その15.治療院にて
治療院のベッドを宿泊に貸してくれるというので、俺たちも先生に挨拶しておくことにする。
「へえ、アシュ坊が泊めたいっていうのはお前らか」
診療室に入ると、中性的な印象の人物が陶器の食器で飲み物を啜っていた。
くたびれた前開きのローブを雑に羽織った長身の大人だ。
「この人はローワン先生。治療師……って言っていいのかわかんないし、知識は偏ってるし、ちょっと頭のネジ取れた人だけど悪い人ではないよ」
「おいおい、もう少しマシな紹介をしてくれよ」
「えー……単なる好奇心だけで自分の身体を魔法で改造して男女両方の機能をつけた人を、どうやってマシに紹介したらいいの」
さらっとぶっ飛んだこと聞いたぞ。というか治療師に出来る技術の範疇超えてないか?
治療師っていうのは、魔術師の中でも怪我や状態異常や呪いの治療を専門にしてる人のことなんだが……。
「泊まりたいなら、適当に開いてる部屋のベッド使ってくれ。こんな時間にガキたち外に放り出すわけにもいかないしな」
「ありがとうございます……?」
倫理観があるんだかないんだかわからないところが、尚更不気味に思える。
「あの、アシュレイがよくここに来てるとか」
「あいつの母ちゃんのことで、相談を受けてたからな。直接診れないことには何も出来る事はないが」
「母さま、外出とか出来ないし。それに母さまのとこにお客さんを招くのも禁止されてるし。まあ禁止されてなくてもローワン先生は無理だったかもね」
「どうしてだ?」
「だってローワン先生、治療師協会を追放されてるもん。マッドサイエンティストとして」
「ええ……」
「人体実験に手を出す一歩前って聞いてたけど?」
ローワンは何も悪びれる素振りなく言い放つ。
「だって、人間が不平等だからだ。我々は、生まれ持ったスキルの性質で人生が決まると言っても過言ではない。ではその不平等を生み出す原因はどこにあるのか? スキル、能力とはどこからくるのか? 人体を隅々まで調べ尽くしたらわかるのか? ああ、この手で暴きたい」
「わ、わかりましたから……ちなみに自分の体を改造したっていうのは」
「それは趣味だ。やってみたら出来た。見るか? 私の成果を」
「全力で遠慮します」
治療師としてやっていけてるんだろうか、この人。
こんな人に自分の体の治療任せるの怖すぎないか?
「勘違いするなよ。私は同意のない処置はしない」
当たり前のことを胸を張って言っているのがますます怖い。
「ところで……アシュレイのお母様の呪いは、どのくらい続いているの?」
フリアエは先程から難しい顔をして、何か考え込んでいるようだった。
「ボクが物心ついた頃からだから、10年近く、かなあ」
「……ずいぶん、長い」
「フリアエさん、何か気になることがあるんですか?」
「呪いの発動には媒介が必要。維持には媒介はもちろん、それに見合うだけの魔力が必要」
「へえ、若いのに詳しいな。あんた魔術師か?」
「治療は専門ではないけど、魔法のことならたくさん勉強した。呪いの知識も齧ってる」
「あ、俺も呪いのアイテムに関することなら……」
呪いについて、それぞれの知識のすり合わせが始まった。
「一度かけたら外れない呪いなんて、少なくともわたしは聞いたことがない」
「呪いが続く場合は必ず媒介となるアイテムがあるかと」
「もしくは術者が近くにいて、定期的に呪いをかけ直してる可能性もあるぜ」
「10年も続く呪いなら、いまも誰かの手が介入してるのかも」
「ちょ、ちょっと待ってよ」
俺たちの考察を感心した顔で聞いていたアシュレイが、ふいに割り込んできた。
「じゃ、じゃあ誰かが今も母さまに呪いをかけ続けてるってこと!?」
「あくまで推測。でも、永続的な呪いがこの世に存在する可能性は、限りなく低い」
「そういう事例が発見されてないからな」
アシュレイは言葉を失った。
「……ん? アシュレイ、これまでもローワン先生に相談してたんだよな?」
「……そうだよ」
なら、今初めて知った、みたいなこの反応は何だ?
