一 生焼けの朝
これは、あたしと明希の二番目の事件だ。
本部から来た変な警部。しかも、直属の上司。あの頃、あたしは彼女のことが好きではなかった。
いや、毛嫌いしていた。
そのころのあたし——関根環は、プライベートでの最悪な出来事のせいで、憂鬱な日々を送っていた。
「おはよう、関根君」
「おはようございます、楡松警部」
そろそろ春の装いだと、世間がそう思っていようがいまいが、この日も楡松明希警部はダッフルコート姿だった。
「現場はあのマンションです」
あたしは消防車が数台止まり、いまだ焦げくさい匂いが立ち込めているアパートをそっけなく指差した。
「今回は魔法は関わってそうかい?」
「今の所は、普通の放火殺人事件のようです」
あたしの答えに、楡松警部はつまらなそうな顔をした。
「この前みたいなことにはならないか」
この町には、魔法の力が息づいている。
それが時折悪さをして、あたしたち警察を悩ませる。
この町に来たばかりの楡松警部は、初日から魔法絡みの事件に巻き込まれた。
前回の事件を無事に解決した警部は、よほど楽しかったのか魔法関係の事件をお望みだったみたいだ。
「多分、なりませんね」
「そうか」
警部はそう言うと、めんどくさそうに規制線の黄色いテープをくぐった。
警部は規制線の向こう側で、マンションの外観をしばらく眺めると、あたしについて来るように手で合図した。
その辺は制服警官にオマカセしたかたったあたしだが、呼ばれてしまうと行くしかない。
あたしはイヤイヤ、と思っていることを悟られないように規制線を跨いだ。
「で、なんで殺人だと?」
「気が付いたかと言うことですか?」
肝心なところを省略する楡松警部に、イラっとしながらあたしは答えた。
「君が殺人と気づいたワケじゃないことは、わかっている。つまり第一発見者は誰かと言うことだ」
「消防の救急隊です」
ムッとしながら、あたしは答えた。
「首に索状痕があったので、他殺ではないかと警察に連絡したそうです」
「その隊員は?」
「消火と救命がひと段落したので、現場に待機してます」
「周辺の聞き込みは?」
「現在、機捜が対応してます」
「では、我々は救急隊員から始める」
矢継ぎ早の質問が終わると、楡松警部はスタスタ歩き始めた。
「向こうのパトカーか?」
「ええ、あれです」
楡松警部は指差したパトカーの横には、消防本部の軽自動車が停まっていた。
多分迎えに来た車なのだろう、白衣姿の救急隊員が軽自動車の運転手と話をしていた。「失礼、警察の楡松だ」
「同じく関根です」
救急隊員に手帳を示すと、白衣の男はこちらに向きなおった。
「喜田っす、喜田消防士です」
喜田消防士は筋肉質な、というより筋肉達磨的な肉体とよく焼けた肌を持つ若者だった。
「喜田君、早速だが何年目かね?」
「高校を出てすぐ消防官になったんで、七年目っす」
喜田は両手の指を折りながら、警部の質問に答えた。どうも咄嗟の質問には弱いらしい。
「今回の遺体はどう見た?」
「どう……っすか?」
質問の意図が、わからなかったようだ。
喜田は、困惑した表情で答えた。
「すぐに絞殺と気が付いたのか、遺体の状況から何か違和感は無かったか。と言うことですね?」
最後は警部への確認だ。楡松警部の質問が端的すぎて喜田がついて来れていない。
「その通りだ、君の七年間の経験で答えてくれ」
「ああ、現場で一酸化炭素中毒の要救助者はよくいるんで、あの御遺体も目立った外傷とかなかったんで、まあそうかなと」
喜田は頭を掻きながら続けた。
「声をかけても、反応が無いのでこう仰向けにして様子を見て、どうなってるか見たんですけど」
くせなのか、喜田は身振り手振りを交えながら遺体の状況を説明した。
「したら首に痣、っていうか索状痕らしきものがあったので、これは煙を吸って倒れたんじゃ無いと思って、すぐにバイタル見たんです」
「索状痕は見慣れていたんだな」
話に熱中するあまり、身振り手振りにも熱が入る喜田はいつの間にか汗だくになっていた。
警部はそんな喜田を面白がるように、続けた。
「救急の現場だと、殺人はポピュラーじゃ無いだろう」
「あー、殺人とかはあんま多くないっすね。でも自死の現場とかは年に何回かあって」
「それに似ていたと?」
「そうっすね、見覚えがあるやつだと」
少し状況を思い出すように、考えながら喜田は答える。
「それに、ご遺体の損傷具合を見ても、焼けてないんで、紐だけ焼けるとかありえないじゃないっすか?」
「良いところに目をつけたな、なかなやるじゃないか」
「そうっすか、照れるな」
楡松警部の皮肉とも賞賛ともつかない一言を、喜田は素直に賞賛と受け取ったようだ。 無駄に筋肉をつけているところは別にして、喜田の言うことに嘘はなさそうだ。
嘘がうまいタイプにも見えない。一応は信用しても良さそうだ。
「他に何か気が付いた点は?」
「よく見たワケじゃ無いんで、アレっすけど。なんか焼け方がヘンでしたね」
「ヘン?」
警部にそう聞き返されて、喜田は考え込むように腕を組んだ。
「自分より、調査の人が詳しく調べると思いますけど、なんか焼け方がまだらだったんっすよ」
「まだら?」
「燃えてるところと、燃えてないところがこう、まだらにあって、おかしな感じがしたっすね」
喜田の言葉を聞いて、楡松警部はスッと目を細めた。
「いい着眼点だ、なるほど……まだらね」
ニヤリ。
皮肉じみた笑みなのだが、楡松警部がそう笑っても迫力というか、色々欠ける。童顔のせいか、どうにも可愛らしく見えてしまう。
あたし好みの笑顔だ。
「ありがとう、喜田君。大変参考になった」
「え、そうっすか?」
「さて、関根君。我々も、そのまだらな焼け跡を見に行こうじゃないか」
褒められて、ニヤニヤしている喜田をそのままに、警部はスタスタと歩き始めた。
「まだらに焼けてるって……どういう意味ですかね?」
「見ればわかるさ」
喜田のいうところの『まだら』の意味がのみこめていないあたしに、警部はニヤニヤと笑うだけで答えてくれなかった。
当時はこういう、思わせぶりなことをされるのが嫌いな理由の一つだった。
「消防の調査を待ちませんか?」
「連中の邪魔はしないよ。それに彼らは火元の特定はできても、殺人事件の解決はできないだろ?」
警部は自信満々にそう言うが、そもそも権限が違うのでは?
