二つの想定外の事
「さすが学園きっての才媛だね。君の読みはほぼ正解だ」
そう言った声は、もはやキイキイとした機械音のような声では無かった。温かみのある優しい聞き馴染みのある声。
「先生・・・」
リーツは顔を隠していたマスクをゆっくりと脱ぎ捨てた。いつも私達に授業をしてくれていたマリオット先生の柔和な顔が現れる。
「・・・マリオット先生・・・本当にあなたが・・・」
トラヴィスが顔をしかめた。
「アリアナ君から聞いてなかったのかい?ふふ・・・そんなに驚く事は無いさ」
先生はいつも授業をしていた時のように優しい笑みを浮かべ、柔らかな声でそう言った。
(先生の言う通り、私は思いだした時にすぐ、リーツの正体を皆に伝えようと思った。だけど・・・出来なかったんだ・・・)
トラヴィスが私の気持ちを代弁する様に首を振る。
「今でも信じたくないですよ。貴方のことは好きでしたからね」
苦い口調でそう言った。
「それは申し訳無かったね。だが、僕は今からもっと君達の心を裏切る事になる。リリー君、ライナスへの治癒を今すぐ止めたまえ」
「先生!?」
マリオット先生はグローシアを締め付ける腕をさらに強めた。グローシアの首からぽたぽたと血の滴が落ちる。
「ひっ・・・くっ・・・!」
グローシアの顔が恐怖にひきつる。それでも歯を食いしばって痛みに耐えているようだ。
トラヴィスが先生に攻撃しようと身構える。だけど私はそれをさえぎった。
「殿下、待ってください」
そうして数歩マリオット先生の方に進み出る。
「リナ!」
私を引き留めるディーンの声を片手で制し、マリオット先生と向かい合う。
落ち着け、ここが正念場だ!
(先生は、私が魔力無しで、一人じゃ何も出来ないってことを知っている。私が相手なら油断するはず)
ゆっくり息を吸って腕を組み、少し足を広げて首を傾げた。まさにヒロインを追い詰める悪役令嬢の様に。
「先生、マリオット先生の最初の狙いはトラヴィス殿下だったんですよね?」
(皇太子であるトラヴィスの暗殺は、他国の依頼だったかもしれないけど、皇国を揺るがすには、一番効果的だもんな)
マリオット先生は怪訝そうに私を見る。
「そんなことを聞いてどうするんだい?」
「だって私達が、闇の神殿のある洞窟に行くと知って、『トラヴィス殿下が像を破壊した』とイーサンに嘘の情報を流しましたよね?その目的はイーサンに殿下を殺させること。でも・・・先生にとっては、どちらが倒れても好都合だった」
理想はトラヴィスが倒れ、イーサンも手傷を負ってくれればと言うところだろう。
「だけど思惑が外れて、イーサンはリリーと転移してしまった。しかも自分を狙って追ってくるという、最悪の展開でした。慌てた先生は、自分の手でトラヴィス殿下だけでも消そうと思ったんですよね?なのにそれも失敗した上、手傷を負って逃げるはめになってしまった・・」
(実際、あの時はこっちもマジで危なかったんだよなぁ。宝玉でパワーアップした闇の魔術で攻撃されて・・・リリーはいなかったし、皆もイーサンと戦った後で満身創痍だったからさ)
私が皆に力を供給できるようになったのは、ほんとにラッキーだったんだ。
「計算が狂って焦りましたか?一緒に転移したショックで気を失った私とディーンを、そのままにして逃げましたよね。あの時、私たちを始末しておけば面倒が減ったのに」
マリオット先生はピクリと片眉を上げた。
「ダイナスの港の船で、モーガン先生と私達が戦っていたのも見てたんですよね?モーガン先生がイーサンに倒されたのを確認して、急いでセルナク国へ転移し、エメラインの身体に蘇らせた・・・もしかして、それも前から計画していましたか?」
(エメラインは最初からエンリルの容れ物候補になっていたのかもしれない。そうすればセルナクを楽に操る事が出来る)
それにエメラインはトラヴィスの婚約者だった。
(もしかしたらエンリルは、エメラインの体を奪うことで皇族の内部に入り込もうとしていたんじゃないだろうか?)
