黒い本
ジョーとケイシーが精神魔術で操られていると言うトラヴィスの言葉に、ミリアは絶句した。すっと顔が青ざめる。
「そんな・・・」
「パーシヴァルはここ最近、新学期になってからの彼らの様子に違和感を感じたそうだ。弟の観察眼の鋭さは皆も知っているだろう?」
ミリアの瞳が動揺に揺れている。
「私は全く気付きませんでした・・・」
(大丈夫。私もです)
二人の様子に変わったとこは無かったと思う。というか疑った事も無かった。だから昨日トラヴィスに聞いて、ひっくり返る程驚いたのだ。
「恐らく二人は、こちらの情報を敵に流している」
「・・・」
ミリアは口をきゅっと引き結すんだ。自分を落ち着かせようとしているのだろう。何せケイシーはミリアの兄であるし、それにジョージアとは幼馴染の親友だ。それで無くても弟のノエルの失態を、誰よりも気に病んでいたのだから、今回の事は相当ショックだったと思う。
ミリアは震える手をもう片方の手で押さえ込んでいた。
「申し訳ありません。兄の不手際を謝罪いたします」
「いや精神魔術の使い手は狡猾だ。知らない内に支配されていても不思議はないさ。幸い、こちらが気付いている事を相手はまだ知らないだろう。だから泳がせているところなんだ」
「一体誰が?・・・モーガン先生の様子は相変わらずなんですよね?」
「ああ」
10か月前に強い精神魔術にかけられている事が分かったモーガン先生にも、リリーとマリオット先生による解術が試みられた。
二人の聖魔術は成功したはずだった・・・なのに、その時からモーガン先生の様子がおかしくなったのだ。
「まだ何も分からない状態だ。自分の事も何も覚えてない様に見える」
モーガン先生は完全に記憶喪失になっていた。二人がかりでも解けない、もつれた糸のような精神魔術が、先生の中に巣くっているのだ。
(モーガン先生は闇の組織の人間だ。情報を漏らされたら困るという事・・・?)
その後も治癒魔術や医術のより治療も行われたが改善しなかった。今は皇国の病院に入院中だ。
「では、兄とジョーに精神魔術をかけたのは誰なんでしょう?アリアナ様を眠らせたの同じ者でしょうか。その人物がまた動き出してるという事なの?」
ミリアは二人の事が心配なあまりか、口調に苛立ちを隠せない。
私はミリアを宥める為に声をかけた。
「兄のクラークとグローシアは魔術で姿と気配を消せるので、ジョーとケイシー様について貰ってるんです。私達は私達で出来る事をやりましょう」
私の言葉にミリアはうかない顔のままだが、しっかりと頷いた。
「では今から君達にも、これらの内容について説明する。他言は控えて欲しいが、意見があったら言ってくれ」
トラヴィスは手記や系図の内容を、実際に見せながら説明した。
みんな興味深そうに聞いていたけど、さすがに初代皇帝が皇妃に精神魔術をかけられていたというくだりでは、衝撃が大きかったみたいだ。3人とも唖然とした表情で、動揺を隠せないようだった。
(精神魔術がタイムリーな話題なだけにねぇ、私だって驚いたさ。しかも内容も昼ドラばりに、どろどろ展開だもんな)
最後にトラヴィスは例の黒い本を手に取る。その途端、私の腕が粟立った。
「この本に関しては昨日、一通り目を通してみたのだが、主に魔術の技法について書いてあった。しかも驚いた事に内容の一部に禁術に近いものもあった」
急にトラヴィスの声が遠くに聞こえる様な感覚。そして、昨日チラッと見た内容を思い出した。
―――肉体を離れし精神を呼び戻す儀式―――
(ちっ・・・)
心の中で舌打ちしてしまう。あのフレーズが頭の中から離れてくれない。
リリーが恐る恐ると言う様子で黒い本を覗きこんでいる。
「禁術・・・ですか?」
「ああ、しかも全て精神魔術に関するものだ」
やっぱりこの本は精神魔術について書かれているんだ。なんだか胸の中がざわざわする。自然と目を逸らしたくなるのを、私は必死で堪えた。
トラヴィスは、私達の前で本をパラパラめくっていった。
「ここに精神魔術で人を思いのままに操ったり、記憶を消す方法が書かれてある」
「マーリンやアリアナが被害に遭ったのと同じですね」
ディーンの問いに頷きながら、
「ああ、だがこの本に書かれているのはそれだけじゃない。精神魔術を重ねる事で人格を変えたり、解術を逃れる方法についても書かれていた」
「解術を逃れる!?」
皆の視線が私をかすめる。
「そうだ。多分この本はエンリル皇妃のものだったのだろうが、どうやら現在にもその技法が伝わっているらしいな」
「闇の組織の中で伝承されているのでは無いですか?。エンリル皇妃も組織で魔術を学んだようですし」
ミリアは厭わしい物を見る様な目付きで黒い本を睨んだ。
(・・・気持ちは分かる)
マズい・・・段々気分も悪くなってきていた。
「精神魔術は生まれつきの素質が無いと扱えない。エンリル皇妃には才があったのだろう。・・・精神魔術は遺伝されることが多いと聞くが・・・」
(遺伝なのか・・・?でも、エンリル皇妃の子孫なのに、皇家に精神魔術の使い手がいるなんて聞いたことが無いぞ。・・・もしかしてまだ何か隠されてるとか?)
