表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/8

四 燻る証言

「指紋はなんとかとれましたけど、これだけ壊れてるとデータは無理でしたよ」

 鑑識官はそう言いながら、報告書を差し出した。

「ありがとうございます」

 礼を言いながら、あたしは報告書をを受け取る。警部の言う通り、ノートパソコンからは被害者の指紋が相当数検出され、本人のものとまず断定できる。また、被害者以外の皮膚の破片やDNAが複数あり今後も調査を続けるとのことだった。

 どうしてわかったんだろ?

 今日もあたしの席で寝息を立てている楡松警部を見ながら、あたしは訝しんだ。

 聞いたところで、教えてはくれないだろうが。

「警部、そろそろ起きて下さい」

 あたしは警部を起こしながら、報告書を自分のデスクに置いた。さすがにこの書類の山に積み上げるのは、相当な勇気がいる。

「ああ、おはよう関根君」

「早く顔を洗ってきて下さい、昨日の報告書が鑑識から上がってきました」

「ああ、わかった」

 ふらふらと立ち上がる警部に、あたしはタオルを押し付けた。

「メガネまで洗わないで下さいね」

「ああ」

 まるで署内に住んでるみたいだ。このまま事件解決まで、ここに寝泊まりする気なのだだろうか?

 ほんのりと、警部のぬくもりが残る自分のデスクに座り直すと、他のチームの進捗を確認する。

 ざっと目を通すが、特に進展は無い。

 被害者の評判は悪くなく、特に恨まれている様子も無かった。

 ついでに言えば、結婚の話を聞いているのは有掘以外は今のところいない、とのことだった。

「結婚寸前で別れた、とか?」

 そう言えば、遺留品に婚約指輪もなかった。常に身につけるものじゃないけど、指輪も贈らないで結婚するのかな?

 なんにせよ、もう一度、有掘には話を聞きに行かないと。そう考えていると、警部がメガネを拭きながら戻ってきた。

 どうやら、メガネまで洗ったようだ。

「それで報告は?」

 警部は自分の席に座るのに合わせて、あたしは鑑識からの報告書を手渡した。

「ノートパソコンは、本人のものと考えて間違いないようです」

「ふむ、データは修復は不可能と」

「物理的に破壊されているようです。やはり何度もコンクリートに、ぶつけられた形跡があります」

「魔法か何かでどうにかならないのか?」

「どうにもなりませんね」

 あたしは、にべもなく答えた。

「何とかできる魔法があったとして、直すのは裁判所の許可が出てからですね」

「証拠採用が難しいと?」

「刑事訴訟法は、魔法の存在をギリギリしか認めてないですよ」

 捜査への魔法の関与を認めると、証拠の捏造が無制限に行えてしまう。

「裁判官と弁護士が立ち会わないと無理か」

「そうです」

 つまり、起訴後まで魔法の関与は認められないのだ。

魔法そいつは、一旦あきらめよう。捜査の進展はどうかな」

 警部はメガネを外すと、タオルで拭き始めた。どうやら、水滴が取り切れていなかったようだ。

 メガネ外して、服をどうにかして、黙っていれば最高なのに。

 あたしは目の前の上司を、脳内でコーディネートしながら捜査の進展状況を伝えた。

 残念な事に、警部はなんの関心もないように、話を聞きながらメガネを掛けなおした。

「結婚式場の聞き込みは?」

 警部は、あたしの報告を聞き終わると確認した。

「まだですね、式場のパンフは数点ありましたが、今のところは後回しになってます」

「じゃ、我々で行こう」

 警部はそういうと、立ち上がった。

「それはいいですけど、課長に報告入れておきますよ」

「ああ、車で待ってる」

 また面倒なことは押し付けて。

 あたしはむかっ腹を立てながら、課長に今日の行動予定について報告に向かった。

 案の定、楡松警部の行動に関わり合いたくない課長は特にコメントもなく、あたしたちの行動予定を許可した。

「問題を起こさないように」

「了解しました」

 それは警部に言って下さいよ。あたしは、喉元まで出かかったセリフを飲み込んで答えた。

 ったく、どいつもこいつも。

 イライラしながら車に向かうと、どこで手に入れたのか楡松警部がパンを車内で食べていた。

「問題ないそうです」

「モゴモゴ」

「食べ終わってからでいいです」

 どうやら、ジャムパンを食べていたようだ。口元と手に持ったパンの切れはしに血のように赤いジャムが見えた。

「とりあえず、リストの上の方から行こう」

 警部が、ようやくパンを飲み込んだ。

「了解しました」

 あたしは、被害者の部屋にあったパンフレットのリストを手に取ると、最初の目的地をナビに打ち込んだ。

 しかし、こう毎日署内に泊まり込んで、朝食が菓子パンじゃ体が持たないのでは?

