不安
ベッドから飛び起きて、顔を冷たい水で洗ったけど全然すっきりしない。嫌な汗をかいたせいで首元もべとべとしている。
(お風呂入るか・・・)
それにしてもなんて縁起の悪い夢だったのだろう。
「不安が無いわけじゃないもんなぁ」
私は寝間着のままで、メイドにバスルームの準備を頼んだ。
(汗臭いまま、終業式には行きたくないもんね)
月日が経つのは早いもので、今日は学園の終業式なのである。一年生として過ごす日は今日が最後で、そしてアリアナにとっては、最も重要な日だと言って良いだろう。
(今日はゲームの世界じゃ、一生を左右する事件が起きる日だ)
ディーンからの断罪である。
私は先ほどの夢を思い出して身震いした。見始めた時は夢だと分かっていた。なのに妙にリアルで、途中からは夢だと認識した事すら忘れてしまっていた。
(多分、私がアリアナになってなかったら、あれが現実になってたのかもしれない・・・)
夢でそれを体現させられたのだろうか?
あの夢の中で、アリアナの思考や感情がまるっきり自分のモノになっていた。
「うう・・・本当に怖かったよぉ」
私は夢のラストに出て来たグスタフとイーサンの顔を思い出したが、「あれはただの夢!」と急いで頭から追い出した。
「よし!お風呂に入って、全部洗い流してやる!」
暖かい湯舟にゆっくり浸かりながら、私はこの約一年の事を振り返った。
夏休みの後、私は学園の図書館で闇の魔力や闇の組織について調べまくった。
さすがに歴史のある学園だけあって、その手の書籍は揃っていた。だがそのくせ内容はアリアナの屋敷にあった本と大差が無く、闇の魔力や闇の組織については、上っ面の事だけしか書いて無かった。
それは私の心に微かな引っかかり・・・違和感を残した。
(もしかして闇の魔力や闇の組織の事って隠されてるの?)
どの本を見ても、確信には触れず曖昧な表現が多い。長い歴史の中でそんな事がありえるだろうか?
(でも、どうして隠す必要がある?何か皇国に不都合な事があるのか・・・?)
私が調べられる事は調べつくしたつもりであるが、このままではイーサンにはとても対抗できない。
(学校で魔術の先生とかに聞いてみようかな?)
2年生になれば魔術の授業も始まるようだ。
(アリアナは魔力ゼロだから座学しか受けれないんだよなぁ。でも先生との接点では出来るもんね)
座学やペーパーテストに関しては自信があった。実は今日の終業式でも、私は1年生の最優秀成績者として表彰される予定なのだ。
(ゲームでは表彰されるのってディーンかヒロインだったんだよね。くっくっく・・・まさか悪役令嬢のアリアナがトップの成績取るとは、誰も予想出来なかったろう)
それを思うと、ニヤニヤが止まらない。テストでは毎回オール満点を取ってやったのだ。つまり自動的に首席である。
(ふふ・・・満点を抜くことは出来まい)
だけど凄かったのクリフだった。彼は夏休みが終わった後のテストでは、いきなり次席に躍り出た。しかもほぼ満点に近い成績で、私も「さすが我がライバル!」と感心したものである。
テストの成績は、だいたいディーンとリリー、クリフで2~4位を争い、ミリアが5位。もちろん私は不動の1位だ。
だけど悔しい事に最後のテストで、私はとうとう並ばれてしまった。ディーンが私と同じオール満点を取ったのだ。ちょっとショックだったけどディーンならアリかと思った。
(だって、そもそも彼らは攻略者で、頭脳優秀って設定なんだもん)
こっちは努力だけでやってるのだ。もっと褒めて欲しいもんである。
そして夏休み以来、昼食仲間にディーンとパーシヴァル、そしてグローシアも加わった。
第二皇子に公爵家が二人、そして侯爵家も二人となると周りからはかなり注目を浴びた。しかもイケメン攻略者が3人に超絶美少女のヒロインだ。羨望の目で見られるのは仕方無い。
そしていつも私達と一緒にいるせいか、リリーへのイジメや嫌がらせはすっかり無くなったらしい。
リリーと同じクラスにいるグローシアにその事を聞くと、
「リリーのバックにはアリアナ様が居るとほのめかしたら、震えあがっておりました」
と鼻を高くして言うではないか!いやいや、ちょっと待てい!