一瞬沈黙が流れた。皆、思い思いに考えを巡らせている。沈黙を破ったのはリリーだった。
「それで、壁にかかっていた絵のお二人は、やはりライナス様とヘンルーカ様だったのですか?」
リリーの問いにトラヴィスが頷く。
「額の裏に書いてあった。まだアンファエルン皇国が創立される前に描かれたものだった」
「ではアリアナ様の意識に現れたのは、やっぱり聖女ヘンルーカ様だったのですね?」
リリーが不思議そう聞いた。そりゃそうだろう。私だって困惑しているのだ。
「どうしてアリアナの前に聖女ヘンルーカが現れたのか、またエンリル皇妃は何故アンファエルンを操って闇の組織を弾圧したのか・・・謎だらけだな。だが、分かった事もある」
トラヴィスはローズの手記を開いた。
「ここに書いてある文章を見てくれ。『私達にはライナスが必要だ。その為にも私達はエンリルの力に頼らざるを得ない。あの魔術を使えるのはエンリルだけなのだから』と言う部分。そして『儀式は成功した』という言葉。これについて、皆はどう思う?」
トラヴィスの問いに、皆は困惑の表情を浮かべた。それだけじゃ普通は何も分からないよなぁ。だけど、
(トラヴィスは気づいたんだな・・・)
私にはトラヴィスが何を言いたいのか分かっていた。そしてそれを聞きたくなかった。吐き気がするほどに。
容赦なくトラヴィスは黒い本を開く。
「これは、ここに書かれている魔術の中で一番の禁術・・・いや、邪法と言っても良いかもな。その方法が書かれてある」
「邪法・・・ですか?」
リリーが眉をひそめた。クリフは本を覗きこんで、トラヴィスが指さす言葉を読んだ。
「肉体を離れし精神を呼び戻す儀式?これは・・・」
どう言う魔術なのかとクリフが問う前に、重々しい口調でトラヴィスが言った。
「つまりは、この世を去った人間を蘇らせる魔術と言う事だ」
ぐっと詰まったように、皆の言葉が出なくなる。それは恐ろしさからか、それともそんな魔術の存在を信じられないと思ったからだろうか。
トラヴィスは言葉を重ねた。
「しかもこの方法はかなりおぞましいぞ。蘇らせると言っても、ここに書いてある通り精神だけなんだ」
「どう言う事ですか?精神だけ生き返るって・・・一体どうやって?」
ミリアが意味が分からないとばかりに問う。トラヴィスは厳しい目で、黒い本を指さした。
「見てごらん。ここに儀式の手順が書かれているだろう。・・・まず第一に精神を呼び戻すにはその容れ物を用意しなくてはいけない」
「容れ物?」
「要するに別の肉体。誰か他人の身体を、精神の容器として使うんだ」
「なっ!?」
ミリアとリリーの顔が青ざめた。クリフとディーンは嫌悪感からか顔をしかめている。
それでもトラヴィスはそのまま本を読み進めた。
「・・・肉体が滅びゆく精神を、精神魔術の技法にて輪廻の輪に入る前に捕縛する。次に準備した肉体へと移動させ定着させる・・・とある。つまり年老いたか、病気や怪我で死にかけている人間の精神を、別の人間の身体に入れ替えるという事だ」
「そんな・・・ではその容れ物にされる人の精神はどうなるのですか?」
リリーが震える声で聞いた。トラヴィスは首を振って、
「新しい精神が入る前に、精神魔術によって追い出される。そう言う儀式なんだよ。それに・・・どちらにせよ一つの身体に二つの精神は相いれないだろうな。魔力の質が違えば、体にも影響がでるだろうし。そして追い出された精神はすなわち死だ。・・・どう思う?間違いなく邪法だろう?」
吐き捨てる様にそう言って、トラヴィスは黒い本を閉じた。
(嫌だ・・・やっぱりこの話は・・・)
聞きたくない。この黒い本もこれ以上見たくない!
