五 不完全燃焼な社会
結局、職住一体化が便利、などと言う警部を引きずるように、あたしの家に連れ込むことになった。
「部屋が一つ空いてるな」
嫌がっていたワリに、アパートの部屋に入ると、警部はあちこちを覗いていた。
「その部屋は気にしないで下さい」
あたしの住んでいる2LDKの部屋には、諸々の事情から一部屋空いている。
「とりあえず、家が決まるまでここに居て下さい」
「それはいいが、荷物や着替えは」
「空いている部屋に入れて下さい」
あまり触れたくはない空き部屋の、有効活用だ。
「あと、これは部屋の鍵です」
「大体は一緒だから、いいんじゃないか?」
鍵を受け取りながら、警部は聞いた。
「仕事ですから、そりゃ一緒にいますが、それ以外の時間は出かけることもあります」
「そうだな」
何やら妙に納得したような顔で鍵をしまうと、警部は荷物を持って空き部屋に向かった。
「朝食は七時ですから」
ホテルのフロントみたいなことを言いながら、あたしも寝室に向かった。
行きがかりとはいえ、上司を泊めるとは我ながら人が良い。
その夜は久しぶりに二人分の食事を作ったり、嫌がる警部をお風呂に入れたりと、まあまあ色々あったが平穏に過ぎていった。
翌朝。
気がついてはいたが、びっくりするほど寝起きの悪い警部を、ベッドがわりのソファーから下ろしたり。
半分寝ている警部の顔を洗ったり、服を着せたり、食事をさせたり子供の世話か! みたいな感じでなんとか時間内に出勤することができた。
「もう少し、ちゃんと起きて下さいよ」
「低血圧なんだ」
言い訳なんだか、よくわからないことを言う警部を横目にあたしは捜査の報告書を読んだ。
今のところは進展なし、結婚式場に現れた友人も不明。
「進展なしか」
報告書を横から見ていた、楡松警部がつぶやいた。
「本部は捜査対象を、強行犯まで広げてる方針ですかね?」
「それは無駄な気がするが」
案の定、その後に行われた捜査会議の方針は強行犯による犯行の可能性を含めて類似の事件の検討に当たるとなった。
「今日は例の同僚を探そう」
「いいんですか? 一度聞き込みには行っているみたいですよ」
「同僚と言っているからには、きっと会社の中にはいるはずだ。類似の犯行を検索するよりは有意義だよ」
気楽に言い切る警部と共に、あたしは被害者が勤めていた会社に向かった。
「アポイトメントはございますか?」
まずは被害者の上司からと思って受付に名前を告げたところ、人形じみた受付の女性から営業か何かと思われたようだ。
「警察です、確認したいことがありますので営業部長の寺武さんをお願いします」
「承知いたしました」
人形じみた受付嬢は、警察と聞くと急に人間じみた動きをしはじめた。
わたわたと、あちこちに内線電話で連絡すると、何やら指示を受けてさらにどこかに連絡を入れてた。
そのうち受付嬢は連絡を何度か繰り返すうちに、言い間違いや間違い電話が発生し、時間と共にその回数が増えていった。
見るからに、焦りが滲み出てきていて、なんだかかわいそうになってきた。
「失礼」
突然、警部は受付嬢から受話器を奪うと、誰とも知れない相手に話始めた。
「寺武兵輔は在席なのかね? 私か? 私は警察の楡松だ。そうだ、誰の決済が必要? 君たちの都合は知らないよ。何かね? 君たちは強盗に襲われても警察を呼ぶのに決済が必要なのか? つべこべ言わないで寺務を呼び出すか、我々を中に入れたまえ。わかったか? よしそう伝えたまえ」
楡松警部は、一気に捲し立てると、そのまま内線電話をスピーカモードに切り替えた。
「き、君、訪問者用のカードを渡しなさい」
スピーカーからは、明らかに狼狽えた男の声が流れた。
「なんで体よく、追い払わなかったんだ」
スピーカーで聞かれていることも気がつかずに、男は電話の向こう側から、受付嬢に当たり散らした。
「君はできるのか?」
「あ、いや、なぜ」
楡松警部が急に割り込んできたので、男は再び狼狽した。
「自分にできないことを、人に強要しないことだな」
そう言うと、警部はさっさと電話を切ってしまった。
「いいんですか?」
「何がだい?」
来訪者用のカードを受け取りながら、あたしは聞いた。
「一応協力を『お願い』する立場じゃないですか?」
「言ったろう、ああいう輩は嫌いなんだ」
警部はそう答えると、さっさと先に行ってしまった。
あとあと問題にならないかな?
