麻薬商人2
残酷な描写ありです
男は、求めていた。
自らの胸に深く残った、出血の止まらない傷を紛らわせる何かを。何度も自殺が頭をよぎったが、男はある約束のためにそれをしてはならなかった。故に、虚ろな目をしつつも男は生きていた。
里子。孤独でどうしようもなかった男が愛したただ一人の女。親の顔も分からず、拾われた家で奴隷のように働くだけが男の知っている生き方だった。それが変わったのは、山菜を求めて入った山の中で里子と出会った時だ。
彼女も捨てられた子供だった。しかし、彼女は人生を諦めず山の中で生活し、町で山菜を売って自らの意思で必死に生きていた。言われるがままに働き、意志を持たない男とは対照的な存在。さらに、里子はいつも笑顔を絶やさなかった。とてつもなく、強い人間だと男は思った。自分よりも非力で、女で、折れそうなほど細い体をしている。それなのに、敵う気がしなかったのだ。たくましい姿に。力強く優しい笑顔に。
彼女を愛していると自覚してからは、家から逃走し、あらゆる場所で働き、金を貯めた。
「里子。俺と……一緒になってくれないか」
二人がしばらく平穏に暮らせるほどの金を携えて、男は告白した。
「はい」
里子もまた、孤独な中で出会った自分と同じような境遇の男が、心の支えとなっていた。言いなりで、意志を持っていなかった男が、自分のために行動をしてくれた。それは、里子の心を射抜くのには十分過ぎた。
二人は幸せだった。お互いを必要とし合える関係。お互いを気にし合える関係。正に求めていたものだった。
ある秋の夕暮れ。男が目にしたのは、いつものように「おかえり」と微笑みかける里子ではなく、頭を鈍器で殴られ既に鼓動を止めた死体だった。夕食の香りに混じり鉄臭い香りが漂っていた。
人は、本当に絶望した時、泣くことは出来ない。急に呼吸の仕方を忘れて、打ち上げられた魚のように口をパクパクさせるしか無くなる。
男には、里子しかいなかった。彼女さえいれば良かった。世界の全てだったのだ。
家に大した物など無かったが、かろうじて売れそうな物などが手当り次第盗まれていた。用心のために隠していた金は、無事だった。
「たとえどんなに絶望しても、私は絶対自ら命は絶たない」
「どうして?」
「だって、負けたくないもの。それに、私が死んだらあなたが悲しむからよ。だから、約束して。あなたも絶対に自殺だけはしないって」
絡めた小指の感触を思い出しながら、男は死にたくなった時に自分の小指を握った。
その約束だけが、この世界に留まる理由。
「そこの旦那」
クマができた重い眼球を、声の方に向ける。
「大丈夫か?」
目の前には深く笠を被り、顔がよく分からない怪しげな男が、顔を覗き込んでいた。
「絶望しているって感じの顔だな。どれ、これを飲んでみな。ちっとは楽になるぞ」
言われるがままに、男は渡された白い粉をガサガサに乾いた口に流し込んだ。
バチンバチン
頭の中で爆発が起きたかのような刺激。そして、快楽。
ああ、もうどうでもいいか。生きるとか、約束とか、愛とか。
「金はあるか? もっと欲しけりゃ……」
「ああ、いくらでもやる。だからっ……それを……」
二重にズレた視界の中で、男は売人に手を伸ばした。もう嫌だ。苦しいこの気持ちと向き合うのは。逃れられるならなんだっていい。
哀れな男から得た大金の二割はその売人に、三割は売人を手配した仲介人に、残りは『ハゼボシ』の製造者に渡った。
その日、町の片隅で男は首を吊って死んだ。愛した者の顔を忘れて。