激甘小説
「アリアナ様。アリアナ様!」
「・・・う・・・ん?」
眠っているところを揺すられて、私は急速に覚醒していく。
「こんな所でお休みになっていては風邪をひいてしまいますよ」
「え・・・?」
メイドのマリアの声。
目をこすりながら身体を起こすと本がバサッと床に落ちた。私が寝ていたのはリビングの椅子で、しかもテーブルに突っ伏した状態だ。
眠い目を開けると、倒れたティーカップの紅茶がテーブルクロスに大きな染みを作っていた。
「あっ、ごめんなさい!」
慌てて片付けようとした手を伸ばしたけど、マリアにやんわりとさえぎられた。
「こちらは、私は片付けておきますわ。アリアナ様は学校へ行く準備をなさってください」
笑顔で優しくそう言ってくれる。
マリアがキッチンへと姿を消した後、私は額を押さえて頭を振った。
(・・・またか・・・何回目だと思ってるんだ!?)
私は腹立ちまぎれに、バンっとテーブルを叩きながら立ち上がった。
「いい加減、寝落ちする前にはベッドに入ろうよ!?」
心の中のアリアナに向かって、思いっきりそう叫んだ。
エメライン王女の襲撃や、精神魔術で眠らされた事件から早10カ月。その後は特に大きな出来事も無く、私はアンファエルン学園の3年生に進級した。
昨夜、椅子で机に頭を乗せたまま寝たせいか体中が痛い。私はあくびを噛み殺しながら準備をして学園に向かった。
(まったくもう・・・お嬢様はやっぱり我がままだよ)
アリアナと意識を交換した時、私達は彼女はもう表には出れないのだと思っていた。アリアナも私もそして周りのみんなも、その事を悲しんで大いに泣いた。
しばらくはアリアナの身体を奪っているという罪悪感と、アリアナの家族に対する遠慮で、あまり気分が晴れなかった。
それでも、周りに心配はかけたくないし・・・鬱々しているのはアリアナだって望んで無いと思ったから、無理矢理にでも気分を持ち上げた。そうしてアリアナの分まで、何でも精一杯やろうと本気でそう思っていたのだ。
だけど、1カ月ぐらいたった時の事だった。私はある異変に気付いた。
(あれ?こんなとこに置いたっけ・・・?)
部屋にある本や小物の置き場所が、微妙に変化しているのだ。最初は気のせいかとも思ったのだが、あまりにも続くと少々気味が悪くなってくる。
(誰かが部屋に入ってるとか?・・・いや、クラークはこんなことしないし、メイド達だって信用できる)
もしかして、またイーサンがやって来たのかとも考えたが、あいつが来て、ただ物の置き場所だけ変えて帰るなんて有り得ない。
妙な気持ち悪さを感じながら過ごしていたある日の事、私は夜中に寒気を感じて目を覚ました。
(さむっ!布団は・・・?)
ベッドから蹴落としたか?と思い、起き上がって唖然とした。なぜなら、昨晩ベッドに寝たはずの私が、リビングのソファに横になっていたからだ。
「えっ、なんで?!」
灯りも煌々と点いていて、なぜか手には一冊の本。よく見るとそれは、昨今世間で大流行している、でろんでろんに甘い恋愛小説だった。
「げ!?何これ?」
すると、気配を感じたのかメイドのステラが起きてきた。
「アリアナ様・・・どうかされましたか?」
「ス、ステラ!私、何でソファに・・・」
するとステラの答えはもっと私を驚かせた。
「ああ、本を読みながら眠ってしまわれたのですね。アリアナ様ったらお風邪を召しますよ?・・・それにしても最近、よく夜遅くまでリビングで読書なさってる事が多いですけど、寝不足になりませんか?」
「は?」
何の話だ?
(リビングで読書?部屋の机で遅くまで勉強する事はあるけど、本なんて読んでたっけ?)
「で、どうでしたか?その本。面白いですよね?」
ステラはキラキラした目を向けて、弾む声で私にそう尋ねた。
「え?」
「アリアナ様から貸して欲しいと言われた時は驚きましたけど・・・。そうですよねぇ・・・アリアナ様もお年頃ですし」
「はい?」
「続きも持っていますので、ご入用の時はいつでも仰ってくださいね」
うふふと笑いながら、ステラは私に上着を着せると寝室のドアを開けてくれた。私は呆然とした気持ちで部屋に入ると、一人ベッドに腰かけ、手に持ったままの本を凝視した。
その本の題名は、
『終われない恋に巻き込まれて~あなたの全てを知りたい~』
表紙には手を取り合って見つめ合う男女の絵。
「有り得ない!」
私はその本をベッドの上に放り、両手で頭を抱えた。何故なら、私はこんな激甘の恋愛小説など、ステラから借りた覚えは無かったからだ。いや、万が一借りたとしても、絶対に読まない!そもそも私は昔から、実用書以外はミステリーしか読まないんだよ!