そうは思ったものの、その時は、警部をフォローしようと思い直した。
中に入ると、入ったで、どこでもカードキーが必要になってめんどくさかった。
「行き来しずらい作りですね」
「セキュリティってやつは、利便性を殺しにくるからな」
「物騒な事言わないで下さいよ」
我ながら、殺人事件の捜査に来て何を言っているのだろうと思った。
すると、警部がピタリと歩みを止めた。
「迷った」
「えー」
さっきから、同じ道を行ったり来たりしている気がしたが、やっぱり迷っていたのか。「仕方あるまい、どうにも案内がない」
「まあ、確かに表示もないですね」
見渡しても、どこに何があるか表示すらない。初めてくるお客さんは、困らないのだろうか?
さて、どうしたものか。
警部も流石に、途方に暮れたようにあたりを見渡している。
「あの、来訪者の方ですか?」
二人そろってあたりをキョロキョロ見渡していると、一人の女性が声をかけてきた。
「ええ、そうですが」
「どちらにご用ですか? よければ、ご案内しますよ」
ゆったりとしたワンピースの胸には、この会社の社員証がぶら下がっていた。
「申し訳ありません、営業部はどちらですか?」
「でしたら、あたしも行くところですのでご一緒にどうぞ」
ショートカットの女性は、にっこり笑ってそう答えた。前髪だけ少し長めにしているのか、瞳が少し隠れるように揺れる。
良く見ると、細いネックレスを隠すように首元から胸元に忍ばせている。
「ありがとうございます、助かりました」
警部が余計なことを言い出す前に、あたしはその女性の後について行く。
「ご案内もなしに通すなんて、苦情を担当に申し伝えましょうか?」
「いえ、その、こちらで押しかけてるところもありますので」
この場合の担当は、誰になるんだろう?
むしろ署長に苦情を入れられそうなのは、こっちの方なのに。
いくつか来た道を戻って、少しした所に営業部はあった。
「わかりづらい社内なのに、申し訳ないです」
「まったく……」
「こちらこそ、お時間をとらせて、すみません」
楡松警部が余計なことを言いそうになったので、被せ気味にお礼を言う。この際、猫みたいに持ち上げ黙らせるべきだった。
女性の後ろ姿を見ながら、あたしは後悔した。
「まったく、わかりづらい社内だ」
気がおさまらないのか、警部はまだぶつぶついっていた。
「そんな、親切な人に言っても悪いじゃないですか」
「社員だって自覚があるなら、なんとかすべきだ、総出で案内の紙でもテプラでも貼ればいい」
無茶苦茶なことを言い出すと、楡松警部は近くにいた男性を捕まえた。
「君、部長の寺武はどこだ?」
「え、あ、あちらですが」
男性の指差すオフィスの奥に、結構なスペースをパーティーションで区切った空間が見えた。
「なるほど、たいしたスペースだな」
警部は鼻で笑うと、指さされたスペースに向かって歩き始めた。
「最初からこうすれば良かった」
「はあ、それより、一応名乗った方が良かったと思いますが」
無茶に無茶を重ねる上司に、一応苦言を呈してみた。
「君だって名乗ってないだろう」
「通りがかりの人に、いちいち警官だっていったら驚くでしょう」
「制服警官を見て驚く奴はいないだろ」
「ここは公道でも、交番でもないですよ」
「ああ、そうか」
そこは納得するのかよ!
