公爵令嬢様だよ!
ふわり抱きしめられながら、誰かの優しい手が私の髪を撫でた。なんて心地がいいんだろう。
(ん?私、どうなったんだっけ?)
寝起きのように思考がぼやけてる。私はゆっくりと瞼を開けた。
そこは全く見覚えの無い場所で、まだ夢を見ているのだろうか?
(だって起きたとこなのに目の前にディーンがいるよ。なんでそんなに泣きそうな顔してんの?)
心配で胸が苦しくなる。彼の瞳から大粒の涙が零れ落ちて、私の頬を濡らした。その温かさに急激に意識が覚醒していき・・・
(ん!?夢でない!?)
そしてディーンの涙する顔のドアップに、私の頭が一気に沸騰した。
「うわあ!・・・イケメンの涙!」
何て尊い!だけどこれは私には刺激が強すぎる!
(駄目だ!これ以上間近で見たら、息が止まる!)
もう、あんな暗闇の世界には行きたくない。そう思って私は両手で目を覆った。それにどういう訳か今の私はディーンの腕の中で、抱っこされている状態では無いの!?
全身からどっと汗が噴き出てくる。ど、どうしょう!?
「あ、あの・・・起きます!」
やっとの思いでそう言ったのに、ディーンは全く私を離す気配が無い。それどころか腕をまわしてぎゅうっと抱きしめてくる。
(な、何で!?)
パニックの中ディーンの肩越しに周りを見ると、リリーが泣き笑いの顔で私を見ていた。
「リリー!」
そうして私は、やっと今までの事をしっかりと思い出した。
「そ、そっか・・・私、戻れたんだ・・・」
そう呟くと、ディーンがやっと私の身体を離した。彼は袖で涙を拭うと、少し赤い目で恥ずかしそうに私を睨んだ。
「あんまり・・・心配させるな」
(ぐはっ・・・)
貴方は私の心臓を止めたいのでしょうか?
(ディ、ディーン・・・。いつからそんな技を使う様に・・・)
イケメンの上、可愛いなんて最強すぎるだろ!
なんとか息を落ち着かせて、私はなるべくディーンの顔を見ずに手を借りながら立ち上がった。
トラヴィスとグローシアが駆け寄って来る。グローシアの顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃで「バディバダァ~!」と私に抱きついた。
「もう離れまぜん、離れまぜんかだねぇ~!」
周りには沢山の兵士たちが倒れていて、私達を港で出迎えた宰相や、どうやら王様らしき人も倒れている。
「・・・これは一体、どう言う状況なのでしょう?」
「エンリルが消えて、精神魔術が消滅したのだろう」
「え!?それじゃあ」
トラヴィスは私達が暗闇の世界に行っていた間の事を、簡単に説明してくれた。私の中にいたエンリルをイーサンが消し去った事。そして、私達をあそこから連れ戻してくれた事を
彼を探して見回すと、扉の近くに一人ぽつりと立っているのが見えた。
(ライナス・イーサン・ベルフォート・・・ううん、ライナス・アーク)
イーサン・ベルフォートの身体を奪って、今ここに存在するまで、彼は何度罪を犯してきたのだろう。
だけど彼のおかげで私達は戻って来れた。
私が暗闇の世界で思い出した沢山の過去世の記憶は、目が覚めると同時にどんどん薄くなり、もはや夢の断片のようにしか思い出せない。
だけど私とアリアナが遠い昔に、ヘンルーカとして生きていた・・・その事はちゃんと覚えている。そして、ヘンルーカがライナスを深く愛していた事も。
(ライナスはエンリルの事もちゃんと愛してた。妹のように大事にしていた)
ヘンルーカの精神の欠片を盾にされてたとはいえ、だからこんなにも長い間、厭いながらもエンリルのする事を止められなかったんだ。
もう彼の愛したヘンルーカも、エンリルだってこの世にはいない。これから彼はどうするんだろう。
この世界に本当の彼を知る者はいない。そういう意味ではイーサンは独りだ。一人ぼっちなのだ。そして、私は誰よりも彼の事を理解していた。
この世界で、たった一人という気持ち・・・
小柄なイーサンの身体は、さらに一回り小さくなったように頼りなげに見えた。
(ふむ・・・)
似合わない。イーサンにあんな情けない顔は似合わないね。
私は深呼吸する様に息を大きく吸った。そして出来るだけ尊大に無神経に、悪役令嬢っぽく腰に手を当て声を上げた。
「ちょっと、イーサン!いつまでボケっとしてんのさ!?」
皆の驚きの視線が私に集中する。だけどイーサンは動かない。私はもう一段、声を高くする。
「聞こえてんの?しっかりしなさいよ!あんたにはまだやって貰わなきゃいけない事があるんだから」
するとイーサンがゆっくりと振り向き、鬱陶しそうな目を私に向けた。
「これ以上、俺をただ働きさせる気か?何様のつもりだ」
私はニヤリと笑った。
「公爵令嬢様だよ!前にあんたが言ったんじゃん?」
無表情だったイーサンの瞳が少し震える。
「・・・そうか」
彼はぼそりとそう言うと、フッと薄く笑った。そして急に横柄な調子で、
「お前には貸しがあったはずだが?」
そう言っていつものからかう様な目を向けてくる。私は片手を後ろに振り上げた。
「洞窟で私を本気で攻撃したでしょ!?あれでチャラだよ」
「今だって、助けてやったんだが?」
「元々はあんたのせいだよ。助けて当然」
そう言うと、イーサンは呆れたように私を見た。
「・・・口の減らない奴だ」
だけどそう言ってまた少しだけ笑った。
(良かった・・・。いつものイーサンだ)
私は少しホッとする。
「で、俺に何をさせたい?・・・まぁ見当は付いてるがな」
イーサンは面倒くさそうにため息をついた。
「やっぱり分かってた?」
私はえへへと笑って頭を掻いた。




