その17.エゴを通す
俺は再び治療院のローワン先生のもとを訪れていた。
アシュレイもあれからチュベローズ邸には帰らず、治療院に滞在しているようだった。
「んで、どうするかお前さんの中で決まったのか?」
「はい。俺はやっぱり……アシュレイは家に戻らない方がいいと思う」
ローワンと並んで診療室に腰掛けていたアシュレイが、困ったようにうつむく。
「それは……! でも、母さまを放っておけないから……」
アシュレイの望みは母親を救う事なのは理解している。
しかし、アシュレイの母は過去に犯した不貞が原因で呪いを受けているという。
心から慕う母親の咎を知ったら、アシュレイは傷つくだろうか。
咎人だから救うのを諦めろと、アシュレイに突き付けるのか?
わからん!! そんなのは全て後回しだ。
身内が子供を呪うような家にアシュレイを帰したくない。
それが俺のエゴだ。
家族に対してどう思って、どう付き合っていくかは、アシュレイ自身が決めればいい。
だけどそれが出来るようになるまでは、家から遠ざかっていて欲しい。
チュベローズ邸の内情を聞き、そこがどんなに歪んだ場所であるか想像した。
そんな場所に身を置いて、健全な判断が出来るはずかない。
「アシュレイは、今後もしばらくローワン先生のところに居たらいいんじゃないかって」
「はあ!?」
ローワンが持っていた陶器のカップを勢いよくひっくり返した。
「お前、それは私に貴族のご令息攫って匿えって言ってんのか!?」
「そうなると、他に頼める人いないんで」
「私のことを何だと思ってんだ……まあ、それくらい出来んこともないが」
「出来るんですね……」
「まあな。今までしなかったのは、コイツが承知しなかったからだ」
アシュレイに視線を投げるローワン。
「……だってボクが家を出たら、母さまが……」
「ひとりになっちゃうのか?」
「……ううん。今はメイドさんもいっぱい居るし、生活は大丈夫……と思う。でも、母さまはボクがいないと絶対に悲しむ」
「アシュレイ自身はどうなんだ?」
「え……」
大きな瞳が困惑に揺れる。
「母親とずっと一緒にいたいのか? それとも、離れることに対して罪悪感があるのか」
「だって、っ……! 離れたら見捨てたみたいじゃん。何もしてあげられなかったなって、一生後悔する。そんなの、呪いみたいなものだ……!」
「呪いなんかじゃないよ」
一筋の涙を流すアシュレイに真っ直ぐ視線を投げ返す。
呪いと愛は紙一重だなんて、どこの魔導書に書いてあっただろうか。
「俺もアシュレイの母親を助ける方法を探す。今はわからないけど一緒に探す。それをするのと、アシュレイが家族から離れて過ごすのは両立すると思う」
「マリオン……?」
「だから、お前を傷つける人がいる場所になんて帰らないでくれ」
アシュレイの目が大きく見開かれる。
「あ~……ガッツリ説得してるとこ悪いが、このローワン先生の協力あってこそだぞ?」
「それはもう本当にありがとうございます!」
「だってよ、アシュ坊。お友達がこう言ってくれてるぜ」
ローワンは不敵に口角を上げてアシュレイを見た。
「寝泊まりのための場所ならいくらでも用意する。飯は期待すんな。掃除の分担は半々。家のことには口出さない。そっちも私の仕事と研究を邪魔しない。そんなもんでどうだ?」
「あ……え……、」
「待てよ、ガキが円満に家庭を出る方法、今思いついたぞ。結婚とかどうよ」
「それで円満になるのは結婚後の生活が万事上手く行った場合なんですが……というかそれこそ貴族がホイホイ出来ないでしょうに」
「まあまあ、時代はそのうち変わるぜ」
「時代とか関係なく好き勝手してる人が何を……」
話が脱線しつつある俺たちの間に、アシュレイが割って入る。
「……ねえ」
「なんだ、アシュレイ」
「本当にボクの母さまを助ける方法を、一緒に探してくれるの?」
「時間がかかっても、一緒に考えるよ」
「ボク、頼っても、いいのかなあ……」
「何を今さら。困ってたら助けて欲しいって言ってたろ?」
「……そうだっけ」
「そうだよ。俺が鑑定士をやれてるのは、アシュレイのおかげだって話の時に」
「そっ……か。ありがとう」
アシュレイは拳で涙を拭って立ち上がると、優雅に一礼した。
「マリオン。ローワン先生。これからよろしくお願いします」
■
チュベローズ邸は、息子が姿をくらましたというのに無風だった。
アシュレイの存在がなくても、屋敷は回る。不気味なほどに。
俺は屋敷に住まう狂公と、悪魔と呼ばれた女性のことを思った。
でも俺の思考に関係なく、きっと彼らは何も変わらずそこに在るのだろう。
「マリオンさん! 聞いたっすか?」
「……何を?」
食堂で昼休憩を取る。いつものようにジークが駆け寄ってきて、旬な噂を話してくれる。
「パンドレアの郊外の村で、珍しくて美味しい農作物が大量に採れまくってるらしくて! なんでも正体不明の農家が彗星のように表れてから、農業革命かってレベルで豊作らしいっす。しかもその農家、剣の腕もめちゃくちゃ凄くて、用心棒としても優秀みたいっす!」
「あ……あー?」
「俺も新種の野菜料理食いたいっす~!」
突如表れた謎の農家はもしかして、元勇者第一候補だったメイユールさんじゃないだろうか。
もしそうなら、第二の人生を満喫してそうで何よりだ。
「そういえば、ジークの出身ってどんな所なんだ?」
「え! マリオンさんからそういうこと尋ねられるの、珍しいっすね!」
ジークはどこか嬉しそうに笑った。
「俺の出身は、森の近くの村っす。今は落ち着いてるけど、昔はモンスターがめちゃくちゃ出る地域だったんで……俺も小さい時から討伐に駆り出されて。そのおかげで騎士団に入れるくらい、強くなれたっすけどね」
「……そうなのか。ジークも苦労してきたんだな」
「えっ! そんな湿っぽい話じゃないっすから~!」
みんな色々な事情があるんだな。当たり前のことなのに、それが凄く胸に刺さった。
「ちなみに、マリオンさんはどんなとこに住んでたんすか?」
「ああ、俺は……」
騎士団の昼下がりは変わらずに過ぎようとしていた。