そう考えついてゾッとした。思い返せば、色々と危ない状況だったのだ。
私は気力を持ち直し、必死に頭をフル回転させた。会話を途切れさせてはいけない。だって、これは時間稼ぎなんだから。
一つはリリーがイーサンを治癒する為、そしてもう一つは・・・
「先生はこのセルナク国でも、精神魔術を使って国王や宰相、兵士達を支配しました。そして彼らを使ってトラヴィス殿下と私を呼び寄せたんです」
(まだか?早く・・・)
「殿下を呼んだのは、もちろん彼を消すためですが、私を呼んだのはエンリルの容れ物にするためだった。思惑通り、先生はまんまと私の身体にエンリルの精神を移すことに成功した。だけど貴方の本当の目的はそれじゃなかった」
(は、早くしてくれ~!)
悪役令嬢の演技は完璧だけど、内心は大焦りだった。なぜならグローシアの目に、覚悟の光が見えだしたからだ。
(ちょ、ちょっと待ってよ、グローシア!)
彼女の心は誇り高き騎士そのものだ。きっと私達の足を引っ張るぐらいなら、自分から命を落とそうと考えているに違いない!
私は彼女を引き留めるように、声のボリュームを上げた。
「イ、イーサンに精神魔術を使わせて疲労させ、その隙に彼を葬るのが先生の本当の狙いだったんですよね!?そしてその企みも成功した。だけど先生、残念ながら貴方の想定外の事も起きてしまったようですよ」
「・・・何だと?」
マリオット先生の声に苛立ちと困惑の影が滲む。私は人差し指を立てた。
「一つ目はもちろん、私達と一緒に世界最高の聖女まで、セルナクに来てしまった事です」
私は目の端でリリーの様子を伺う。剣で貫かれたイーサンの傷は深い。治癒にはまだ時間がかかりそうだ。だけど、確実にリリーの魔術は彼の創痕を癒していっている。
(リリー、頑張れ~!)
私は内心の緊張を見せずに、にっこり笑って二つ目の指を立てた。
「そして二つ目ですけどね。実はもう一人、私には凄腕の侍女が一緒について来ていたんですよ、しかもとびきり美女の・・・気付いてましたか?」
「何だって・・・?」
先生がそう言った時だった。突然彼の後ろに、フッと人影が動いた。
「くっ!」
マリオット先生は振り向きざまに、急いでグローシアの首に当てていた剣で切りかかったが、兵士の格好をした相手の剣に防がれた。
「グローシア、今!」
血を流してふらふらなグローシアが、私の叫び声に顔を上げる。そして気力を振り絞るように頷くと、マリオット先生の腕に思い切り嚙みついた。
「うあっ!」
先生は思わず彼女を締め上げていた腕を緩め、その瞬間にグローシアは先生の腕をかいくぐった。そして先生が彼女の髪を掴もうとしたところを、彼女は前方に飛び込むように転がりながら必死で逃れる。それと同時に先ほどの兵士が先生に切りかかった。
「先生!先生の今の相手は俺だよ」
「ちっ!」
それは兵士の格好をしたクリフだった!
先生はグローシアを追う事を諦め、クリフの攻撃を剣で弾き返す。
その間に私はグローシアに駆け寄った。首の傷が痛々しい。
「ごめんなさい、アリアナ・・・不覚をとりました」
そう言って涙を浮かべながら、よろよろと立ち上がろうとする。
「何、言ってるの!頑張ったよ。直ぐに助けられなくてごめんね」
私は彼女に肩を貸し、リリーの元へと急いだ。




