三 半焼けの友情
車に乗ってからも、楡松警部は時折考えこむような表情するだけで黙り込んでいた。
沈黙に耐えかねたあたしは、口を開いた。
「警部、昨日はありがとうございました」
「あ、ああ……? なんだって?」
お礼の言い甲斐がない人だな。
考えごとに夢中だったのか人の話を聞いていなかったようだ。
「昨日の消防官をひっくり返したの、カッコ良かったですよ」
「そのことか」
警部はようやく思い出したようで、あたしの方に向き直った。
「本来なら、あたしが止めるべきだったんでしょうが……」
「そうかもしれないし、そうでないとも言える」
少し硬い声で、警部は続けた。
「昔は女だから舐められる、と思っていた。だが、ああいう輩は、人を下と見ると嵩にかかる」
その声は、はっとするほど鋭かった。
「人は誰もが強いわけではない。ただ私たちは強くない人の味方にならないと、せめて虚勢でもそうであるべきだ。そう思っているだけだ」
話は終わりだ、そう言わんばかりに懐からタバコを出すと警部は火をつけた。
薄い紫煙が、狭い車内に流れた。
「警部」
「なんだ?」
「公用車は禁煙です」
ちょうど目の前に、目的のアパートが見えた。
車を止めると、すぐに警部は外に出てタバコの続きを吸い始めた。
「ポイ捨てしないでくださいよ、仮にも警察官なんですから」
「携帯灰皿ぐらい持ってる」
警部は不貞腐れたように答えると、取り出した携帯灰皿にタバコを放り込んだ。
「ここに、学生時代の友人が?」
被害者の香取の家とは対照的な、見るからに古めかしい木造アパートだった。
「同じ大学なのに、住む家がこんなに違うものかね?」
「有掘貴雄は、大学の助教だそうです」
「なるほど」
有掘貴雄は、近所に住む被害者の友人。本人が言うには大学時代の友人らしい。
ギシギシいうおっかない階段をあがり、二階の角部屋が彼の部屋だった。
「有掘さん、ご在宅ですか」
ノックをしながら声をかけると、返事とともにドアが開いた。
「はい、有掘ですが? なんでしょう?」
今時、不用心だな。と思いながら手帳を示した。
「警察の関根です。それから楡松警部」
「楡松です」
警部の場合、先に階級を明らかにしないとあたしより年下に見られることがある。そのせいか、先んじて階級を言う癖がついた。
「警察の……香取さんの件ですか?」
「ええ、中に入っても? 少しお話が」
「どうぞ、散らかってますが」
失礼します。そう言って部屋に入ったが、想像以上に散らかった部屋に思わず立ち止まった。
「あの、その辺の本とか適当にどけてください」
有掘はそう言ったが、本をどけても置く場所がない。なんとか本の山を崩さないように、山の上に本を積み二人分のスペースを確保した。
「香取さんとは、ご友人とお伺いしましたが?」
本の山に隠れそうになりながら、警部が切り出した。
「ええ、学部もゼミも同じだったので、学生時代は親しかったです」
「今は?」
「うーん、昔の友人……ですね。たまたま家が近所だとわかったので、道で会えば世間話ぐらいはしますが……」
警部の質問に、小首を傾げながら有掘は答えた。
「親しくはない?」
「そう言い切ってしまうほどではないですが、強いて言えば住む世界が違う……ですかね」
そう答える有掘は、自嘲というより困っているようであった。
「見ての通り、僕は裕福では無い大学教員に過ぎません。彼女は……大企業で働くバリキャリです。ひがみではないですが、ちょっとコーヒーを飲もうかと思った店の選択が違う」
「専門店か、コーヒースタンドか。そんな違いですか?」
警部の問いに、有掘はうなずいた。
「まさに、そうですね。それでもまあ、彼女は気を使って僕に合わせてくれてはいましたが……」
彼は人の良さそうな顔に、苦笑いを浮かべた…
「仕事の愚痴を聞いても、応えられていたか……今となっては分かりませんが」
「あなたの愚痴は聞いてもらえました?」
「僕のですか?」
有掘は驚いたように楡松警部に問い返した。
「あなただって、仕事の愚痴ぐらいあるでしょう?」
「そうですね。ポストに空きがないとか、論文が進まないとかそんな話を聞いてもらいましたね」
「香取さんは理解していた?」
「理解していたと思います。ゼミも同じでしたし、彼女は学生の頃から聡明でしたから」
「お話を伺っていると、有掘さんは、香取さんのことをよく理解されているようだ」
警部の指摘に、有掘は驚いたようだ。しばらく黙りこむと、苦しそうでもあり嬉しそうでもある複雑な表情を浮かべた。
「そうですか? 確かに、上司の愚痴や人間関係の相談をされたこともありますが……僕の答えは役立ったかどうか……」
「たとえば、結婚とか?」
その問いかけに、有掘は電撃に打たれたように驚愕の表情を浮かべた。
「待ってください、お相手にもう合われたんですか?」
「つまり、近々結婚することを知っていた?」
