絶世の美男子
「あんた、聞いたことあるかい? 『断罪の鬼夜叉』様の噂」
「『断罪の鬼夜叉』? なんですか、それ」
千代が掃除の手を止めて、お染の方を向いた。
「なんだ知らないのかい? 悪行を行ったヤツの所に現れて天罰を下すお方だよ。最近、豪商の松永が急に没落しただろ? それもそのお方の仕業らしいんだ」
物干し竿に布団を掛ける作業をしながらも、お染の顔はうっとりとしていた。豪商の松永は、ここら辺の町で名を知らない人はいない。表では着物や酒を売る商売をしていたが、裏では身寄りのない女子供を過度に働かせ、売り物を作らせていたというとんだ悪人である。
「まるで救世主様だとおもわないかい」
男勝りで正義感の強いお染は、そういう悪人が許せない一方、自分にはそれをどうにかする力がないと分かっているので、いつもやるせない気持ちを抱えていた。それ故に、自分の代わりに悪人を成敗してくれたことに、強い喜びを感じていた。
「そんなお方がいるんですね」
千代は嬉しそうなお染を見て、にっこりと笑った。両親を人斬りに殺され、一人になった自分を救ってくれた恩人の幸せそうな顔に、自分も嬉しく思ったのだ。
「どんなに悪いことをしている奴でも、警備役人の目を掻い潜ってしまえば手の出しようがないからね。ようやく痛い目見たようで、嬉しいよ」
目がチカチカとしてしまうほど真っ白な布団を、手で力強く叩いた。
「そ、れ、に」
お染は、雑巾を絞っていた千代の傍に行き、顔を近づた。あまりの近さに、千代の頬が少しだけ赤らむ。
「すっごい美男子なんだって」
肩を震わせてクスクスと笑う。お染は千代よりも五つほどしか離れていないため、まだまだ娘盛りだ。さらにキリッとした美人で芯のある人なので、力強さに惹かれ言い寄る男も少なくない。恋人がいないのは、ただ単にお染好みの人がなかなか現れないからだった。
「珍しいですね。お染さんが異性に興味を持つなんて」
「なんだい、私だって乙女だよ」
お染が口を膨らませる。
「すみませーん」
玄関の方から男の声がした。客が来たのだ。千代は濡れた手を拭き、お染は下駄を脱いで、共に声の元へと小走りで向かう。ただし、他の客に見られてもいいように、急いでいる時でも動きは美しく。体に染み付いた真っ直ぐな姿勢と足運びは誰が見ても上品なものだった。
「お待たせしました。ご宿泊で……」
いつもなら完璧に接客するお染が、目の前の男性客に言葉を忘れて固まった。千代が知る限りそんな失態をしたことなど一度もなかった。しかし、それも無理はない。
「なんて……」
美しい。千代が心の中で呟く。
「あっ、失礼しました。ご宿泊でよろしいですか?」
「はい」
赤面を隠すようにお染が深々と頭を下げる。慌てて千代も頭を下げた。
「何日でしょうか」
お染は、目を伏せて男性客の顔を見ないようにしながら言った。本来なら失礼に当たる行為だが、この場合しょうがないだろう。
一つに束ねられた、烏の濡れ羽色のまっすぐな長い黒髪。くっきりとした目。形のいい唇。笑った口から八重歯が鋭く顔をのぞかせ、体は少しばかり細いものの引き締まった筋肉が着物のうちに隠されていることが見て取れる。ここまで整った容姿は今まで見た事がない。後ろから光さえ差し込んでいるように見えた。
まさに絶世の美男子。
「一ヶ月ばかり滞在したいんですが、大丈夫ですか?」
これで性格が破綻しているとか、声が悪いとかならば釣り合いが取れそうなものだが、性格も良さそうだし青年らしい声も完璧に容姿に合っていた。
「はいっ、もちろんです」
お染の声が裏返る。部屋への案内は普段二人で行っているが、今日だけは千代が行った。無論、千代も男性のあまりの美しさに動揺はしていた。お染よりも平静を保つことができたのは、千代の好みが筋肉隆々の男らしい男性だからにすぎなかった。