魔術師の最後(リリー目線)
私は指輪に自分の魔力を注いだ。握った手の中で、段々とそれは熱を持ち、光を放ち始める。
―――何かあったら俺を呼べ
そう言って渡してくれたこの指輪の内側には『ヘンルーカ』の文字が刻まれている。
これを渡された瞬間に、私は理解していた。イーサンの言う『何か』とはアリアナに何かがあった時なのだと。
今、アリアナの身体はエンリルに支配されている。ううん、エンリルの精神の容れ物になってしまっている。
(助けなくては・・・アリアナを。絶対に!)
「お願い!早く!」
そして指輪がひときわ大きく輝いた時、晩餐会場の空間が奇妙に歪んだ。
「イーサン!」
大きなステンドグラスの高窓が一瞬、稲妻の光に輝いた。同時に地を震わす様な雷鳴が響く。そして、その高窓を背にイーサンは現れた。まるで稲妻が彼を連れてきた様だった。そこに見えない床があるように宙に立つ彼に、ここに居る誰もが視線を奪われた。
イーサンは私をチラッと見ると、アリアナの姿のエンリルに目を向けた。
すると、アリアナの顔をしたエンリルが歓喜の声を上げる。
「あああ!ライナス、来てくれたのね!」
エンリルは喜色を浮かべて、イーサンを見上げて両手を広げた。
「待ってたわ!どう?この身体なら、貴方もお気に召すんじゃ無くて?」
そう言ってくるりと回ってみせると、淡いグリーンのスカートがふわりと舞った。彼女は可愛らしい笑みを浮かべて、こてんと首を傾げた。
「ね、ライナス、早く下りて来て。これヘンルーカの身体なのよ。そして今は私の身体になったの。素敵でしょ?」
そう言って笑ったエンリルの顔がそのまま固まった。
一瞬の間にイーサンは音も無く、エンリルの背後に転移していた。そしてエンリルの呼びかけに一言も答えること無く、彼女の頭を挟む様に両手を広げた。
その途端、部屋の中に濃密な魔力の波動が満ち始めた。
「ライナス!!何をするの!?」
「終わりだと・・・言ったはずだ」
イーサンの声は冷たく響き、感情の欠片すら感じられなかった。だけど、その目が一瞬、哀れむように揺れたのを私は見逃さなかった。
エンリルの顔が恐怖に歪み、彼女の身体はがたがたと震え始める。
「や、やめて・・・ライナス!」
彼女の頭のすぐ横に添える様にしているイーサンの五本の指から光が走り始めた。その光はアリアナの身体を貫き、エンリルの精神を絡め取っていく。そして無理矢理にアリアナの体の中から、エンリルを引きずり出し始めた。。
「い、いやあああ!ライナス~!!」
獣の咆哮のようなエンリルの叫びが、部屋中に響き渡る。心臓を凍らせるような恐ろしい叫び声だった。思わず私は自分を守る様に、両腕で自分の体を抱いた。
だけどその叫び声が次第に細くなっていく。
「ライナス・・・あ・・・ああ・・・」
アリアナの身体が糸の切れた人形の様に力を失う。倒れかけたところをディーンが素早く駆け寄り、腕の中に受け止めた。
ホッとしてイーサンに視線を戻し、私はドキッとした。イーサンの両手の中に、ぬらぬらとした血の様に赤黒い何かが閉じ込められていたからだ。
「・・・っ!」
そのグロテスクさに、思わず悲鳴が漏れそうになる。
(あれは・・・まさか、エンリルの精神!?)
歴史の中、幾つもの他人の身体を渡り歩き、闇の組織を率いていた稀代の精神魔術師。
そして初代皇后だったエンリル・アンファエルン。そう呼ぶにはあまりにも醜悪で惨めなその姿に、私は目を逸らしたくなった。
イーサンは無表情だった。そして手の中で暴れ続けるエンリルの精神をしばらく見つめると、目を瞑って祈る様に額を寄せた。
(イーサン・・・)
次の瞬間、彼は両手に渾身の魔力を込めた。そのままエンリルの精神は彼の手の中で握り潰される様に破壊された。
途端に「ぎゃああああああ~~~~~っ」と悲鳴の様な大音響と共に城が揺れ、部屋中の窓ガラスが全て割れ、吹き飛ばされた。
「うっ!」
「うわぁ!」
殿下とグローシアの声。ディーンがアリアナを庇う様に覆いかぶさり、私は頭を押さえて床にしゃがみこんだ。
静かになった部屋に、「ひぃ~・・・・」と言う細い女の悲鳴の様な音が、たなびく様に部屋にこだましていく。
この世にしがみ付く様に長く響いていたその音は、どこかに吸い込まれるように少しずつ小さくなり、やがて静寂に飲まれて聞こえなくなった。
(消えた・・・エンリルが・・・)
私はハッとしてアリアナを見る。ぐったりとして動かない彼女を見て、背筋がゾッと寒くなった。ディーンが真っ青な顔でアリアナを抱きしめている。
「イーサン!アリアナは?アリアナはどうなったの!?」
私の問いには答えず、彼は目を閉じたまま両腕を広げ始めた。両手の指と指の間に、今度は青白いモヤのような光が浮かぶ。
(これは・・・・!?)
何が起きているのかは分からなかったけど、先程の魔術とは違っていた。
モヤはイーサンの手に操られる様に回転しながら少しずつは大きな輪となり、ゆっくりと宙に浮いて行った。しかし急に何かに吸い込まれたように消えてしまう。
「え!?」
だけどその消えた空間から突然、3つの光の球が現れた。
一つは柔らかく金色に輝く一番大きな光。一つは小さいけど砂金の様にキラキラ光っている。そしてもう一つはルビーの様に赤く輝く大きめの光だ。
イーサンはそれを見て一瞬だけ眉をひそめた。だけど直ぐに表情を戻すと、手招く様な仕草で手を降ろした。
すると3つの光はふわりとディーンに腕の中にいるアリアナの元に集まると、くるくると回りながら、静かに彼女の身体の中へと消えていった。
「・・・アリアナ?」
ディーンが彼女の髪を撫でる。アリアナの頬には先ほどまで見られなかった赤みが差していた。
「頼む・・・目を覚ましてくれ」
哀願する様なディーンの声。そしてそれに応える様に、アリアナの瞼が動いた。
「アリアナ・・・!」
彼女はゆっくりと目を開いて、不思議そうに瞬きをする。
ディーンの瞳から涙がぽたぽたと零れ落ち、アリアナの頬を濡らした。彼女はしばらくぼんやりと見上げていたけど、突然火を吹いたかのように顔を真っ赤にさせた。
「うわあ!・・・イケメンの涙!」
なにやら叫ぶと、耳まで真っ赤にして両手で頭を抱えるようにして俯いた。その姿を見て、私は思わず笑ってしまった。笑いながらホッとして目に涙が滲む。
(間違いない、アリアナだわ。良かった・・・本当に良かった・・・)
「尊すぎる」「刺激がぁ」と良く分からない事を言い続けているアリアナを見て、私は安堵から、その場に座り込んでしまった。
イーサンはしばらく黙ったままディーンとアリアナを見ていたが、やはり無表情のまま彼らに背を向けた。




