別人(リリー視点)
長いまつ毛が揺れ、瞼がゆっくり開かれる。美しいエメラルドグリーンの瞳を見た時、私は心の底から安堵していた。ああ、精神魔術が解けたんだって。
だけど私の心は急速に、戸惑いと不安に変化していった。
(アリアナ様・・・よね?)
目覚めたアリアナ様は・・・私の知っているアリアナ様と何処か違ってる様な気がした。そんな事、あるはず無いのに。
(気のせい?・・・私が、あんな事を思ったから)
そうよ、私はアリアナ様に謝らなきゃ。だって、こんな事になったのは、自分のせいなのかもしれないんだから。
(あんな酷い事を考えたから・・・)
自分がこんなにも浅ましい人間だったなんて・・・。聖女候補である事すらおこがましい。
「誰だお前は・・・」
自分の考えに沈んでいたら、突然クリフ様の声が響いた。
私は驚いてしまった。この人はこんなにも、刺々しい物言いが出来る人だったのだろうか?私の知っているクリフ様は、いつもアリアナ様のそばで笑っていたから・・・。
「お前はアリアナ嬢じゃないだろう!?彼女は何処へ行った!?」
「わたくしはアリアナよ」
「ありえない!」
二人のやりとりを聞いて、私の中の違和感が増していく。
(ど、どう言う事なの?クリフ様の言う通り本当に違う。今までのアリアナ様じゃない・・・)
アリアナ様のあんな表情は見た事無い。喋り方だって全然違う。それにいつも彼女から感じられる強い光のような力が全く感じられない。まるで見た目はそのままで、違う人間が喋っているように見える。
私はすっかり混乱してしまった。だけど混乱しつつも、微かに気付いた事があった。
(全然違うわけじゃないわ・・・)
それはいつものアリアナ様から感じる温かさが、彼女からも感じられたから。
(そう、とても似ている)
とても弱いけれど、彼女からも同じ光を感じるのだ。
「だいたい、淑女の寝室に入るなんて紳士のする事では無くてよ。他の方達もさっさと隣のリビングに行ってくれなくて?わたくし着替えたいの」
傲慢そうに彼女が言った言葉を聞いて、(ほら、やっぱり)と思った。
言い方は少しきついけれど、私達に対して「リビングで休みなさい」と言っている様に思えた。
姿は全く同じで、だけど違う人格で、なのに優しさが似ている・・・?
(何が起きているのかしら・・・?)
こんなややこしい事、どう説明すれば良いの?自分でもどう解釈して良いのか分からない。
「ええと、皆・・と、とりあえずリビングに行こう。アリアナ嬢は着替えたいらしいから・・・」
ぐるぐると考えていたら、有難い事にトラヴィス殿下がそう促してくれた。
「お兄様、ステラにわたくしの着替えを手伝うように言って下さる?・・・ああ、でもわたくし喉が渇きましたわ。先にステラにお茶を入れるように伝えて下さいな。ついでに皆様の分も頼んで下さっても良くてよ」
部屋を出る時にアリアナ様が、つんつんした口調でそう言う。
(ええっと・・・これは皆にお茶を入れる様に頼んでくれたのよね?)
分かりにくいけど、この方はの優しさは、やっぱり私の知っているアリアナ様とよく似ている。
私達は揃ってぞろぞろと隣のリビングへと移動した。
「・・・では、クラーク。今のうちに聞きたい事が沢山あるのだが?」
座ったと同時にトラヴィス様が腕を組んでそう言った。
「今のアリアナは、私達の知っているアリアナでは無いようだ。だが、君やディーンとパーシヴァルは彼女が元々のアリアナだと言う。どう言う事か教えて貰いたい」
「はい・・・分かりました・・・その」
クラーク様はリビングに来てからは、少し落ちついたよう。だけど、口調はなんだか煮え切らない。
「アリアナは・・・馬車に横転事故で以前の記憶を失いました。・・・だけど今のアリアナは・・・前の記憶を思い出したようで・・・」
「記憶を思い出した!?」
クリフ様が立ち上がって声を荒げた。
「それだけで、あんな別人のようになるものか!」
私も心の中で、クリフ様の言葉に頷いた。
(私もそう思う。単なる記憶の有無では説明できない程、今のアリアナ様は違う人に思えるわ)
優しさや・・・どこか似ている所がある。だけど別人。
クラーク様はクリフ様の言葉に答えることなく、押し黙っている。何か逡巡している様に見えるわ。
その様子を見てトラヴィス殿下が溜息をついて、肩をすくめた。
「クリフ、とりあえず落ち着け。クラーク、何か事情もあるのだろうから、言える範囲で良いから答えろ。まず、アリアナはどうして魔力を流しても中毒を起こさない?それはいつからそうなった?」
クラーク様の額には汗が浮かんで、まだ迷っているように見えた。だけど観念した様に一度目を瞑ると口を開いた。
「アリアナが産まれた時からです。彼女は生まれつき、そういう体質なのです・・・少し長い話になります」
そう言って、クラーク様は話を続けた。
「アリアナは生まれた時に、医者から長くは生きられないと言われたそうです。未熟児で泣く体力すら無かったと聞きました」
たんたんと話すクラーク様の顔が辛そうに陰る。
「両親はそんなアリアナを助けようと、色んな治療を試みたそうです。それこそ何度も回復魔術を施したり、高名な医者に診て貰ったり。だけどあまり効果は無かったそうです」
そこで、クラーク様は私の方をふと見て笑みを浮かべた。
「あの頃、リリーのように光の魔力を持つ人がいれば、アリアナの助けになってくれたろうにね」
「クラーク様・・・」
「だけど、その頃には光の魔力の持ち主は現れていなかった。困り果てた両親はアリアナの精神を視て貰う事にしたのです。ヘルダー伯爵や殿下の様な『目』の持ち主に。それが、グスタフ・リガーレ公爵です」
「え!?」
「ええっ?」
トラヴィス殿下とディーン様が同時に驚きの声をあげた。二人とも何故か凄く複雑そうな顔で口元を押さえている。
(どうしたのかしら・・・?そう言えば、アリアナ様はリガーレ公爵を苦手としていたような・・・)
夏の別荘での事を少し思い出した。グスタフ卿の前で、笑顔がひきつるアリアナ様。
「リガーレ公爵はヘルダー伯爵と同じ事を言ったそうです。アリアナの身体には魔力を巡らす術が無いと。『脈』と言う言葉は使わなかったそうですがね。だから、アリアナには魔力が無い。そして何よりも彼女の精神がまるで欠片の様に小さいのだと・・・。その影響が身体にまで及んでいるというのが公爵の見解でした。」
「そんな・・・」
「なんてお可哀そうな・・・」
ミリアが眉を寄せ、レティシアが両手を口元に寄せた。
(欠片の様な精神・・・?)
それは私の知っているアリアナ様には、全く似つかわしくない事だと思った。