独白
(失敗してしまった・・・)
私は自分の頭を拳で小突いた。そして誰が所有しているのかも分からない山小屋のソファに寝っ転がり、目を片手で覆う。
二人掛けのソファからは両足がはみ出してしまっていたが、そんな事はどうでも良かった。
(怖がらせてしまっただろうか・・・)
私はリナが眠っている寝室のドアを見て溜息をついた。
闇の組織の神殿で、私とアリアナは黒いフードの人物の転移に巻き込まれ、この狩猟小屋のある深い森の中に飛ばされてしまった。
(一緒で良かった)
それだけは不幸中の幸いだった。あの時、咄嗟にリナの手を掴んだ自分を褒めてやりたい。もしも彼女だけが、奴と一緒に転移していたらと思うとゾッとする。
見知らぬ森の中で、この山小屋を見つけられたのも幸運だった。なにせ一日中歩いたうえ、立て続けの戦闘でリナも疲れている。彼女を野宿させずに済んで本当に良かった。
良かったのだが・・・
(二人っきりでこの状況はちょっと・・・)
―――イーサンにやられた怪我は大丈夫なのですか?
先程そう言って、自分の事を心配してくれたのは嬉しかった。でもあんな風に無防備に近づかれると、さすがに冷静ではいられない。
そのせいで危うく彼女に要らぬ誤解をさせてしまう所だった。
―――嫌だったですよね・・・離れます。
思い出して胸が苦しくなり、思わず頭を抱えた。
(あれは焦った。嫌なわけ無いだろう!?)
もちろん彼女に不埒な事をするつもりなんて無い!そんな事は紳士の風上にも置けない行為だ。だけど・・・
(こんな状況で落ち着いてなど居られるか!それくらい私は彼女に溺れてる)
それはもう、ずっと前から自覚していることだ。
それに昨年、リナの意識が再びアリアナとして生きる様になってから、色々な変化があった。
まず一つ目は彼女の身長が伸びた事だ。
(おかげで余計な虫が増えてしまった・・・)
今までも彼女は美しかったが、あまりにも小柄だったから、人形の様に可愛らしいという印象だった。
今は小柄には変わりないが、前よりも背が伸びた事で女性らしい美しさが増した。
私という婚約者がいても、彼女を狙う者は多い。だから日々気を付けなくてはいけないのだ。
そして二つ目は私の意識が変わったこと。
私は自分を取り繕う事をやめた。なりふりなど構ってられないことに気付いたからだ。
アリアナに糾弾された時のことを、私は時々思い出す。
(私の事を『クズ男』って言ってたな・・・)
自嘲する様に笑ってしまう。見事に的を得た表現だと思ったからだ。
(本当にそうだ。私は今だって、彼女が逃げない様に卑怯な手を使ってる)
私はリナに、『お互いの利害の為に婚約を続けよう』と持ちかけた。あくまで卒業までの契約という話で。
(でなければ、彼女は承知しなかっただろうからな・・・)
リナを好きな男はたくさんいるが、中でも厄介なのはクリフとトラヴィス殿下だ。なぜなら二人は、私よりもずっと優れた男だから・・・
もしかしたらリナが、いずれ二人のどちらかを選ぶ時が来るのかもしれない。そしてその方が彼女にとって幸せなことなのかもしれない。でも・・・
(きついな・・・)
自分勝手な私はそんなことは受け入れられないのだ。考えるだけで胸がキリキリと痛む。
しかし彼らよりも自分の方が有利な点があった。
それは、私と違ってクリフは、彼自身の幸せよりもリナの幸せを考えていること。そして殿下に関しては、今はまだ恐らくリナを妹の様に思っていることだ。
(そうだ。だから私は二人の気持ちにつけ込んでいるんだ・・・)
リナは最初からずっと、私との婚約を解消したがっていた。きっと私とアリアナの気持ちを慮っていたのだ。あのころ頃の私はアリアナから離れたがっていたから。
(つまり彼女は別に・・・私の事を好きでも何でも無いのだ)
我知らず、重い溜息が私の口から洩れた。
(婚約が続けられているからって,私は思い上がってはいけない)
リナが最近、自分を意識してくれてるように見えても、それは警戒されているだけなのかもしれないのだ。
(まずは彼女に少しずつで良いから、私の気持ちを伝えていく。そして彼女から信頼されるに男にならないと・・・)
そんな事をつらつらと考えている時だった。
突然、閉じられていた寝室の扉がカチャッと音を立てた。
「えっ・・・?」
ハニーブロンドの髪が扉の隙間からふわりと流れ、エメラルドグリーンの瞳がチラリとこちらを覗く。
「リ・・・ナ・・・?」
私はソファから身体を起こした。
彼女は私を潤んだ目で見つめて柔らかく笑った。そして、
「ディーン様・・・わたくしは構いませんことよ」
それを聞いた私は、一瞬、思考が飛んだ。
(な・・・)
全身が金縛りにあったように、身体が動かない。
だけど次の瞬間、直ぐに彼女がまとう雰囲気の違いに気付いた。それと共に、羞恥心から全身が熱くなる。
「き、君はアリアナだな!?私をからかわないでくれ!」
思わず大きな声を出してしまった。だけど彼女は涼しい顔で、
「あら・・・気付いてしまいました?つまらないこと」
アリアナは扉から半身だけ覗かせて、楽しそうにくすくすと笑った。
「お顔が赤くなってましてよ?どうなさいました?」
そう言って、悪戯そうな目を私に向ける。冷静さを失った私は、強い声で彼女に抗議した。
「リナが寝ている間に動き回るなんて、彼女の迷惑を考えたらどうだ!?」
「あら、元々はわたくしの身体でしてよ。優先権はわたくしにあるわ」
私は苦い物を噛んだような気分になった。
駄目だ。彼女に何を言ったって言い負かされるだろう。私にはアリアナに対して負い目がある・・・。
私は何度目か分からない溜息をついた。
「明日は森から出なくてはならないんだ・・・。早く身体を休めた方が・・・」
だけどアリアナは、私の言葉を遮る様に話しかけてきた。
「ねぇ、ディーン様?」
そして、私を試すような目で見ると、
「あの子が本当は、貴方よりずっと年上だってことをご存知?」
「え?」
(彼女が・・・前の世界では19歳だったことは聞いたけど・・・)
それがどうかしたのか?
アリアナは尚も問いかける。まるで悪魔の囁きのように。
「あの子は本当は大人なのよ?・・・ねぇ、ディーン様。もしかして、あの子も待ってるのだとしたらどうします?」
「は?」
(何を言って・・・)
「貴方がこの扉を開けて、入って来るのを待っているとしたら?」
とんでもない事を口にしながら、アリアナは艶然と微笑んだ。