19章 『黄昏の眷族』を統べる者 18
地上に戻ると、いつもの通り『彷徨する迷宮』は消滅した。
外に出てまず感じたのは、はるか北の方から漂ってくる、恐ろしく不穏な空気だった。
「ソウシさま、あちらの方からとても強い、濁流のような重い力を感じます。周囲のものを圧し潰さないではいられないような不吉な力です」
とフレイニルが少し青い顔をしながら言うのも納得できるものである。当然他のメンバーも敏感に感じ取っていて、少しの間全員が無口になったほどだった。
俺たちは急ぎ領都へ戻り、皇帝陛下の座所となる侯爵邸へと真っすぐに向かった。
侯爵邸にたどり着くまでもなく、領都内はいたるところが慌ただしい様子であった。多くの冒険者や兵士たち、物資を積んだ馬車などが北門へと向かって盛んに動いていて、通りは騒然としていた。
道端で見送る人々の顔には不安が浮かび、これから未曽有の戦いが起こるのだという雰囲気が嫌でも肌で感じられるほどである。
侯爵邸も多くの人間が出入りをしている状態だったが、俺たちは最優先で皇帝陛下のもとに案内をされた。
「ああ、ソウシ殿、マリシエール、『彷徨する迷宮』は無事踏破できたのですね」
仮の作戦本部となっている応接の間に入ると、皇帝陛下はホッとした表情で立ち上がった。
「はい。それぞれ強力なスキルを得ることができました。ご安心ください」
「さすが『ソールの導き』ですね。察していると思いますが、ついに『黄昏の眷族』がこちらの大陸へ上陸をしました」
「お兄様、『黄昏の眷族』が『北の回廊』に到着するのはいつごろなのでしょう?」
マリシエールが聞くと、皇帝陛下は机上の地図に指を置いた。その指は、この大陸の北端、永久凍土と言われる土地を指している。
皇帝陛下の指は、永久凍土から南下して、山岳地帯を超え、東西を山脈に挟まれた平原へと滑っていく。その細長い回廊のような平原地帯は『北の回廊』と呼ばれ、今回『黄昏の眷族』の軍とはそこで会敵する予想になっていた。もしそこを突破されると、この領都までは『黄昏の眷族』を阻むものはない。
皇帝陛下は『北の回廊』から指を少し戻し、山岳地帯の上で止めた。
「物見の兵の話では、『黄昏の眷族』はやはりこの山岳地帯をほぼ直線に南下しているようです。その数も情報通り、3000は下らないそうです。空を飛べるものもいるのですが、今のところ地上を歩くものたちに歩調を合わせているとのことなので動きは速くありません。それでも人間と比べれば進みは速く、彼らが人間と同じように夜は休むと考えても、3日後には『北の回廊』の北側に到着するでしょう」
「では、私たちも急ぎ『北の回廊』に陣を張ることになりますわね」
「兵は明日の朝一番で出陣します。2日後に『北の回廊』の南に布陣、予定通りそこで『黄昏の眷族』を迎え撃ちます。以前お話しした通り、ソウシ殿たちには先陣をきっていただきたいのですが、問題はありませんか?」
「ええ、問題ありません。今回の戦いは逃げ場はありませんし、決着をつけるなら早い方がいいでしょう」
「そのおっしゃりようはとても頼もしく聞こえますね。私としても打てる手はすべて打ちましたが、『黄昏の眷族』が3000という数はこの大陸が初めて経験するものです。彼らのすべてが今まで見てきた『黄昏の眷族』と同じ力を持つのであれば、非常に厳しい戦いになるでしょう。正直な話として、ソウシ殿のお力に頼るところがあまりに大きくなります」
「そうかもしれません」
「ええ、間違いなくそうなります。しかし私は、今はこう言うしかできません。ソウシ殿、どうかこの国と、この大陸を守ってください。よろしくお願いします」
若き皇帝は、真剣な顔で俺に向かって頭を下げた。
俺としてはもとより受けるべき仕事であると認識しているし、メンバーにもそのことは何度か確認もしていた。戦いについても一度打ち合わせはしているところであるし、改めて皇帝陛下が頭を下げるなどということまでされて頼まれるのも、どうにも落ち着かないところではあった。