「警部、今日はお宅までお送りしましょうか?」

 さすがに倒れられても困るので、あたしはそう申し出た。

「ああ、頼むよ」

 ここのところ、警部は珍しく素直な返事をする。

 出会って数ヶ月もしないが、こんな素直な返事はそうそう無かったはずだ。

 相当疲れているのだろうか?

「わかりました」

 あたしもほっとしながら、車を走らせる。

 もうすぐ、最初の目的地だ。

 教会の尖塔が見えてきた。

「まずは、ここからか」

 警部はつぶやいた。どうも警部は、花婿の方に興味があるようだ。

 いかにも結婚式場然とした建物に足を踏み入れると、まだ肌寒いにもかかわらず肩まで出したドレスに身を包んだ一団がいた。

「結婚式ですね」

「式場だからな」

 当たり前のことを言うな、そんな顔で警部が答える。

「単なる感想です」

 抗議するあたしを無視して、警部は受付に向かった。

「警察だが、話を聞きたい責任者は?」

「支配人でよろしいですか?」

「結構」

 少々お待ちください。

 受付の係員は慇懃に答えると、別の係に何やら耳打ちをした。

 耳打ちされた女性の係員は、露骨に嫌な顔をした後に、あたし達を応接室と書かれた部屋に案内した。

「もう少々お待ちください」

 彼女も慇懃に頭を下げると、ドアを閉めた。

「あそこまで露骨な顔をされたのは、初めてです」

「あれは、耳打ちされたからだ。君だって、課長に耳打ちなどされたく無いだろ」

「少なくとも、男性にはされたく無いですね」

 その状況を想像して、あたしは身震いした。

 男に体の一部を触られるとか、耳元に口を近づけさせるとか、考えただけで虫唾が走る。

「内緒話をする時は相手を選ぶべきだな」

 珍しく意見が合ったところで、ドアがノックされた。

「失礼します、当式場の支配人でございます」

 そう言いながら、小脇に抱えたノートパソコンを応接机に置くと、名刺を差し出した。

 支配人の名前は、黒田というようだ。

「本日はどういったご用件でしょう?」

 結婚式のプランを勧めるような口調で、黒田支配人は言った。その間にも、抜け目なくノートパソコンを開いている。

「担当直入に申し上げますが、殺人事件の捜査です」

 さすがに、殺人事件の捜査というのは予想していなかったようで、黒田支配人は驚いた顔をした。

「あたしは刑事課の関根です、こちらは同じく警部の楡松です」

「殺人と言いますと、手前どもの関係者が亡くなったという事でしょうか?」

 自己紹介が終わった途端に、支配人は青くなりながら言った。

「あ、いえ。亡くなった方の部屋からこちらのパンフレットが見つかったので、念の為の聞き込みです」

 あたしがそう伝えると、支配人はほっとしたように答えた。

「でしたら、はい、お役に立てる限りお話しいたします」

「早速ですが、香取澄子さんという方が被害者なのですが……」

 あたしは、被害者の名前と住所を伝えた。

 支配人は、漢字や地番を確認しながらノートパソコンに何やら打ち込んでいた。

「その方でしたら、お問い合わせを頂いて、確かに手前どもから式場のご案内をお送りしています」

「確かですか?」

「間違いございません」

 おそらく、データベースか何かを調べていたのだろう。黒田支配人は力強く答えた。 

「ちなみにだが、問い合わせ内容を教えてくれないか」

 楡松警部が唐突に口を開いた。

「それでしたら……少々お待ちください」

 質問を受けた支配人は眉を寄せて、ディスプレイを見直した。

「ああ、ええっとお問合せはお客さまのプライバシーに関わりますので」

 急に支配人の歯切れが悪くなった。

「プライバシー? これは殺人事件の捜査なんだが」

「いえその、プライバシーですので」

「捜査協力はできない?」

「……上と相談となりますので」

 どうやら、答えられないようだ。

「もう一つ、被害者はここに来たかね?」

「いらしてはいません」

「確かかね?」

「式場の予約ですとか、相談にいらした記録は無いです、はい」

 先ほどとは打って変わって、よわよわしく黒田支配人は答えた。

「わかった、関根君行こう」

 急にオロオロし始めた支配人を尻目に、あたし達は式場を後にした。

「令状取りますか?」

 車に戻ると、あたしは警部に聞いた。

「まだいいさ。捜査関係事項照会書でも出せば、見せてくれるだろう」

 照会書は、警察署から捜査に関係する事項の情報開示を依頼する文書だ。裁判所の出す令状がと違って、強制性は無い。

「じゃあ、照会書出しますか?」

「それはまだ考えなくていい、式場を回ってから考えても遅くない」

「はあ……」

 いちいち、納得いかないなあ。

 あたしは、そう思いながら、車を発進させる。

「そういえば、なんでゴミ箱にノートパソコンがあると分かったんです?」

 納得いかないと言えば、これも納得いかない。少しは説明をしてもらわないとモヤモヤする。

