戸惑い
「ディーン・・・実はコールリッジ家から、令嬢との婚約の打診が来ているのだが・・・」
遠慮がちに父が聞いてきたのは、私が8歳の時だった。
「先方の令嬢が、ディーンの事をたいそう気に入ったらしい。お前に異存が無ければこの話を勧めたいのだが・・・」
父の口調は歯切れが悪い。何故ならこの婚約を断る事は、不可能だからだ。
同じ公爵家とはいえ、コールリッジ家は皇帝に意見出来るほどの権力と財力を誇っている。それに比べて我がギャロウェイ家で誇れるのは血筋だけだった。
辺境近くの領では特筆できる産業も、発掘できる資源も無い。やせた土地が多く主要な産物はワインに使うコルクの木ぐらいだ。
「・・・わかりました。話を進めてください」
私の表情はほとんど変わらなかったと思う。感情を表に出さないようにと、常にそう心がけているのだから。 でなければ、口さがない事を平気で言う、貴族社会ではやっていけない。
「すまないな・・・」
父の言葉に無言で頷き、私は部屋を出た。
「コールリッジ家の令嬢か・・・」
私は一人になって、深く溜息をついた。
アリアナ・コールリッジ公爵令嬢。
彼女と初めて出会ったのは、先日行われたトラヴィス皇太子の誕生日の事だった。私は第2皇子のパーシヴァルとは同じ年で、幼い頃から遊び相手としてよく城に呼んで貰っていた。だから当然、兄であるトラヴィス皇太子にも懇意にして貰っていたのだが・・・
パーティーでの彼女の印象は強烈だった。
最初見た時は、まるで妖精の様に可愛らしいと思った。だが、すぐそれが間違いである事が分かった。
彼女はパーティーの間中、他の子供達に威張り散らし、使用人達を顎でこき使っていた。挙句の果てに私の前にやってくると高慢な態度で、
「あなた、わたくしをエスコートしなさいっ!」
そう言って勝手に腕を組み、パーティーが終わるまで離さなかった。
正直あれにはほとほと参った。他の人が近づこうものなら大声で罵倒し、見かねたパーシヴァルが注意をすると、癇癪を起こした上に大泣きした
娘に甘いコールリッジ公爵には、娘を虐めたのかと疑われるし、トラヴィス皇太子の誕生日に騒ぎを起こしたと言う事で、とても肩身の狭い思いをしたのだ。
父が婚約話を私に勧めにくいのも、そういう理由があっての事だ。
「あのアリアナ嬢と婚約・・・」
私は何度目かの溜息をついた。
しかし彼女との婚約に全くメリットが無い訳ではない。名門コールリッジ家と姻戚関係になるのは、ギャロウェイ家に必ず益をもたらすだろう。
(私が我慢をすれば良いだけだ。それに彼女も、大人になれば変わるかもしれない・・・)
そう思って自分を納得させていた。
アリアナとはそれから何度か会った。
そして何度会っても、彼女の態度は最初会った時のまま変わらなかった。
傲慢な態度、我儘な言動、そしておまけに嫉妬深い・・・。私に近づくものは女性であろうと男性であろうと、さらに動物であろうと許せないようだった。
会う度に私はへとへとに疲れていった。
領同士が離れているのを幸いに、私はなるべく会わないように画策した。
それでもアリアナは何かと理由を見つけては、私をコールリッジ領へ呼び出したり、私が出席するパーティーや茶会にはごり押しで参加してくる。
正直な所、我慢するのも限界になってきていたのだが、権力差を考えると私には何も言えなかった。
(どうしよう・・・学園に入ったら、5年間同じ場所にいることに・・・)
この国では、貴族は13歳になったら必ず学園に入学する事になっている。そして私とアリアナは同じ年なのだ。今までは離れた所に住んでいるから、まだ耐えられたのに・・・。
(私はこれ以上、我慢できるだろうか・・・?)
年を追うごとに不安がつのっていた。
そして、とうとう恐れていた日がやってきた。アンファエルン学園への入学である。
(学園では、アリアナは1日中べったりで離れないのでは・・・)
うんざりした気分で入学式に臨んだのだが、予想に反してアリアナは姿を見せなかった。どうやら学園内にもいないらしい。
(・・・?)
不思議に思いつつもホッとした気分で寮に戻ると、コールリッジ家から速達が届いていた。
(えっ!?アリアナが事故!?)
手紙には、アリアナが学園に来る途中で事故に遭ったと書いてあった。どうやら怪我をしたらしく、学園への入学が遅れるようだ。
(酷い怪我だったのだろうか・・・?)
