変わったのはどっち?
地下にある禁書の部屋には、外の音が全く聞こえてこない。お互いの息づかいが聞こえる程静かな空間で、ディーンが閉じた本の音がパタリと響いた。
「この本で目に付いたのはこれぐらいです。もう少し探してみましょう」
内心の動揺を隠しきれないまま、私達はまた本棚の調査を続ける。そしてほんの数分後、今度はトラヴィスが私達を呼んだ。
「ここにも闇の魔力について書かれているみたいだ。いいか、読むぞ・・・闇の魔力、光の魔力は魔力そのものの根源となる力であり、二つの魔力は対となり互いを補う。そして世界の秩序の為に、二つの魔力の存在は必要不可欠である・・・。どう言う意味だ?」
私達は顔を見合わせた。私達が習ってきた事と全く違う。
「闇の魔力は悪しき能力で、この世に混乱をもたらすと我々は習いました」
私もディーンの言葉に頷いた。
「唯一対抗できるのが光の魔力だと、どの文献にもそう書いてありましたよ。でも、もしこの本に書かれている事が真実なら、闇の魔力イコール悪と言うのは間違っているという事なんでしょうか?それに、さっきの文献では皇国創建時に闇の魔術師のライナス・アークは初代皇帝に協力したって書いてましたよね」
「その後で何かあったと言う事か。闇の魔力を忌避するような出来事が・・・それとも何者かが闇の能力者を排除したかったのか」
―――闇の能力者はこの国にとって禁忌だからだ。存在する事すら許されない
イーサンの言葉が頭の中にフラッシュバックした。
トラヴィスは本をパラパラめくって内容をざっと確認した。
「この本はもう少し読んでみたいが後回しだな。なぜ闇の魔力が嫌悪の対象になったのか、その歴史の方を知りたい。それに闇の組織がどうして犯罪組織と変化していったのかが分かれば良いのだが」
「それと知りたいのは、闇の組織の地下神殿の場所ですよね」
ゲームの中でイーサンが探したと言う場所だ。そこにはきっと、何かがあるはず・・・
「あっ、そうか!」
突然、記憶と記憶が線で繋がる。私はポンと両手を打ちつけた。
「どうした?」
「地下神殿です!どうしてゲームでイーサンが地下神殿を探していたのか分かりました!」
「えっ!?」
「以前、イーサンが言ってたんです。闇の組織に大切な物を隠されているから、協力せざるを得ないって。きっとその『大切な物』の隠し場所が地下神殿なんじゃないでしょうか?」
「イーサンの『大切な物』とは何だ?」
ディーンが訝し気に聞き返す。
「それは・・・」
(しまったぁ!あん時はイーサンが嫌い過ぎて、詳しくは聞かなかったんだよなぁ)
今更ながらに悔やまれる。ゲームの主要人物の話なんだから、根掘り葉掘り追求すべきだった。まさか、こんな事態になるとは思って無かったもんな。
「す、すみません。分からないです。でもあのイーサンが闇の組織に力を貸す位だから、余程の物だと思います」
そうこう話している中、急に扉の方からコンコンという金属音が大きく響き、私達3人ともビクッとなった。
トラヴィスが扉を開けてみると、そこには図書館長が立っていた。彼が扉のノッカーを使ったのだ。魔術が施されているせいなのか、部屋中に音が聞こえる様になってるらしい。
何て心臓に悪いんだ。
「閉館のお時間です。皆様お出になってください」
(もうそんな時間?)
発見はあったけど、調べた時間に比べて収穫が少ない気がした。私達は疲れた顔でお互いを見回し、禁書の部屋を後にした。
図書館を出たところで先頭を歩いていたトラヴィスが私達に振り向いた。
「私は執務室に戻るが、君達はこのまま寮に帰りたまえ。明日もこの作業が続くのだから早く休むと良い」
「え?」
そう言うと返事も聞かずにスタスタと歩いて行ってしまう。
(ちょ、ちょっとねーさん!?)
去り際に私に向かってニヤッと笑ったのは見逃さなかったぞ!何でだよ!?
私が呆然としながらトラヴィスの去り行く背中を見ていると、
「リナ」
ディーンに後ろから声をかけられ背中に緊張が走った。
「帰ろうか」
「は、はひ」
噛んでしまった。
(だっさ・・・)
二人とも黙ったまま、寮への道を歩く。春になったとはいえ4月の夕方の風は、少し冷たさを残していた。
「寒く無いか?」
「だ、大丈夫です」
ヤバい、会話が続かない。
図書館と寮は学園の端と端だ。たっぷり15分は二人きりで歩く事になる。
(気まずい・・・)
ディーンに前の世界での名前を聞かれてから、彼は二人の時だけ私をその名で呼ぶようになった。私は10カ月も経ったというのに、今もそれに慣れなくて困っている。
(前は普通に話せたのにな・・・)
ディーンはあれ以来、少し変わったと思う。
あれは確かアリアナと入れ替わって私が再び表に出た時から、1週間程経った頃だっただろうか、彼は夜に突然寮を訪ねて来て、私にある提案をしたのだ。
「互いの利益の為に、婚約を継続しないか?」
「は?」
失礼だが頭は大丈夫か?と、その時は思ってしまった。
ディーンはアリアナが泣きながら激怒した事を忘れたのだろうか!?