「ローワン先生、治療の専門家が、今日までその可能性に行きついていなかったとは思えません」
「……ほう」
「え、先生……なんで今まで教えてくれなかったの!?」
「私の仕事はあくまで人間の身体を診る事だぜ。人の家庭に首突っ込むのは専門外なんだよ」
「どういうこと?」
「母ちゃん、幽閉されててずっと屋敷内から出られないんだろ? その上、外部から誰かが訪ねてくるのも禁止。ってことは接触できる奴は少ないはずだ」
「そ、それって、屋敷内に呪いをかけてる人がいるってことなの!?」
「母ちゃんに接触しても怪しまれない奴。10年前からずっと。なんて、そんな奴限られてるだろ」
「……まさか。ボクの、家族……??」
力なくその場にへたり込むアシュレイ。
「ほらな。私に介入できることじゃなかっただろ」
「威張らないでください。アシュレイ、大丈夫か?」
「う、うん……でもなんで……? 男性を認識できなくなる呪いってだけでも、何で母さまがそんな呪いに? って思ってたのに。呪ってるのが家族の誰かなんて……ボクもうわかんないよ」
「今日はもう休もう、顔色がよくない」
「わたし、アシュレイをベッドに連れていく」
フリアエとアシュレイが退室して、部屋には俺と先生が残される。
「……そんな目すんなよ。私は私に出来ることしかしないだけだ」
「それは何とも言えませんけど……アシュレイが家出先に選ぶくらいだから、先生も極悪人じゃないって思えるんですよね」
「寛容だなあお前さんは。お前みたいな奴が傍にいたら、あいつの抱えてる物も軽くなるかもな」
そう言われても俺にはわからない。
父や叔父に疎まれ、母に存在を忘れられかけている相手に、どう言葉をかけていいのだろう。
「あの……」
その時、見知らぬ声が響いた。診療室の入口に治療着の女性が立っている。
「すみません、お水をいただけますでしょうか」
「おお、メイユール。具合は良くなったか?」
「はい。おかげさまで」
ここで治療を受けていたという、勇者第一候補だったメイユールが現れた。
ローワンが差し出す水差しを受け取ったメイユールは、躊躇いがちに口を開く。
「……それから、お話が聞こえてしまったものですから」
「え?」
「よそ様のご家庭に首を突っ込むべきではない、というお話を……」
俺たちの会話は、治療室のメイユールにも聞こえていたようだった。
「あー……お前さんは名門の家から離れて、これから気まま暮らしを始めるんだもんな」
「はい。ソニアさんに喝を入れられる前のわたくしであれば、とても考えられぬことです」
ですが、とメイユールは水差しを握る拳に力を込めた。
「ソニアさんはわたくしの家のことを『狂ってる』と切り捨てました。その時は、とてもショックを受けましたが……今になって思えば、その言葉はわたくしが無意識にずっと待ち焦がれていた言葉だったのでしょう」
「メイユールさん……」
「だってわたくし、生まれてはじめて、こんなに清々しい気持ちになれたのですもの」
メイユールは凛々しい顔を花のように綻ばせて微笑んだ。
「あ……差し出がましいことを言って申し訳ありません。ですが、その……これまで選択の余地なく居た場所を誰かがぶち壊してくれるというのは、とても嬉しいことだってお伝えしたくて」
「嬉しい……ですか」
「わたくしは、とても嬉しかったです」
なるほど。
「目つきが変わったな、お前さん」
「俺、アシュレイの言ってたことについて、もう少し行動してみます」
「いいんじゃねえの? ガキってのは無鉄砲になれて羨ましいねえ」
とりあえず、アシュレイの身内の中で話を聞けそうなのは以前に挨拶した姉だ。
呪いの理由についてや、家の状況について何か話が聞けるといいんだが……。
その前に、アシュレイからももう少し話を聞いておきたいな。
「あいつらにも何か飲み物を持ってってやれ。いま用意してやる」
「ありがとうございます、ローワン先生」
「酒か水しかないが、どっちにする?」
「その二択なら水一択しかないんですが。ちなみに先生が飲んでるのって……」
「酒だ」
「……治療中でしたよね?」
「心配するな、私が酒ごときで酔うと思うのか?」
やっぱりなんなんだ、この人。