20章 『龍の揺り籠』、そして獣人の里へ 23
「勝負」というのは、なんと意外なことに『綱引き』であった。
家の前の庭で俺が待っていると、ゼンダル氏は家の奥から電柱くらいの太さの、長さ10メートル以上はあるだろう綱を持ってきた。この太さでないと『覚醒者』の力に耐えられないということなのだろうが、重さだけで数百キロくらいはありそうだ。
「勝負は簡単だ。これを引っ張り合って、どっちの力が強いかを比べるだけだ。わかるよなソウシさん」
「ええ、似たような競技をやったことがありますので」
「そうかい。ウチらはなにかあるとこれで力比べをすることになってんだ。悪いが付き合ってもらいてぇ」
「もちろんです」
とは言うものの、彼の言い方や表情からすると俺に勝てないのはすでにわかっている感じではある。ただ『けじめ』として通過しなければいけない儀礼ということだろう。
庭の真ん中でゼンダル氏と向き合う。周りにはもちろんメンバーやゼンダル氏一家のなどが勝負の行方を見守りに出ている。
「じゃあ始めるとするか。綱を持ってくれソウシさん」
言われた通りに綱を抱える。ゼンダル氏も同じように太い綱を脇に抱えた。号令はカルマだ。
「じゃあいくよ。構えて……始めッ!」
俺とゼンダル氏は同時に腰を落とし、互いに綱を引き始めた。
俺と勝負をするというのだから無論ゼンダル氏も『覚醒者』であるわけだが、その引く力からすると『剛力』の上、『金剛力』までは得ている感じがある。さすがに虎獣人族の長ということだろう。
そう考えると、多少ゼンダル氏に花を持たせないといけないような気もする。なにしろ族長の勝負を聞きつけたのか、見物人がすでに30人ほど集まってきているのだ。
「あ~ソウシさん、余計なことは考えなくていいよ」
俺の考えを察したのか、カルマがニヤッと笑ってくる。そういうことなら決めてしまおう。
「むうぅッ!!」
ゼンダル氏は鬼のような形相で綱を引いている。俺がゆっくりと力を込めて綱を引き始めると、ゼンダル氏の巨体がズルズルと前に滑ってくる。
「ぬうぅぅぅッ!!」
ゼンダル氏は唸るが、俺が綱を引くごとに、ゼンダル氏の身体は引きずられて前に出る。
5メートルほど動いたところでゼンダル氏が「参った!」と叫び、勝負はそこで終了となった。いつの間にか50人くらいになっていた見物人が一斉に沸く。
「はぁ、ふぅ……いや参った。まるで相手にならねぇ。しかもソウシさん、もしかして息一つ乱れてねぇんか?」
「力には自信があるもので」
「さっきの話もやっぱ全部本当ってことだよなぁ。わかった、カルマはソウシさんに預けるぜ。幸せにしてやってくんな!」
急に顔をほころばせ、俺の肩をバンバンと叩くゼンダル氏。
するとその言葉を聞いて察した見物人たちは、「あぁそういうことか」「えっ、あの美人、まさかカルマなのか!?」「ちょっとどういうことだよ?」「察しが悪いねぇアンタ」「くそっ、まさかカルマがあんな風に化けるとはな」などと言いながら散っていった。
しかしどうもよく分からないうちに話が勝手にまとまってしまった気もするが、まあ人生そういうものなのかもしれない。もとからそのつもりであったので、別に悪いことでもないだろう。
ということでゼンダル氏に肩を組まれながら、再度家に入ろうとしたところで、背後から女性の声がかかった。
「ゼンダル、呼ばれたから来てみたんだけれど、アンタなにやってんの? それにウチのラーニが来てるってホント? あの娘にはちょっと厳しくしてやんないとならないから、できればすぐに連れて帰りたいんだけど」
振り返ると、そこに立っていたのは、ラーニをそのまま大人の女性にしたような、紫の髪をアップにした狼獣人の美人であった。
「なるほど、たった一年半でAランクってのは確かに大したもんだ。それに帝国の武闘大会でも準決勝まで行ったなんてのも自慢できるね」