身体の震えを必死に抑える。
(しっかりしろって・・・)
ディーンが私を見ているじゃないか。また心配をかけてしまうぞ。
私は必死で平静を装った。ゆっくりと息を吐く。大丈夫だ。黒い本はもう閉じられた。
トラヴィスは皆の顔を見回すと、
「恐らくローズ達、闇の組織はライナスを蘇らせる事に成功したのだと思う」
確信した口調でそう言った。
「蘇ったライナスの力で闇の組織はアンファエルンの追跡から逃れた。儀式を行ったのは皇妃になる前のエンリル。手記にあったようにエンリルは恐ろしい程の精神魔術の使い手だった。恐らくこの儀式を成功出来るのは彼女だけだったのだろう」
「もしくは、蘇ったライナス・アークでしょうか」
ディーンが付け加えた言葉にトラヴィスが頷く。
「だろうな。エンリルに魔術を教えたのはライナスのようだから」
「しかしエンリル皇妃がライナスを蘇らせたのだとしたら、アンファエルン皇帝を操って闇の組織を弾圧し続けた事には、矛盾を感じます」
ディーンの言葉に私も心の中で同意した。
(確かにそうなんだよなぁ・・・)
エンリルの意図がいまいち掴めない。いったい彼女の目的はなんだったんだろう。
トラヴィスは両腕を組んで溜息をついた。
「エンリル皇妃が何を狙っていたのか、今となっては分からないさ。遥か昔の事だ。だがここ数年、闇の組織が活性化しているのは間違いない。それにはきっと何か理由があるはずなんだ」
そこで一旦トラヴィスは言葉を切った。
「恐らくイーサンはライナスの血筋の者だと思う」
唐突にだが、確信を持った声でそう言った。
「二人とも強力な闇の魔術の使い手ですものね」
ミリアが同意を唱え、その事を疑うものは最早ここにはいない。
「問題はこの手記だけじゃ、イーサンが探している闇の組織の神殿がどこか分からない事だな。紫水晶の洞窟と言う言葉だけじゃ、どこにあるのかがさっぱり分からない」
トラヴィスが困ったように言った後、私はそっと手を上げた。
「あのぉ・・・私その洞窟、心当たりがあります」
そう言うとクリフがハッとしたように私の方を見た。どうやら彼にも分かったようだ。私は無言でクリフに、こくりと頷いた。
「アリアナの・・・コールリッジ家の領にある別荘の近くにある洞窟だと思います。滝の裏にあるんです」
「え!?あのイルクァーレの滝の事ですか?恋人の伝説のある・・・そう言えば水晶が沢山ありました!」
ミリアが驚きの声を上げた。1年の夏休みに、洞窟のほんの入り口を探検した事があるのだ。
「奥に行くと紫水晶も結構あると、兄のクラークから聞きました。それにあの洞窟は見た目よりも深くて、一番奥までは誰も入った事が無いんです。それに別荘が作られたのはアリアナの父の代になってかららしく、それまでは伝説の滝の辺りは、あまり人が踏み入る場所じゃなかったそうです」
伝説を聞いたアリアナの父と母が滝で出会って結婚し、別荘が建てられ、さらに滝までの遊歩道が敷かれたのだと聞いた。今は滝の辺りはコールリッジ家の私有地になっている。
「調査する価値はありそうだな。だが・・・どうするか」
トラヴィスは考え込む様に腕を組んだ。
(洞窟を調べるのは簡単じゃ無いもんね。もしビンゴなら、中で闇の組織の人間と鉢合わせする可能性もあるしな)
だけど、このまま放って置く事も出来ない。
「よろしければ夏休みにでも、みんなで調査に行きませんか?別荘を拠点に使えますし」
「ああ・・・だけど夏休みまで悠長に待ってられないかもしない」
トラヴィスの言葉の端になんだか不穏な気配を感じた。