本当の名前
それに私はリリーの事も気になっていた。何故なら私が目覚めてからずっと、彼女が私と目を合わさないようにしているのが分かったからだ。
(やっぱりあれかな?・・・私の事を憎んでたとかいう・・・)
そう思った途端、
「うっ」
ズキンと心が痛み、私は胸を押さえた。
「アリアナ!どうしたんだい!?まだ具合が・・・」
「いえ、だ、大丈夫です」
顔色を変えるクラークを、笑ってごまかす。こんな事で彼に心配をかけたくない。勝手に思い出して、自分でダメージを受けてしまっただけなんもん。
(うう・・・私、いったいリリーに何をしちゃったんだろ・・・?)
理由を教えてくれたら全力で謝るのに・・・いや、教えてくれなくても謝る!土下座でも丸刈りでも、なんでもするさ!
(アリアナのビジュなら、丸刈りでも小僧さんみたいで可愛いかも?)
アリアナ本人は滅茶苦茶文句を言いそうだけど、私は本気だ。
だけどあの時のリリーを思い出すと、この話を蒸し返すのは躊躇われた。きっと彼女も、これ以上聞かれたくない事なのだ。
(リリーが話す気になったら、いつでも良いから言って欲しい!私に出来る事なら何だってするよ!)
憎まれていたとしても、私はリリーが大好きなんだ。
「アリアナ様、それでは失礼致しますわ」
玄関の扉前でミリアが明るい顔を私に向けた。レティシアやジョーも、
「ではまた明日学校で、アリアナ様」
「じゃーね、アリアナ様」
手を振りながら二人とも、口調が弾んでいた。
3人とも、私が戻った事を心から喜んでくれている。本当のアリアナじゃない私の事を、受け入れてくれているのだ。それが有難くもあり、心苦しい。
「アリアナ嬢」
振り向くと、クリフが少し照れくさそうに笑った。目元や鼻の頭が赤い。やっぱり、私が戻った時に泣いてくれてたんだ。
(美形は泣いた後でも、やっぱ綺麗だぁ)
私じゃ瞼が腫れあがって、こうはいかないだろう。
クリフは私に、包み込むような優しい目を向けた。
「俺は・・・もう一人のアリアナ嬢には悪いけど、君がここに居るのが嬉しい。それにきっと、彼女もそう思ってると思う。だから元気を出して欲しい」
アリアナに対するやましさを見透かされた上に、そんな風に言われて、ぐっとなる。
「あ、ありがとうございます・・・」
だけど、優しくされると尚更心苦しいなぁ。
(もう一人のアリアナ嬢か・・・)
私はその時、なんとも言えないひっかかりを感じて、思わず皆を引き留めてしまった。
「ま、待ってくださいっ、皆さん!」
帰ろうとしていた皆は驚いて、不思議そうに私を振り返った。
「あ、あの・・・私は・・・」
(どう言ったら・・・?)