「そうでしょ。それに『ドラゴンスレイヤー』だし『トワイライトスレイヤー』だし、『黄昏の眷族』との戦争でも活躍したんだからね。ちゃんと勲章とかももらってるし、ほら」
ゼンダル氏宅の応接間で、今度はラーニと、ラーニの母上であるマーリさんとの対話が始まっていた。
その場にはゼンダル氏やマルザ夫人も同席していて、2人のやりとりを口の端をにやけさせながら眺めている。
俺はさっきまでと同じようにラーニの隣に座っているのだが、最初に挨拶しただけで、今のところは空気に近い状態であった。
「まあアンタがよくやってるってのは認めるよラーニ。でも私が言いたいのはそういうことじゃないっていうのはわかってるよな?」
マーリさんが静かな怒りをにじませて睨むと、ラーニは尻尾をビクッとさせて、それでも視線を逸らさずに見返した。
「まあ、なにも言わないで家を出てきちゃったのは悪いと思ってるわよ。でもああでもしなかったらお母さん私を出してくれなかったでしょ」
「そりゃそうだろ。アンタ頭があんまり良くないんだから、外出たらコロッと騙されそうだったしね。まあ鼻だけはよく利くから、そうはならなかったみたいだけど」
「ニオイを嗅げばどういう人間かはすぐわかるんだし騙されるはずないでしょ」
「だけどそういう話じゃないんだよ。アンタは私のたった一人の娘なんだから、私だって心配するんだ。そういうのもわからない?」
「それは……まあわからなくもないけど……」
急に親子の情の話をされると、尻尾がしおれてしまうラーニ。この手の言い合いは子どもが勝てる道理はあまりないだろうな。
「それでラーニ、それだけ活躍したんなら十分満足したんじゃないの? Aランクになるまで強くなったなら、後は族長の仕事を覚えりゃ十分やってけると思うんだけど」
「だから私は族長とかやる気はないから。だいたいお母さんだってやりたくなかったんでしょ?」
「やりたいかどうかじゃないんだよこういうのは。ともかくお前は一回ウチに帰って来な。その後のことをじっくりと話し合おうじゃないか」
「え~……。だってお母さんと言い合いになったら私勝てないし」
尻尾をぺたんと床につけながら、拗ねたような顔をするラーニ。こっそりと俺の袖をつかんで引っ張ってくるので、どうも助け舟を出せということのようだ。仕方ないので母娘の会話に割り込むことにする。
「申し訳ありませんマーリさん、少しよろしいでしょうか?」
「ん? ああ済まないね、ウチの娘が世話になったようで。ソウシさんだったっけ。なにかお話があるのかい?」
「ええ。どうやらマーリさんのほうでも色々事情がおありのようですが、できればラーニさんについては、このまま『ソールの導き』の一員として活動することを許していただきたいのです」
俺がそう言うと、マーリさんは片方の眉をピクリと動かした。
「それはウチのラーニが、戦力的にそちらのパーティに必要ってことかい? それとも……」
「もちろん戦力として必要なのです。今までの活動でも、ラーニさんには戦いはもちろん、様々な形で助けられていますし、今後いくつかの大きな仕事をするのに彼女の力は是非とも必要なのです」
「そうなのかい? 探せば代わりはいくらでもいると思うけど」
「いえ、帝国の武闘大会で上位に残るというだけで彼女の代わりは多くありません。狼獣人としての勘のよさも非常に貴重ですし、パーティのムードメーカーとしても唯一無二です。彼女の代わりはいないと断言できます」
「ふぅん……。随分とソウシさんはラーニを評価してくれるんだね。でも理由がそれだけってことはないだろ?」
「と言いますと?」
と咄嗟に聞き返してしまったが、マーリさんの視線を見ればなんの話をしようとしているかは明らかだった。なにしろ彼女は、俺の横や後ろにいる『ソールの導き』のメンバーをジロジロと眺めているのだ。
「それを親に言わせるのは男としてどうかと思うよ。違うかい?」
「いやそれは……」