思わずツッコミそうになったが、すんでのところで自分を押さえた。今は、それどこではなかった。
スペースには扉は無かったが、パーテションに『営業部長』と大きめのプレートが表示されていた。
「失礼するよ」
止める間もなく、『部長室』に楡松警部は入ってった。仕方なくついていくと、中には数人の男性に囲まれた『いい色』に日焼けした男が座っていた。
「寺武さんかね?」
「そうですが、警察の方ですよね」
受付であれだけ騒ぎを起こせば、本人には伝わっているだろう。
「忙しいから、受付には断るように指示を出したんですがね」
やけに大きな机の向こうから、寺武は言った。部屋には簡易な応接セットまであり、シンプルに、偉そうな空気で満ちていた。
「冷たい男だな、君の部下が殺されたんだぞ」
そう言いながら、警部は勝手に応接セットのソファーに座った。
「もう、協力はしましたよ」
「解決まで何度でも協力したらどうかね? 人材は簡単に変えがきかないぞ、もっと惜しみたまえ」
警部の嫌いなタイプなのか、彼女は早々に寺武に噛みつきにいっている。
寺武はあたしも、一目見て嫌いになれるタイプの男性だ。
何かスポーツでもやっていたのか、それともジム通いでもしているのか、やけにがっしりした体格。そしてツーブロックの髪型によく焼けた肌。
全身から溢れ出るパワーエリート感がもうダメ、近寄りたくも無い。
「で、今日のご用は?」
周りにいた部下たちを下がらせると、不承不承と言うように寺武は応接セットに座った。
「香取澄子の社内の交友関係を知りたい」
「知りません」
にべもなく、寺武は即答した。
「いいですか、ええっと、お名前を伺ってないですな」
「楡松だ」
「関根です」
あたしも応接セットに座ろうかと思ったが、話はすぐに終わりそうなので警部の後ろに立っている事にした。
寺武に近寄りたく無かったし。
「楡松さん、警察ではどうか知りませんが、当社は部下のプライバシーに立ち入らない方針でして」
「そうかい、即答できるほど徹底してるとは恐れ入るな」
「おわかりでしたら、お帰りを」
慇懃無礼にそう言うと、寺武は立ちあがろうした。
「話は終わっていない」
「まだあるんですか?」
あからさまに嫌そうな顔で、寺武は座り直した。
「香澄澄子が、結婚する予定だったのは知っているかね?」
「知りませんな」
またしても、即答する寺武。
「先日も似たようなことを聞かれましたが、プライベートですので」
「しかし、御社だって慶弔見舞金や結婚休暇ぐらいあるだろ?」
あくまで、プライベートで押し切ろうとする寺武に向かって警部は切り返した。
「それとも、福利厚生すら整って無いのかな? 今度は労基署と一緒に訪問しようか?」
「……仕事上のスケジュール調整ならあったかもしれないが、結婚の話は聞いていない」
楡松警部の嫌みな言い方に、言い返せないまま寺武は言い訳がましく答えた。
「人望の無い上司だな」
「嫌味を言いに来たのか!」
怒鳴れば怯むと思ったのか、寺武は立ち上がるとそう怒鳴った。
「もう帰ってくれ」
「もう一つ、聞かせてもらおう」
楡松警部は、怒鳴り声などまったく意に介さず言った。
「まだあるのか!」
「まだ未解決なんだ、いくらでも疑問は出てくるさ」
「さっさと本題を切りだせ」
それはあたしも、同意見だった。
思ったより長くなった訪問のおかげで、直立不動のまま警部の後ろに立っているのは辛くなってきた。
「香澄澄子は優秀な社員だったそうだが、それは数字の上の話かね?」
「どういう意味だ」
「つまり、営業成績以外の、たとえば部下や後輩の指導や社内の評判という意味です」
これ以上話を引き延ばされるのは辛いので、あたしは思わず口を挟んだ。
「そういうことだ」
そう言うと、警部はちらっとあたしを振り返った。
もう少し気を使ってよ。
そう思いながら、警部を見返したがあまり気がついてはいないようだ。
「評判は、悪くない。前に来た刑事にも伝えたが社内の評判も良かった」
「具体的には?」
「具体的だと? ……指導力はあったと思う。たしか、彼女に指導させて、成績が向上した社員もいたはずだ」
さすがに細かく詰められると、寺武も答えないわけにもいかないようだ。
「なるほど、人望はあったようだな」
お前と違って、と言いたげにうなずくと警部は立ち上がった。
「お邪魔したね、帰らせてもらうよ」
「それはどうも、今度はアポイトメントを忘れないでくれ」
嫌みたらしく言うと、彼はあたしたちに背を向けた。