少し迷ったけど、思い切って言葉を出した。
「私の事、敬称無しで呼んで貰えませんか?私は前の世界では普通の庶民なのです。それに公爵令嬢の肩書はやっぱり本当のアリアナのものだと思うのです。だから・・・」
上手く言えない。言葉が詰まってしまった。
(ちゃんとしたお嬢様のアリアナと同じ呼ばれ方なんて・・・それに・・・うう、でも実は線を引かれてるみたいで寂しいなんて、恥ずかしくて言えない)
私の中でアリアナが「馬鹿ね」と笑った気がした。
「なるほど、それは良いかもしれないな」
タイミング良くトラヴィスが口を挟んだ。
「もう一人のアリアナ嬢と区別する事ができる。では、これからは君の事はアリアナと呼ばせて貰おう」
そう言ってこっそり私にウィンクした。私の為に気をまわしてくれたのだ。
(あ、ありがと、ねーさん)
トラヴィスの配慮に心の中で礼を言う。
「で、でもそんな・・・」
「ええ?、どうしましょう」
「なんだか恐れ多いです」
ミリアにレティシアとグローシアは少し困り気味だ。だけど私は両手を合わせて拝み込む様に頼み込んだ。
「ほ、本物のアリアナの為にもお願いします!」
すると、真っ先にジョーが「OK!」と声を上げた。
「分かったわ、アリアナ。うん、こっちの方がしっくりくるわね」
そしてクリフも頷きながら、悪戯っぽくにやっと笑った。
「ではアリアナ、俺の事もクリフと呼んでくれ」
「え!?・・・さすがにクリフ様を呼び捨てにするのは・・・」
「友達だろう?そうだ、殿下とクラーク殿以外は、みんなもお互いの敬称を無しにしないか?」
すると真っ先にジョーが「賛成!」と両手を上げ、パーシヴァルも軽く「いいんじゃない?」と片手をひらひら振った。
そんな様子を見て、ミリア達も「では、そうしましょうか・・・」と戸惑いつつもまんざらでは無さそうだ。リリーもニコニコ微笑んでいる。
(あらら、私だけじゃ無くて皆も敬称無しになっちゃった。・・・でも、色んな事で助け合ってきた仲間だもんね。呼び捨ての方がもっと近い友達っぽいし)
正直、前の世界じゃ「様」付けなんて、友達同士では無かった事だ。違和感この上なかったからなぁ。
「あ、ありがとうございます!」
私はなんとなく背負ってた重荷から解放された気分になった。
(やったぜ!『アリアナ様』とか『アリアナ嬢』って柄じゃ無いもんなぁ)
それに皆とは対等な関係でいたい。小さな違いかもしれないけど、私にとっては大事な事だったのだ。
(ふふふん、何だか再スタートとして幸先良くない?よし、明日からも頑張るぞ!)
だけどそう思った直ぐ後で、私のそんな浮かれた気持ちがすっ飛ぶような事が起こったのだ。
多分、向こうにとっては、何気ない気持ちで言った事なんだろう。だけど、確実に私の中に、何か得体のしれない物を彼は残していったのだ。
皆が玄関を出て行った時、一番最後はディーンだった。ディーンは私達に別れの挨拶をして、一旦背中を向けた。なのに突然思い出したように振り返ると、私がドアを閉めようとするのを片腕で止めた。ドアの間越しに、背の高いディーンを見上げると、サラリとした銀髪が流れる様に私の目の前で揺れた。
「え?あの?」
せっかくずっと目を合わさない様にしていたと言うのに、至近距離で見下ろされてドギマギしてしまう。濃紺の瞳が夜空のようで、本当に吸い込まれそうだ。
「ど、ど、どうしました・・・?」
「・・・名前を聞いても良い?」
「え?」
「君の本当の名前」
私は一瞬息を飲む。もう誰も呼ばなくなった・・・そしてこれからも呼ばれる事の無い私の名前・・・。どうして今、彼がそれを聞くのだろう?
「あ、あ、あの・・・?」
「教えてくれないか?」
たっぷり10秒ほど迷って、私はポツリと呟いた。
「・・・りな・・です」
「リナ?・・・少し似てるね」
(アリアナに?・・・確かにそうかも?)
ディーンは私を見下ろしたまま、感情の読めない顔で、
「私はずっと君の事をアリアナって呼んでいたから、これからはその名で呼んで良い?」
「へ?は?・・は・・・い?」
その時の私は、きっと凄くまぬけな顔をしていたのだろう。ディーンは目を細めてクスっと笑うと、
「おやすみ、リナ」
そう言って今度は振り返りもせず、廊下を歩いて行ってしまった。
(・・・へ?)
なんだか頭がふわふわしている。顔も体も異常に暑いけど、熱でも出て来たのだろうか?
私はクラークに呼ばれるまでドアを開けたまま、ポカンと玄関でたたずんでいた・・・。