確かにそれはその通りなのかもしれないが、しかしなんというか、そもそもラーニについては俺もそこまで覚悟が決まってなかったのも確かだった。
なにしろ彼女はソールの導きの中でも二番目に若いのだ。前世の倫理観を持ってくるまでもなく、普通に考えればそういう話にはまずならないはずなのである。
俺が口ごもっていると、袖が何度も強く引っ張られた。チラッと見ると、ラーニの目は「とにかくなんとかして!」と急かしてくるようだった。
俺は咳ばらいをして、マーリさんに向き直った。
「今我々は、この大陸全土に関わるような事件を追っています。その事件を解決するためにも、ラーニさんの力が必要なのは確かです。そしてそれらが終わった時、私はどこかに居を構えることになるでしょう。すでに帝国の帝都にも家を持っていますが、他の土地に行くこともあるかもしれません」
「それで?」
「その時にも、ラーニさんには私の側にいて欲しいと思っています。ですので、彼女が『ソールの導き』の一員として活動することをお許しいただきたいのです」
俺の微妙に誤魔化しの入った言葉を聞いて、マーリさんは「ふぅん、なるほどねぇ……」と言いながら、再び『ソールの導き』のメンバーたちの方に目を向けた。
「ところでソウシさんは貴族様という話だけど、ここにいる全員がラーニと同じってこと?」
「んっ!? あ、いえ、そういうわけでは――」
「全員同じだから。全員ソウシのお嫁さんだから」
俺が言いかけたところで、いきなり横からラーニが爆弾を投げ込んできた。
たしかに何人かはそうなのかもしれないが、全員ではない……はずだ。少なくともフレイニルとはそういう話はないし、そもそもラーニともそういう話をしたことはなかった。
「そうかい。まあどっちにしても、貴族さんにくれと言われたら断れないけどね」
俺の言葉がやはり信用できないのだろう、マーリさんは胡散臭そうな目を俺に向けてくる。
「ところでマーリさんはご息女を狼獣人族の族長にしたいと考えていらっしゃるようですが、代わりがいないということではないのでしょう?」
「もちろんそんなことはないよ。そもそも族長は代々男がやってきてて、私も死んだ旦那の代わりに一時的にやらされてるだけなんだ。ただラーニがAランクになったというなら腕っぷしは誰もが認めるだろうし、旦那の後をきちんと継げるんじゃないかと思ったんだよ」
「なるほど」
「私はそのつもりは一切ないからね。大体族長やりたがってる人は何人もいるでしょ」
ラーニが口を尖らせると、マーリさんは「はぁ」と大きなため息をついた。
「そりゃやりたい奴が相応しい奴ならそっちに任せるさ。でもそう簡単じゃないんだよ。長老たちが一時的にでも私にやれってゴネたのにはそれなりの理由があるんだよ」
「なにそれ。意味がわからないけど」
ラーニは首をひねるが、俺にはよくわかる話だった。
要するに、今族長をやりたいと手を挙げている人間に、族長たるに相応しい人材がいないのだろう。狼獣人族の組織については知るべくもないが、今の話を聞く限りでは、『長老』と呼ばれる存在がいて、裏から族長に相応しいかどうかを見極めているということのようだ。
当たり前の話だが、力を信奉する獣人族であっても、単に腕っぷしが強いからなんてだけで長を決めないということである。
マーリさんは首をひねるラーニの姿を見て溜息をついた。
「まあそのあたりもこの後家で教えてあげるよ。ともかくソウシさんの話はわかった。ただ今日はラーニは家に連れて帰らせてもらうよ。それはいいかい?」
「ええもちろんです」
ラーニは微妙に泣きそうな顔になって俺を見てきたが、これに関しては残念ながら俺ができることはない。マーリさんも「話はわかった」と言った以上、彼女がラーニをこれ以上引き留めることはないだろう。であればあとは親子の話ということになるのだから、ラーニにはせいぜい母親の愛情を感じてもらうだけだ。
それが例えお小言という形であっても。