「それは、簡単だ。というか、まだわからないのか?」

「わかりません」

 たまには嫌味を挟まないで、質問に答えてくれないかな。

「犯行は計画されたものでは無い、衝動的に起こしたもので火の付け方も、何もかもが乱雑だ」

 確かに、サラダ油をまいたところで、そんなに火は回らないのは常識レベルだよね。

「鍋に油を入れて油火災を起こしているが、出口に近い台所が最初に燃えれば、自分が逃げられない」

「……そうですね、でもなんで台所が最初なんです?」

「油の分量だよ、どれだけ入れればいいかわからないから、とりあず最初に一番多く使いそうな所からはじめたんだろう」

 確かに、後の火災箇所の油は大量ではなかったし、火こそつけたが燃え残りも多い。

「思いつきで火をつける奴は、証拠品を雑に扱う。それならゴミ捨て場に捨てるだろう、と思っただけさ」

「じゃあ無い可能性も」

「あったね、その時はその時だ」

 なんだかバカにされているような気がしたが、話の筋は通っている。

「もうそろそろ、次の目的地です」

「わかった」

 イラっとしたものの、とりあえずは仕事を優先することにした。

 その後、数件の式場を回ったが返答は黒田と変わりないものだった。

 どの式場でも、プライバシーを盾に問い合わせ内容を話さない。

 プライバシーには違いないが、なんだってそんなに話さないのか、ちょっと意味がわからない。

 楡松警部といえば、予想してたのか、ぜんぜん気にする様子はない。

「次で最後です」

「わかった」

 すでに陽も傾きかけていた。

 昼食はコンビニのパンを食べたが、よく考えれば警部は三食これだったので、どこかレストランにでも入れば良かった。

 本人は、気にしてないようだが。

「この方でしたら、先日ご相談にいらしてますね」

「本当ですか!」

 最後の最後でアタリを引いたので、自然とあたしの声も大きくなる。

「ええ、確か女性の方と一緒でしたね」

「女性?」

「ええ、式のプランをご紹介しましたが、ご友人と伺っ(うかが)ております」

 対応した初老の支配人は、穏やかに答えた。

「その、婚約者とか、親族みたいなそういう人とは来ていないのですか?」

「残念ながら……、私どもでは、伺っておりません」

「そんなこと、あるんですか?」

 意外な答えに、あたしはまた大声を出した。

「ええ、頻繁にございます。お相手のご意向を確認してから、ご一緒にいらっしゃるとか。式までお一人でいらっしゃる方も」

「そうなんですか」

「お見積りまでは、お名前を聞かないこともしばしばございます」

 あくまで礼儀正しく支配人は、微笑みながら答えた。

「皆さん事情がございますから」

 そう言われて、目を白黒させるあたしをよそに警部が口を挟んだ。

「一緒に来た友人の名前は聞いているかね」

「さて、対応した者なら聞いたかもしれませんが、記録にはございませんね」

「なるほど」

 何が面白いのか、警部はニヤリと笑った。

「どんな友人かな」

「会社の同僚の方、とメモにはありますな」

 微笑む支配人と、楡松警部が見つめ合う。

 なんなの、一体。

「わかった、また来るかもしれないが次は対応した方も同席頂くだろう」

「承知いたしました、ご協力いたしますよ」

 警部は礼を言うと、立ち上がった。

 あたしも、慌てて礼を言うと後を追う。

「普通友人と来ますか?」

「様々な事情って奴だよ」

 警部はそう答えるが、どうにもあたしには納得できなかった。

「それに、変ですよ結婚式を挙げるって決めてるのに婚約指輪も贈らないなんて……」

「ないのか?」

 驚いたように警部が声を上げた。

「はい?」

 あまりに突然だったので、あたしも驚いて聞き返した。

「遺留品に婚約指輪がないのか?」

「ええ、現場では収得されてないですよ。身につけてもいませんでしたし」

「そうか……」

 どこかアテの外れたような顔で、警部はそれきり黙り込んでしまった。

 あたしも、まる一日も式場を回ってクタクタだったので黙って車を走らせた。

 結婚式なんて、する予定って言うか、行くことすら無いのに。

「報告書を出しますから、少し待ってて下さい」

 署の駐車場に車を入れながら、あたしは楡松警部にいった。

「待つって、何を?」

「あたしですよ。忘れたんですか、家まで送るって言ったじゃ無いですか」

「ああ」

 そう言われて、警部はとんでもない答えを返した。

「いや、今のところ署で暮らしてるからここでいい」

「は?」

 泊まり込みで働いてる?

「部屋を借りるのが面倒で、署にいるんだが、若手じゃないし、独身だから寮に入れないんだ」

「じょ、女性が一人で家がないなんて、ダメじゃないですか!」

 非常識ここに極まれり。

 上司の非常識さに、あたしは頭を抱えた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