二度追いするように、楡松警部は質問の手を緩めない。
「ええ、プランを受け入れてくれる式場が見つからないとか、新居探しも難航しているとかそんな相談を受けました」
話を聞くだけでは、一般的な相談ばかりのようだ。もっとも有掘のようなタイプに相談しても、確かにたいして役に立たなそうだが。
「なるほど。お相手はご存知ですか? 我々はまだお相手を掴んでいなくてね」
「え、……ご存知ない?」
「ええ、存じ上げていません」
その答えは、有掘にとって意外だったようだ。彼はしばらく下を向いて、何かを考えていた。
「私も、詳しくは知りません。会社の同僚だというぐらいしか」
歯切れ良く、有掘は答えた。
「なるほど、なるほど。念のためですが、事件当日の行動を教えて頂けますか?」
今日のところは切り上げるつもりのようだ、楡松警部にしてはあっさりしてるので、あたしには意外だった。
「あの日は、家で論文を書いていて、小腹が減ったので近くのコンビニに行きました」
「時間は覚えていますか?」
「さあ? 多分十一時ごろですね」
有掘の腹時計では何の証拠にもならない。
「その時には火事の事は?」
「もちろん知りません。コンビニに行く途中で、消防車が通ったので近所で火事かなと……」
記憶を辿るように目を閉じると、有掘は続けた。
「そう、消防車の向かう方向に煙が見えました。香澄さんのマンションの方角だったので、スマホにショートメールを送ったんですが」
「返事は?」
「……帰ってきませんでした。心配になって電話してみたんですが……」
「繋がらない?」
有掘が苦しげに黙り込んだのを見て、警部は先を続けるように促した。
「ええ、繋がりませんでした。電源が入ってないと自動応答が帰ってくるだけで。それで急に心配になって、マンションの前まで行ったんですが……」
有掘は少し悔しそうな顔をしていた、もう少し早く出かけていれば香取澄子を救えた。
そう言いたげな顔だった。
「現場にはどれくらい?」
「わかりません。刑事さんに香取さんとの関係を話して、帰ったと思います。気がついたら、部屋にいてもう朝でしたから」
無理もない、友人が亡くなった日に正気でいられる方が珍しい。
それはともかく、有掘にアリバイが無い事は確かなようだ。
「お時間を取らせましたね。行こう、関根君」
あたしは、警部にうながされるままに有掘に礼を言うと車に戻った。
「怪しく無いですか?」
車に戻って早々に、あたしは口を開いた。
「何がだい?」
「結婚の相談をされてるのに、相手がどんな人物か知らないなんでおかしいですよ?」
そしらぬ顔の警部に向かって、あたしは言った。
「君は、今日の朝食の内容をいちいち説明するか?」
「しませんけど」
「じゃあ、そんなものだろう? それに『婚約者』に、何か事情がありそうだよ」
「そうですか?」
あたしはその答えに、イマイチ納得いかなかった。
「でも、『婚約者』に事情がありそうですというのは?」
「すぐにわかる話だよ。車を出してくれ」
あたしは質問は、はぐらかされた。
やっぱ、この人は苦手だ。
「そうだ、現場に寄ってくれ」
「わかりました」
現場まで車を走らせる間、あたしは機捜の報告を思い出していた。
現場にいた有掘は、現場に急行した機捜の刑事に自ら名乗り出て被害者の安否を尋ねた。
その際に、被害者との関係や自分の連絡先まで伝えている。
その最中に彼女の死亡が確認されたので、かなりのショック受けてその場を立ち去っている。
先ほどの話と、矛盾点は無い。
無いのだが、何か引っ掛かるような。
「もう一度、部屋を見ます?」
車を止めながら、あたしは警部に尋ねた。
「いや、ゴミ捨て場に行く」
まさかのゴミ漁りか。
あたしは嫌々ドアを開けると、警部と裏手にあるゴミ捨て場に向かった。
「どこからやります?」
見た目はキレイに見えるゴミ捨て場に立つと、手袋をはめながら警部に聞いた。
「多分、その蓋のついたゴミ箱を開ければ見つかるはずさ」
楡松警部の根拠があるのか無いのかよく分からない指示に従って、あたしはゴミ箱を開けた。
固定式の四角い箱に、跳ね上げ式の蓋のついた一般的な集合住宅向きのゴミ箱だ。
中を見ると、ゴミ捨ての日を守らなかったらしい住民の捨てたゴミ袋がいくつかあった。
「見つけるって何です?」
あたしは、懐中電灯で中を照らしながら警部に聞いた。
「何が入ってる?」
警部は質問に答えないまま、あたしに指示した。
「ゴミ袋だけですよ……後は……」
そう答えながら、隅の方を照らすと何か四角いものがあった。A4ぐらいの大きさの、ちょうどノートパソコンみたいなものが見えた。
「ノートパソコンですかね」
ゴミ箱から取り出した、それはノートパソコンの残骸だった。何度も硬いものにぶつけたのか、完全に壊れている。
「ノートパソコンさ、被害者のね」
楡松警部はノートパソコンの残骸を受け取りながら、そう言った。