古い絵
トラヴィスはアンファエルンの手記を読み進めた。
「私を凶行に走らせたのは、私にかけられた精神魔術の影響である事をここに記す。私は自分の力を過信していた。宝玉の力は私の魔力すらねじ伏せたのだ・・・」
「宝玉!?」
「魔力増幅の宝玉の事でしょうか・・・?」
私はディーンと顔を見合わせた。この時代でも精神魔術に宝玉が使われていたのだ。
「・・・私は昔から、ヘンルーカがライナスを思っている事を知っていた。だが、私はヘンルーカを諦めきれなかった。ライナスが貴族では無い事を幸いに、私は無理矢理彼女を手に入れた。愚かな行いだったと、今は分かる。だが、若かったその時の私は、自分の気持ちを抑える事が出来なかったのだ。そして、彼女が私の元を去りライナスへと走った時、私の心に隙が出来た。それ以来私の心は精神魔術に支配された。私を解術できるのはライナスとヘンルーカだけだった。なのに私は二人を・・・」
(心の隙か・・・。そう言えば、学園で精神魔術をかけられた人達は、何かしら自分を見失ってしまっていた時だったかもしれない・・・)
エメラインやマーリン、私を断罪しようとした女生徒達。
(・・・ああ、眠らされた私もそうか)
確かにめちゃくちゃ落ち込んでいた時だったっけ。
トラヴィスは低い声で、手記を読み進める。
「・・・ライナスが作った組織は姿を隠した。どうやら何者かが先導し、犯罪に加担しているようだ。もはや、私の力では関係の修復はできないだろう。私はその事も二人に詫びねばならない・・・」
文章からはアンファエルンの苦悩が滲みでるようだった。酷い事をした人なのに、なんだか段々気の毒になって来る。
(精神魔術に操られてって事なんだよね・・・だとすると魔術を使ったのはきっと・・・)
トラヴィスの表情が曇った。ディーンの目も暗く陰っていた。多分、私達は同じ事を想像している。
「・・・私に精神魔術をかけたのは、皇妃エンリル。これは彼女の復讐だったのだ。だが私にはもう彼女を止める力は無い。それにこの事が公になれば皇国はまた乱れるだろう。私はこの手記と共に事実を封印する事にした。もしいつか真実を求める者が現れる時まで、ローズ・ヴェリティの手記と汚れた魔術も一緒に・・・」
トラヴィスは溜息をつきながら顔を上げた。
「・・・手記はここで終わりだ。アンファエルン初代皇帝を操っていたのは、エンリル初代皇妃だったと言うわけだ・・・ふん、全く・・・何と言う呪われた家系だ」
自嘲気味にそう言った。唇を噛みしめたトラヴィスの横顔を見て、私は何と言って良いのか分からなかった。
話を変える様に、慌てて残りの一冊の本を手に取った。
「こ、この本は何でしょうかね?」
その本の表紙には何も書かれていなかった。黒い装丁の薄いノートぐらいの厚さで、かなり古い本だ。
私はその本を開いてみた。
そして、たまたま開いたその頁に書かれていた文章に目を奪われた。
(え・・・?)
―――肉体を離れし精神を呼び戻す儀式―――
ザラリとした感触の、何か嫌な物に触れた気分がして、私は思わず本から手を離した。
「アリアナ?」
吐き気がして耳鳴りがする。まるでディーンの声が遠くに聞こえるようだ。
(気持ち悪い・・・この本は読みたくない)
この本には知りたくない事が書いてる。知ったら、きっと私は
「アリアナ、どうした?」
心配そうなディーンの声。
「・・・いえ・・・大丈夫です。・・・えーっと殿下。巻物を先に見ませんか?」
バレバレだろうけど、誤魔化す様にそう言った。
トラヴィスはアンファエルン皇帝の手記のせいで、まだ物思いに沈んでいたようだ。私の声にハッと気づいたようになり、
「あ、ああ。そうだな」
そう言って、彼も気を取り直す様に巻物を解き始めた。
ディーンは怪訝そうに私を見ていたけど、あえて気付かないふりをした。だって私にもさっきの気持ち悪さが何だったのか、分からないんだもん。
トラヴィスはテーブルの上に巻物を広げた。
「これは・・・系図か?」
巻物は皇族の古い系図のようだった。どうやら初代皇帝アンファエルンから数百年分の血脈が記されているようだ。
「見ろ」
トラヴィスは指し示した所に、先程知ったばかりの名前があった。
「ローズ・ヴェリティ・・・。え?さっきの手記を掻いた人ですよね?この方、伯爵夫人じゃないですか!?」
闇の組織の一員だから、てっきり平民かと思っていた。
「子供が二人ですね。・・・ヘンルーカ・ヴェリティと・・・エンリル・ヴェリティ!?」
「二人は姉妹だったのか!?」
聖女と初代皇帝妃の深い繋がりに、私達は愕然とした。しかしそこにはもっと、驚く事が記されていた。
「どう言う事ですか、これ・・・」
ヘンルーカとエンリル。系図上でこの姉妹は、二人とも、ンファエルン皇帝の皇妃となっていたのだ。
「ううむ・・・」
トラヴィスはうなりながらヘンルーカの部分を指差した。
「彼女は若くして亡くなっている。恐らくエンリルはその後でアンファエルンと結婚したんだ。ヘンルーカの身代わりとして」
「身代わり!?」
「ああ、当時皇国は創立したばかり。民衆を従わせるのに『聖女』と言う象徴が必要だったんだろう。多分ヘンルーカもそれが分かっていたから、最初は皇妃とる事を受け入れたのだと思う。・・・あくまで想像だけどな」
系図には、それ以上特筆する事は描いて無さそうだ。トラヴィスは巻物を巻きなおして紐でくくり直した。そうして彼が残りの黒い本に手を伸ばそうとするのを見て、私は思わず声を上げた。
「そう言えば殿下!小部屋にかけられてた絵は誰の絵だったのですか?」
黒い本を見たく無くて、口から滑り出た言葉だった。
(馬鹿だな。どうせ調べなきゃいけないのに)
自分に舌打ちしたくなる。だけどトラヴィスは気にならなかった様だ。彼も思い出したように、
「ああ、あの絵には四人の人物が描かれていたよ。二人はアンファエルン皇帝とエンリル皇妃だ。後の二人の男女は分からないが」
「ええ!?それって、もしかしてライナスとヘンルーカじゃ無いんですか!?」
「その可能性はあるな」
そう思うと俄然興味が沸いて来た。黒い本なんかよりも全然見てみたいぞ。
「本棚を元に戻す前に見てみるか?」
「はい、ぜひ!」
今度はディーンに見張りを頼んで、私はトラヴィスと一緒に小部屋に入った。中を見回しても、本当に絵とライティングディスク以外は何もない。
絵の前で、トラヴィスは手の平の炎を少し大きくして絵を照らした。
「・・・!?」
その古い絵の中には、見た事がある肖像画よりもかなり若いアンファエルン皇帝とエンリル皇妃と落ち着いた目をした黒い髪の一人の若者、そしてもう一人、長いブロンドの髪にスカイブルーの瞳の美しい女性が、柔らかく微笑む姿が描かれていた。
オレンジ色の炎の光に照らされた絵を見上げて、私は息を飲んだ。
「この人は・・・」
ブロンドの髪の女性・・・それは私の意識の部屋で会った、間違いなくあの女性だった。