(いったい何が・・・?)
この時点で私はまず、自分を疑った。
(も、もしかして、夢遊病か?)
物の位置が変わっていたのも、寝ながら自分がやったのかもしれない。
(う・・・嘘、怖っ・・・)
その夜は、不安で一杯で寝れなかった。一人で抱えたく無くて、朝になって直ぐに、クラークに相談した。もし変な病気だったら困るじゃない?
「ど、どうしましょっ?お医者さんに診て貰った方が良いでしょうか?」
焦る私にクラークは困った顔で頭を撫でながら、
「落ち着いて。君は夢遊病なんかじゃ無いよ。・・・う~ん、やっぱり隠すのは無理だと思ったんだよね」
「は?」
隠すって何を?
眉をしかめた私を見て、クラークは溜息をついてから申し訳なさそうに白状した。
「ごめんね。もう一人のアリアナに口止めされてたんだけど・・・」
そう言って、天地がひっくり返るぐらいとんでもない話を、私にしてくれた。なんと、私が寝ている間に本物のアリアナが私の身体を動かしていたと言うのだ!?
「なっ・・・えええ!?アリアナ、私と入れ替われるのですか!?」
「と言っても、君が寝ている時だけみたいで、しかも毎日は無理なようだよ。それに長くても一時間が限度だってさ」
クラークも夜中、入れ替わったアリアナに起こされて最初は心底驚いたらしい。
「で・・・どうしてそれを、私に内緒にしていたんです?」
クラークは苦笑しながら、
「多分、恥ずかしかったんじゃないかなぁ?ほら・・・もう二度と表に出る事は無いって、あの時は皆で大泣きしただろ?それが、君が寝てると簡単に入れ替われる事が分かって、気まずく思ったみたいだよ」
「気まずいって・・・後になって、ばれた方が余計に気まずく無いですか?」
「まぁ・・・君の言う通りだと思うけど。アリアナとしては、これ以上君に、気を使わせたく無いんじゃないかなぁ。あの子が外に出れると分かったら、君はアリアナとして生きにくいだろ?」
「あ・・・でも、それは・・・だってこの体はアリアナの・・・」
クラークは言いかけた私を首を振って止めた。
「今はもう、君の体だよ。それにアリアナが表に出れると言っても、ほんとに短い時間なんだ。それでも僕もアリアナも嬉しく思ってるけどね。・・・どうだい?たまにあの子に体を貸して貰っても良いかな?」
そう言って悪戯っぽい顔で片目を瞑った。
正直驚いたし、まだ混乱しているし、アリアナに対する申し訳無い気持ちもある。だけど、次第に嬉しさが込み上げてきた。
(アリアナ・・・表に出れるんだね!?良かった、本当に良かったよ・・・)
クラークも嬉しそうで・・・そんな彼を見ていると、じんわりと心が温かくなる。
(うん、こうなったら、いつでも私が寝てるときは自由にしてくれて良いからね!だってこの体はアリアナのものなんだからさ)
その時は本気でそう思った。本当にそう思っていたのだが・・・
私は寝不足の頭で授業を受け、そして放課後になって、いつものトラヴィスの執務室に行き、これまたいつもの愚痴を聞いて貰っている。
「・・・動き回るのは良いんですよ。元々はあの人の身体なんですし?ただ、寝る時はちゃんとベッドで寝て欲しいんで・・・う・・・くしゃん!」
春とは言えまだ4月。布団も毛布も無しで椅子で寝ていた私は盛大にくしゃみして、ハンカチで鼻を拭いた。
「おかげで・・・前より丈夫になったはずなのに風邪気味です。あの人はもう少し自分の体を大切にするべきです!」
執務室の大きな机の前で、トラヴィスは大笑いした。
「あっはっは・・・。あんたも大変ねぇ。まっ、アリアナ嬢としては少しでも動けるのが楽しくて仕方ないんじゃ無いの?大目に見てあげないさいよ」
「十分見てますよ!あの人が散らかした物も、私が全部ちゃんと片付けてるんですからね。でも、もうちょっと夜更かしは止めるのと、寝落ちする場所を気を付けて欲しいんです!」
私はこれ見よがしな大きなため息をついてみせた。そして心の中に強く叱責を飛ばしたのだ。
(ねぇ!聞いてるんでしょ?アリアナ!いい加減にしなよ!)