呆れて言葉も出ない私に、彼は淡々と話しを続けた。
「公爵家同士の私達が婚約解消となると、周囲はかなり騒ぐ。勝手な憶測で良からぬ噂も立てられるだろう。これ以上注目されるのも疲れると思わないか?」
(う~ん、確かにそれはディーンの言う通りだけど、今までだって色々噂はされていたし、いまさらと言う気がしないでも・・・)
反応の良く無い私に、ディーンは淡々と説得を続けた。
「トラヴィス殿下とエメライン王女の婚約が破棄された今、リナがもし私と婚約を解消したら、十中八九殿下との婚約話が持ち上がる。それでも良いのか?」
「う・・・」
痛い所を突かれた。私がフリーになった場合、怖いのはそれなのだ。どう言う訳か、トラヴィスは私との結婚に抵抗が無さそうに見える。それどころか、むしろ乗り気そうなのだ。
(ねーさんからすりゃ、国の事を大事に思ってるからだろうけど、私が皇妃だなんてとんでもないぞ!)
気持ちが揺れる私を、ディーンはさらに追い詰めて来た。
「それに、リガーレ公爵だって、まだ君を諦めていないと思うよ。彼は君のお父上であるコールリッジ公爵とも懇意であるし、二人は事業の面で協力し合っている。だから君との結婚は両公爵にとって、メリットが大きんだ。リガーレ公爵の年齢を考えると卒業と同時に結婚と言う事も・・・」
「や、止めてください!」
ゲームのアリアナの結末を思い出して、思わずディーンの話を止めた。だってそれは私が一番恐れている事なんだから。
「だから私との婚約関係を続けることは、君にとって十分利益があると思うのだが?」
畳み込むようにそう言われて、私は口をつぐんでしまった。
(くっそ・・・そんなの言われ無くても分かってるって!分かってるけどさ・・・)
アリアナの気持ちはどうなんの?
こんな風にディーンと婚約を続けるなんて、もっとアリアナを傷つけるんじゃないの?ディーンだって分かってる筈なのに。
そう思って心の奥に意識を向けてみる。だけど不思議な事に、アリアナの気持ちが凪いでいる様に思えた。
(アリアナ・・・?聞こえてるよね)
どう言う事だろう、アリアナは絶対に嫌がると思ってたんだけど。
色々予想外の事に戸惑って、考えがまとまらない。だけどディーンの言う事を直ぐには承諾できなくて、私は何とか反論を試みた。
「互いの利益と仰いましたが、これでは私が得してるだけです。ディーン様にメリットがあるとは思えないですけど?」
私と婚約している以上、ディーンは他の人とは付き合えない。ちょっとした虫除けにはなるだろうけどさ。
するとディーンは顔色一つ変えずに、びっくりする様な事を言いだした。
「私は昔、婚約を打診されていた令嬢がいる」
「えっ・・・?」
「アリアナと婚約する前にね」
ドキンと胸が鳴った。これはアリアナの感情のせい?・・・それとも私なのか。
(令嬢って・・・マーリンの事だ)
「君と婚約を解消すれば、またその話が持ち上がるだろう。だが・・・私は、彼女との結婚を望んでいない」
「な、何故です?」
「私の気持ちは彼女には無いから」
ディーンはそう言って真っすぐに私を見た。思わずのけ反るように背筋を伸ばしてしまい、椅子がガタリと鳴った。
(う・・・あ・・・)
紺碧の瞳に縫い留められたように目を逸らす事が出来ない。動くと何もかも見透かされそうで私は呼吸を止めた。
(何で・・・何でディーンにこんなに緊張するのさ?)
心臓がうるさかった。
だけど先に視線を逸らしたのはディーンだった。私は一気に脱力して汗がドッと流れる。
「だから私にも婚約の継続はちゃんと利益があるんだ」
そう言って彼は目を伏せるとテーブルのお茶のカップを持ち、初めてお茶を一口飲んだ。
◇◇◇
あの時以来、私はディーンにずっと緊張しているようだ。彼の瞳に竦んだままの気がして悔しいのに、顔を見るのが怖い。
(こんなんじゃ、いかんよなぁ・・・)
ディーンとの契約はとりあえず卒業まで。それまでは婚約関係を続ける事になった。
(その間にトラヴィスとマーリンに関しては、他に婚約者が出来るかもしれないもんな。問題はロリコンだけど・・・)
グスタフ・リガーレの顔を思い出すと、やっぱりゾクッとした。
(悪い人じゃ無いかもしれんが、ロリコンはやっぱ無理!)
寒気を感じて私は自分を抱きしめる様に腕をまわす。すると、ディーンが自分の上着を脱いで、私の肩にかけた。
「え!?だ、駄目です。これじゃ、ディーンが・・・」
「寮に着くまでリナが着ていて。私は寒くないから」
(嘘つき野郎め・・・)
シャツ一枚で寒くないわけ無いじゃん。
だけど私とは逆に、彼はとても自然体に見える。見上げると柔らかく笑いかけられて、私は反射的に顔を伏せた。
やっぱりディーンは変わった。それとも・・・
(変わったのは私の方なのか?)
貸して貰った上着は、ほんのりと温かかった。