少し心配だった。
だけど良くない考えだとは思いつつ、アリアナに会うのが先延ばしにされた事に私は安堵していた。
アリアナに振り回されない学園生活は楽しかった。
授業で新しい事を習うのは新鮮だった。親友のパーシヴァルとも同じクラスになれたし、友人たちと昼休みにこの皇国の未来について語りあったりと、1日1日が充実していた。
それに新しい出会いも沢山あった。
同じクラスに平民から特待生として入学した女生徒が一緒で、素晴らしい事に光の魔力の持ち主だと言う。
彼女の名はリリー・ハート。
優しく聡明で、そして淡くピンク色に光る髪と、スカイブルーの明るい瞳を持つとても美しい少女だった。
(同じ女の子なのに、アリアナとは大違いだな)
彼女と話すのはとても楽しく、そして有意義だった。それに彼女の笑顔を見ると、心が温かくなるような安心感を覚えた。
だが、平民である彼女は、他の貴族の女生徒からは理不尽な行為を受けているようで、私は心配だった。だからパーシヴァルと二人で彼女を庇ったり、助けたり、なるべく一緒に居る様にしていたのだ。
アリアナは2週間だっても、学園に来ることは無かった。
私は若干の後ろめたさを感じながら、
(このまま入学しなければ良いのに・・・)
そんな風にさえ思っていた。
でも、そんな穏やかな日々も終わりを告げる事になる。寮に戻ると1通の手紙が来ていたのだ。私は、差出人がコールリッジ公爵からであるのを見て、心臓がどきりとなった。
(ああ、とうとう来たか・・・)
手紙の内容は、アリアナが二日後に学園に入学すると言う事。事故のショックもあるだろうから、よろしく頼むと書いてあった。
私は手紙を放り投げ、ベッドに倒れる様に寝ころんだ。
(これで、学園での楽しい生活も終了か・・・)
そして彼女の事を思い出すにつれ、どんどん不安が募ってきた。
(アリアナは私がリリー嬢と話している所を見ると、きっと酷く癇癪を起こすだろう。そして彼女を虐めるに違いない)
そんな事は許せないと思った。我儘なアリアナのせいで、あの優しいリリー嬢が辛い思いをするなんて・・・。
「リリー嬢を守らなくては・・・!」
父には申し訳ないと思ったが、コールリッジ家に逆らう覚悟も出来ていた。
そして、ふと不思議に思った。
(そういえば・・・アリアナからの手紙は来てないんだな)
この1カ月、アリアナからの連絡が全く無かった事に、私はうかつにも気づいてなかったのだ。そんなこと今までの彼女なら、ありえない事なのに・・・。
だけどその時の私は、二日にアリアナに会う憂鬱さで一杯で、その事について深くは考えなかった。
そして二日後、私は一日中神経を尖らせていた。いつアリアナがやってくるかとビクビクしていたのだ。だが、どういう訳か彼女は全く私の前に姿を現わさない。
(日にちが間違っていた?もしかしてまだ学園に来ていないのだろうか?)
何にせよ彼女に会わずに済んだのは有難い。だけど、どうせその内やってくるだろうと重い気持ちは変わらなかった。
そして次の日の昼休みの事だった。
「おい、リリー嬢が他の女生徒に連れられて行ったらしいぞ!」
「なんだって!?」
パーシヴァルが他の生徒から耳にしたらしい。
(しまった!アリアナの事に気を取られて、リリー嬢の事に気を配ってなかった)
「中庭の方へ行ったらしいから、手分けして探そう!」
「ああ!」
学園の中庭は広い。私とパーシヴァルは二手に分かれて人気の少ない所を探した。
(なんてことだ。リリー嬢を守ると決めたばかりなのに・・・)
だが、彼女はなかなか見つからない。私は焦っていた。
(もしかして、裏庭?それとも校舎の中かも?)
そう思って私は校舎の中に飛び込み、人気の無い広い廊下の方へ走った。すると、
(やっぱり!)
思った通りリリー嬢はそこに居た。しかも驚いた事に、
(アリアナ!?)
なんという事だろう。アリアナが彼女と一緒にいたのだ。私はそれを見た瞬間、冷静ではいられなくなった。恐れていた事が起こったと思ったのだ。
(もうリリー嬢に目を付けたのか!こんな所に連れ出して、彼女をどうするつもりだ!?)
「何をしている、アリアナ・・・」
私は怒りを必死で抑えながらそう言った。こんな冷たい口調でアリアナに話しかけるのは初めてだった。
(今までは、どれ程彼女が癇癪を起こしても、私は寛容であろうとしていた。だが、それももう今日で終わりだ!)
私は覚悟を決めていた。そして二人の間に割り込み、リリー嬢を背中に庇った。
「リリー嬢が女生徒達に連れていかれたと聞いたが、やはり君が首謀者だったんだね」
そう言うと、アリアナは明らかに狼狽えた。
(やっぱりそうか・・・)
私は憎悪が溢れるまま、彼女を睨みつけた。
「あ、あのディーン様、これは・・・」
「君のつまらない言い訳など、聞きたくもない」
彼女の声すら聴くのが厭わしかった。
この時の私は、今までアリアナに我慢してきたことへの鬱憤と、リリー嬢を守りたいと言う気持ちで心が高ぶっていたのだと思う。コールリッジ家を敵に回すという事すら崇高な事に思えたのだ。
だが、そんな私の奢り高ぶった考えは、思わぬ事で打ち消される事となった。
アリアナから守っているはずのリリー嬢が、突然私の前に回り込み、何故か私の方に向き直ったのだ。そして彼女の顔には明らかに、私に対する怒りが込められていた。
(え・・・?)
そして彼女は、いつもとは違う激しい口調で私をなじった。
「ディーン様!どうしてアリアナ様のお話を聞いて下さらないのですか!」
「えっ?」
「えっ?」
私とアリアナの驚いた声が重なった。一体何が起こっているのか・・・、私には戸惑いしか無かった。