だがここは、そういった個人的な感覚は抑えるべきところだろう。
「かしこまりました。私と、私の仲間のすべての力を尽くしてきっとこの難局を打ち払いましょう。皇帝陛下におかれましては、ごゆるりと吉報をお待ちいただければと思います」
芝居がかった感じでそう答えると、皇帝陛下は莞爾として笑った。
「ありがとうございます。私は本陣でソウシ殿たちの戦いをこの目で見届けたいと思います」
さて、これでいよいよ後戻りのできない戦いに身を投じることになった。
しかし思えば、俺は大きな戦への参加はこれで2度目ということになる。1年前までは戦いどころか拳すら振るったことのない人間だったことを思うと、今さらながらに驚くべきことだ。
とはいえ今は大切なメンバーを抱えるパーティのリーダーであるし、せいぜい皆に不安を与えぬよう、歴戦の勇士を装って戦いに臨むことにしよう。
その日は宿に戻って一泊し、翌朝、俺たちは他の冒険者たちとともに、領都の北側の平原に整列をしていた。
平原には、今回の戦に参加するほぼ全軍が揃っていた。
最終的に、この戦に参加する冒険者はAランクが1000人弱、Bランクが3000人弱、Cランクが5000人強ということで、ほぼ予想通りの数となったそうだ。
それ以外に元冒険者で構成された帝国の精鋭兵が2000いるが、こちら実力的にはA~Dランクということで、A、Bに絞ると200人程らしい。それ以外に帝都の一般兵が3万、ザンザギル侯爵ら各領の兵が全部で2万というのが今回の全戦力である。
メカリナン国での戦を考えると帝国という大国の軍としては物足りないのかもしれないが、もと冒険者の精鋭部隊を持っていることが重要とはドロツィッテの言葉だ。
ともかくこれだけの数の兵士が並ぶ様は壮観と言うほかない。
俺たち『ソールの導き』は、軍の最前列、冒険者集団のほぼ中央最前列にいた。周囲にはジェイズ率いる『ポーラードレイク』や、ソミュール女史率いる『睡蓮の獅子』、大会一回戦で当たったヨーザム率いる『ティルフィング』ほか、闘技場でイスナーニが召喚したモンスターと共に戦ったパーティが集まっている。言うまでもなく帝国にいる冒険者集団の最高戦力ということになるだろう。
『ソールの導き』のメンバーで今この場にいるのは、俺、フレイニル、ラーニ、スフェーニア、マリアネ、シズナ、カルマ、ゲシューラ、サクラヒメの9人である。
マリシエールは行軍中は皇帝陛下の護衛につき、ドロツィッテはグランドマスターとして冒険者の統率を行うそうだ。いつの間にか俺の中でもドロツィッテが『ソールの導き』の一員扱いになっているのには苦笑するしかない。
しばらくメンバーとともに待っていると、マリシエールが俺のところにやってきた。
「ソウシ様、皇帝陛下がお呼びですのでこちらへお願いしますわ」
「わかりました。なにかあるのでしょうか?」
「ええ。出陣前に陛下が挨拶をするのですが、その時にソウシ様にも壇上に上がっていただきたいと」
「……そうですか」
全力で断りたいところだが、すでにそれは許されない身だ。しかしまさか戦前の演説に駆り出されるとは……いや、これは予想してしかるべきことだった。
皇帝陛下が乗る馬車は、祭の山車を豪華かつ重装甲にしたような、特殊なものであった。中央が高く舞台のように作られていて、そこに天蓋付きの玉座がしつらえられている。玉座のまわりには足場があり、そこに4人の親衛騎士が立ち、盾を構えて周囲を見張っていた。要するに、皇帝陛下が督戦するための指揮車両ということなのだろう。
玉座に座っていた皇帝陛下は、俺の顔を認めると、ゆっくりと立ち上がって一歩前に出た。白銀無垢の鎧が日の光にさらされて輝きを放つ。
彼は両手を広げ演説を始めた。