警部も用は終わったとばかりに、出口に向かって歩き始めた。
ようやく終わった。
あたしはほっとすると、警部の後を追おうとした。
「最後に一つ」
警部はくるりと振り返ると、そういった。
「なんだ!」
「さっきの成績が伸びた社員、男性か女性か教えてくれ」
「男だ、それがどうした!」
「ご協力感謝するよ」
警部はそういうと、今度こそ部屋を出た。
「やり過ぎじゃないですか?」
営業部を出て廊下に出ると、あたしは警部にささやいた。
「それほどでもないさ」
「相当怒ってましたよ」
「偉そうにしているワリに、堪え性がないだけだ」
馬鹿にしたように笑うと、警部はさっさと歩いていく。さすがに帰り道は覚えていたようだ。
「あら、お帰りですか?」
角を曲がったところで、バッタリと先ほどの女性に出会った。
「ええ、先ほどはありがとうございました」
「いえ、たいしたことでは」
それでは、と別れようとした時だった。
「君は、香澄澄子を知っているか?」
楡松警部が突然声を上げた。
「なんですか警部、やぶからぼうに」
あまりに突然すぎる質問に、あたしは警部をたしなめた。
「評判が良いなら、社内でも有名かと思っただけだ」
「だからって、こんな急に」
「あの、もしかして警察の方ですか?」
あたしたちが、いい合いをしていると女性が割って入った。
「知ってます、あたし香澄さんのことをよく知ってます」
「話が早い、少し話を聞かせてもらおう」
人の都合も聞かないで、警部は話を聞くことを決めてしまった。
「いいんですか? お時間とか」
「ええ、大丈夫です」
そう言うと、彼女はあたしたちを休憩スペースまで案内した。
「ここでもいいですか?」
あまり広くない休憩スペースには、他に数人の姿が見えた。
「あたしたちは構いませんが、聞かれて困る話とかはありませんか……ええっと」
そう言えば、まだ名前を聞いていなかった。
「重貫、重貫泉です。聞かれても大丈夫です、みんな知ってますから」
重貫はそう笑った。
「警察の関根です、こちらは楡松警部」
あたしは改めてそう名乗ると、手帳を示した。
「それで、あたしに聞きたいことって?」
「あの、寺武と香澄の関係だ。私の感触だとすごく仲が悪そうだが」
警部は単刀直入に話を始めた。
「悪いですよ。彼女は寺武部長の事を、嫌っていました」
「嫌っていた?」
確かに嫌われそうなタイプだが、よくある上司とのいざこざではないのか?
「部長はパワハラ体質で、何度も社員を潰してきました」
「そりゃ嫌われる」
警部が納得いったのか、うなずいた。
「それにセクハラも……女子社員のことをいつもベタベタ触ってきて」
アレに触られるのは、もはやホラー。想像しただけで、鳥肌が立つ。
あたしは、粟だった二の腕をさすった。
「香澄さんも被害に?」
「ええ、でもあの子はどちらかというと、部長にいつも止めるよう怒ってました。自分のことでも、他の人のことでも」
正義感が強かったのか、ハラスメントとはいえ上司に意見できる人は少ない。
「そのせいか、彼女がかえって部長に目をつけられたみたいで、何かと嫌がらせをされてました」
「嫌がらせ?」
警部が聞き返した。
あたしも香澄の言っている意味が、良くわからなかった。すでに嫌がらせを受けていて、その上で何をされたのだろう?
「なんて言うか、……ストーカーみたいな……。何かと言うと、『部長室』に呼んでぐちぐち嫌味を言ったり、必要もないのに出張に同行させたり」
「それは……嫌がらせじゃなくて、なんて言うかもっと悪質な付きまとい行為です!」
あまりの酷さに、あたしは声を上げた。
「パワハラの範疇を越える、身体的な危機だな」
警部も同じように怒っているようだ、いつもより声が硬い。
「そうなんです、彼女すごく悩んでいて」
「失礼、社内通報していた?」
「してました。でも、あまり効果がなくて」
沈んだ声で、重貫は答えた。
どんなブラック企業だよ。あたしは、人ごとながらキレそうだった。
「もしかして君は、香澄澄子とは、かなり親しかった?」
「……ええ、……友人……でした」
警部の質問に、少し考えてから重貫は答えた。
「なるほど、よくご存知だと思った」
楡松警部はそう言うと、続けて質問した。
「親しいと言えば、結婚式場に一緒に行くぐらいに?」
ハッとした、あの会社の同僚というのは重貫なのか。
あたしも、警部も彼女をじっと見つめた。
逡巡したのだろう、しばらく下を見ていた重貫の表情は前髪に隠れて伺えない。
そして、顔をあげると答えた。
「そうです、あたしが一緒に行きました」