(何なの!その陰の親分みたいな扱いは!?そんなの悪役令嬢そのものじゃんか!)
公爵家の威光のせいだろうか?
「私ってそんなに恐れられてるのですか!?」
「そりゃそうです!この世に気高きアリアナ様に歯向かい逆らうものなど、存在し得る筈がございませんっ!」
と訳が分からない答えが返ってきたので、理由を知るのは諦めた。
こんな感じで夏休みから約半年間、私はおおむね平和に過ごしていた。一番の懸念だった皇太子暗殺の件も今は特に何も起きてはいない。
私は湯舟に浸かったまま天井を見上げた。
(夕方からのパーティで断罪されるようなネタは無い。・・・無いはずだけど・・・)
夢見が悪かったせいでなんだか心配になってくる。そして、もう一つの大きな不安要素が私にはあった。
それはディーンとの婚約解消が、いまだ実現できていない事だ。
ちなみに、ディーンとはとても良い友人関係を続けている。
それなのに、いつでも婚約解消に応じると言ったこの半年間、ディーンからその申し出が来ることは全く無かった。
実は何度か聞いてみた事があるのだけど・・・
(何故かディーンがあまり、この話題をしたくなさそうなんだよなぁ・・・)
いつも少し空気がピリつくような気がするのだ。
以前、「早く婚約解消しないと、ディーン様は本当に好きな人と恋愛出来ないですよ」と言ってみたのだが、ディーンからは「好きな人など居ないから、そんな心配は要らない」と睨まれた。
しかも逆に「それとも、君は他に好きな相手がいるのか?」と聞かれたので、「いえいえ、そんな人は居ませんが」と言うと「じゃ、無理に婚約解消する事は無いだろう。リガーレ公爵の事もあるのだから、その方が君にとっても都合が良いじゃないか」と返されて結局有耶無耶になってしまったのだ。
(リリーの事はもう良いのかなぁ?絶対ディーンは好きだったはずなんだけど。それにお似合いだしさ。もしかして脈が無さそうだから、諦めちゃったのかなぁ)
ディーン良い奴なのに、とちょっと気の毒になる。
(婚約解消したらディーンは今よりもっとモテるだろうなぁ。ん?・・・もしかしたら、それが面倒なのか?)
昔のアリアナみたいにまとわりつかれるのが嫌なのかもしれない。
(ふむ。その点今の私となら気楽なだもんな。好きな人が出来れば、その時に婚約解消すれば良いんだし。なるほど、そう言う事かもしれない)
少しスッキリした気持ちになって、私はお風呂から上がった。
部屋の衣装掛けには、夕方のダンスパーティで着る淡い空色のドレスがかかっている。夢の中で着ていたドレスと全く同じドレスだ。私はそれをそっと撫でてみる。
「この半年、出来る限りの事はやった!後はもう出たとこ勝負じゃ!」
終業式は滞り無く始まった。事前に言われてたように、私はその年の最優秀成績者として壇上に登り、大きな拍手に包まれた。
学園長から賞状を受け取り、皆の方を向くと、リリーやミリア達、ディーンやクリフも笑みを浮かべて拍手を送ってくれていた。
(こ・れ・は・気持ちいい!最高!皆も、ありがとう!)
鼻歌気分で一礼をして壇上を降りる途中の事だった。突然私は射る様な視線を感じた。
(え・・・?)
それは一瞬で消えてしまった。
(気のせい・・・かな)
だけど悪意の余韻だけは、私の心にしっかり残っている。
朝の夢と同じ不安が、また胸の奥に広がるのを感じていた。




