
どちらにしろ見に行かないと話が始まらないということで、マーリさんがそのノレッカ氏を名乗る人物に会いに行くことになった。
話の流れからいって『天運』の仕業と思えたので、当然俺たちもついていこうとしたのだが、
「もし向こうがなにかを企んでるなら、ソウシさんたちはいない方がいいだろ」
と言われて、ラーニ共々隠れて見守ることにした。
もしそのノレッカ氏を名乗る人物を操っているのが『イスナーニ』『サラーサ』といった一度関係した連中なら、俺たちの顔を見れば逃げ出す可能性もあるからだ。
ただそれでもマーリさんたちが心配なので、マリアネに『隠密』スキルを使って近くで護衛をするよう頼んだ。
「すごいねこれは。臭いでそこにいるのはわかるけど、目ではまったく見えないね」
とマーリさんはしきりに感心しながら、里の外へと向かっていった。
俺たちは里の城壁まではついて行き、城壁の際で様子を見守ることにした。
メンバーの中で一番地味で目立たない俺が、一応顔を隠しつつ、城門の陰からやりとりを監視することにする。
俺の後ろにはラーニが張り付いているのだが、心配そうな顔と自分も見たそうな顔の半々でうずうずしている。
「ラーニはお父上の顔は覚えているのか?」
「ん~、一応ね。でもどっちかって言うとニオイの方をよく覚えてるわね」
「ラーニらしいな。しかしもし相手がラーニのお父上の身体を操っている奴だとしたら、それは許せないだろう?」
「そういう気持ちもなくはないけど、でも私たちってまずニオイで相手を判断するから。ニオイが違ってたら、見た目がどんなに似てても本人だとは感じないと思う」
「なるほど、そういうこともあるのか……」
獣人族らしいというか、非常に面白い感性だ。
しかし考えてみれば、人族だって見た目だけ似てても、相手の言動が全くの別人だったら同一人物扱いしなくなるだろう。そういう意味ではそこまで離れた感覚でもないのかもしれない。
さてマーリさんと案内の男女だが、路上に立っていた5人の人間のところに歩いていった。
うち一人は30歳くらいの壮年の狼獣人で、目元がラーニに似ているので彼がノレッカ氏を名乗る人物だろう。グレーの蓬髪が精悍な印象を与える、かなりの色男である。
他の4人は城門の番兵のようだ。虎獣人と犬獣人が2人ずつで、やはり警戒をしている様子がうかがえる。
マーリさんたちがその場にいくと、兵士たちは二言三言伝えて下がっていった。
距離は100メートル以上離れているが、マーリさんたちの声は俺の耳には届いてくる。
「アンタ……確かにノレッカなのかい?」
「ああそうだ、会いたかったぞマーリ」
「そうかい……私も会いたかったよ。それで今まで何をしてたのさ。見た目が川に流されたときそのまんまじゃないか」
「それなんだが、どうもずっと記憶を失っていたようだ。冒険者を続けていて強いモンスターと何度も戦っていたから、見た目が変わらないのはそのせいかもしれん。それに見た目だけで言えばお前も変わっていないように見えるが」
「そんなことはないさ。ずっとアンタの代わりに族長をやってたんだ」
「それは苦労をかけた。だがこれからは俺もいる。お前に苦労はさせん」
「それは嬉しいね」
そんなやりとりの後、マーリさんとノレッカ氏を名乗る人物は抱き合って、そしてこちらに歩いてきた。
俺たちはすぐに建物の陰に身を隠した。
ラーニが俺の脇をつついてくる。
「ソウシ、どんな感じなの?」
「一応マーリさんはノレッカさんを認めたような感じになったみたいだな」
「じゃあ本人ってこと?」
「どうだろうな。マーリさんの雰囲気だとまだ心から信じているという感じではなさそうだったが」
「お母さんも勘は鋭いからね。騙されることはないと思うわ」
「なら、とりあえず相手の狙いを確認するつもりなんだろうな」
話しているうちにマーリさんとノレッカ氏が並んで、話をしながら城門を入ってきた。彼らはそのままマーリさんの家に向かっていく。
ラーニが鼻をヒクヒクさせ、鼻筋に皺を寄せた。
「やっぱりあのニオイね。『冥府の燭台』のニオイ。まさかお父さんがそんな風にされるなんて思ってもみなかった」
「そうだな……。ラーニ、気になるなら今回は下がっててもいいぞ」
父親の身体が操り人形にされているというのは、まだ少女であるラーニにとってどれほどの衝撃だろうか。
先ほどはニオイが違えば……とは言っていたが、心というのはそんなに簡単に割り切れるものでもないはずだ。
という心配をよそに、ラーニはやはり態度をまったく崩さなかった。
「それは大丈夫よ。さっきも言ったけどニオイが違ったらもう別人だから。表面はお父さんの身体だけど中身はあのへんなドロドロでしょ? なにがあっても気にしないわよ」
「そうか……。ならいい」
「それよりどうする? 見張るんでしょ?」
「とりあえず家の周りで見張ることにしよう。だが全員でというわけにはいかないな」
「私はやるからね」
「わかってる。俺とラーニと、それとフレイに頼むか。『冥府の燭台』相手だとフレイの『聖者の目』スキルは大切だからな」
「了解。他のみんなはいったんカルマの家に行ってもらうわね」
「そうしてくれ」
というわけで、俺とラーニ、そしてフレイの3人はラーニの家の近くの物陰に身を潜め、他の6人はカルマの家で待機してもらうことにした。