そうツッコミたかったが、とりあえず言われるままについて行くことにした。
マンんションはごく最近建てられたようで、エントランスより先には鍵が無いと入れないタイプだった。
もっともこの時は、火災の後だったので、扉は開放されていたけど。
三階の現場までは、あちこち水たまりのできた階段を、滑らないように上に登って行かなければならなかった。
なんとか目的の階に到着すると、フロアには煙が立ち込めていて、まさに鎮火直後と言った雰囲気だった。
階段と廊下をのたくっているホースは全て一つの部屋に向かって伸びていて、まるで矢印のように見えた。
「これは、確かにまだらだな」
部屋を覗いた楡松警部は、関心したように言った。
部屋の数箇所には激しく燃えた跡があったが、部屋そのものは原型を保っていた。
「台所、本棚、机、あとはリビングの四隅か」
忙しげに動き回る消防官たちを尻目に、警部はどんどん部屋に入っていく。
さして広くない1LDKの部屋。そのリビング部分の中央付近に、白く象られた人型があった。
おそらく遺体の発見箇所なのだろう。四隅とはいえリビングが燃えていることを考えると、もう少しで遺体も灰になっていたかもしれない。
「寝室も布団が燃えたぐらいか? 中途半端だな」
楡松警部が呆れたように言うと、ほぼ燃えている本棚に近寄った。
「あまり本は無いな、ノートと……これはパンフか?」
一応気を使っているのか、警部は燃えた残りを崩さないように、ちょいちょいと突いた。
「ちょっと、足元気をつけて、あんたらナニモン?」
警部は本棚を気にするばかりに、床に落ちたノートを踏みつけるところだった。
「警察の楡松警部と関根です」
怪しげにあたしたちを睨む消防官に、手帳を示した。
「鑑識なら先に帰ったぞ」
「私たちは刑事でして」
「刑事ねえ?」
ジロジロと値踏みするように、中年の消防官はあたしたちを眺めた。実際値踏みしていたのだろう。女であるだけで刑事という職業には、ふさわしくないと思われがちだ。
喜田のように、性別を気にしない方が珍しい。
「このノート、鑑識に回そう」
消防官の存在を無視して、楡松警部はノートを摘み上げるとビニールの証拠回収袋に入れた。
「こっちのパンフも持っていって欲しいが、でかいなこれは」
「おいおい、勝手はやめてくれないか?」
次々と証拠として持ち去ろうとする警部に耐えかねたのか、消防官が慌てて止めに入ろうとした。
「必要な写真ならもう撮ったろ? 殺人は私たちの領分だ」
あっち行けと言わんばかりに、楡松警部は言い放った。
警部は大柄な消防官に対して、一歩も引く気はないようだった。
「なんだと!」
軽く見ていた相手に強く出られたのが気に障ったのか、あたしが止める間もなく消防官は警部につかみ掛かろうとした。
楡松警部は、意外にも素早い動きで軽く身をかわすと、消防官の手から簡単に逃れた。
「あっ……!」
消防官はバランスを崩すと、そのまま本棚に激突した。
その衝撃で、本棚の残骸から色々な物が転がり出た。
「あちゃー」
幸いにも本棚の残骸は無事だが、パンフやその他のものが本棚の周辺に散らばった。
「なるほど、これは結婚式場のパンフレットか……」
結果的に現場を荒らしてしまった消防官は、青い顔で尻餅を突いたまま立ち上がれていない。
そんなことにはお構いなく、警部は雪崩れ落ちたパンフレットなどを検分した。
「関根君、この紙も鑑識だ」
そう言われて見ると、何かをプリントアウトしたA4ほどの紙を警部が摘んでいた。
半分焼き焦げたそれを受け取ったが、差出人などの情報部分は焼き焦げて読めなくなっている。
「恨み言ですね」
証拠用の袋に入れて見ると、被害者への恨み言だろうか『相手にしなかった』とか『気を持たせるだけの性悪女』など、みっともない恨み言が書かれていた。
「怨恨ですか?」
「それはこれからだ、さて、一度出ようか」
警部はそういうと、スタスタと現場を出ていこうとした。
「覚えてろ!」
件の消防官が顔を真っ赤にして、こちらを睨んでいた。
「君の不始末など、覚える価値もない」
警部は一度だけ振り返ると、スタスタと出ていく。
あたしも、少しだけ警部を見直して、現場を出た。