『アリアナ』と『私』
前の世界で生きていたのは、私もトラヴィスも同じだと思う。同じ乙女ゲームをやっていた事から、年齢は違うけど同じ時代に居たのだろう。だけどこの世界での存在の仕方が、違っているような気がした。
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少なくとも、『私』はイコール『アリアナ』では無い。アリアナの記憶なんて持っていないし、前世を思い出したと言う感覚も無い。
『私』はあくまでも『私』で・・・気が付いたら『アリアナ』の肉体で目を覚ましたのだ。そして、その時からずっと『アリアナ』の存在をどこかで感じている。彼女は私の行動を止めようとしたこともあったし、一度は『私』と代わって、表面に出てきた事だってある。
(イーサンは私の中に二人居るって言った。そして、そのうちの一人・・・アリアナは弱くて、表に出てこれないんだって・・・。だから、やっぱりトラヴィスとは違うんだ。私はアリアナの前世なんかじゃない。別の人格なんだ)
私はトラヴィスに、その事を説明した。
「驚いたわね・・・。あんたもてっきり、前世を思い出した口だと思ったわ。でもさ・・・もしかしたら単に、事故のショックでアリアナの記憶を忘れたとも考えられない?」
「だとしたら、たまにアリアナが出て来るのっておかしくないですか?しかも、私の息の根を止めようとした事もありましたよ?」
「いやいや、自分の息の根止めちゃ駄目でしょうよ。う~ん・・・だったらさぁ、2重人格って事はない?事故のショックで、前世の自分と、今世のアリアナの部分に分かれたってのはどうよ?」
「イーサンの話を聞いて無けりゃ、良い線いってる気はしますけどね。だけど、あいつは私の中には二人居るって、確実に言ってました」
まぁ、イーサンが嘘ついて無ければだけどね。それに奴の言った事を素直に信じるのも癪だけど・・・
「ふーん・・・」
トラヴィスは少し考え込むようにして、「そうか・・・魔力を視るのを使えば・・・でも・・・」と、何かブツブツと言い始めた。
「殿下?」
「・・・いや、うん・・・やっぱできるか・・・うん」
「どうしたんですか?」
困惑する私を無視して、トラヴィスは突然くるりと振り向くと、机を回ってスタスタと近づいて来た。そして私の頭を両手でがしっと掴むと、いきなり顔を近づけてきたのだ!
「でで、殿下!?」
「しっ!動かないで!」
(う、動かないでって・・・!?)
万力の様な怪力で頭を掴まれては、動きようが無い。そして、トラヴィスはおでこが付きそうなくらい顔を近づけて眉間にしわを寄せ、私の目の中を覗きこんだのだ。
(な、なんなの?この状態は!?)
私は不気味なトラヴィスの様子に意味が分からなくて、額に汗をかきながら固まってしまった。
「ほうほう・・・なるほどね・・・。分かる、分かる・・・」
(分かるって、何がよ?・・・い、いやだぁ・・・この人、まだブツブツ言ってるよぉ~)
掴まれた頭は痛いし、トラヴィスの目付き異様だし、なんかもう、怖くて涙目になってしまう。
(だ、誰か助けて~~~~!)
すると私の心の叫びが聞こえたのか、執務室のドアが突然「トントン」とノックされた。
「入りたまえっ」
集中しているトラヴィスは、私の頭を掴んだ状態でぞんざいに答えた。
(えええっ!?)
いや、駄目なんじゃない!?今は!
「失礼しま・・・」
思った通り、執務室に入ってきたディーンは、私とトラヴィスの姿を見て絶句した。
「あ・・・」
「あ・・・」
最初のはディーンの声で、次のは私だ。トラヴィスの馬鹿は、逃げようとしている私の頭を、未だ掴んだままである。なんとかして抜け出そうとするが、全く離してくれない。
(ぐ、ぐぐ・・・、痛いっ!この馬鹿力!)
すると、急に腕を引っ張られる感覚があった後、私はトラヴィスの手から逃れる事が出来た・・・と同時に、顔を何かに押し付けられる。
「んぐ・・・む、む・・・」
(く、苦しい・・・今度は息ができない・・・!)
もがきながら顔を上げて、「ぷはっ」と息を吐き、やっと自分の状況が分かった。
驚いた事に私の顔が押し付けられたのは、ディーンの胸だった。彼は両腕で思い切り私を抱え込んで、トラヴィスを睨みつけている。どう言うわけかその目はゾッとする程冷たかった。
(ななな、何で・・・?)
状況に思考と感情が追い付かず、目が回りそうになる。そんな中、ディーンが口を開いた。
「殿下、これはどういう事ですか・・・!?」
普段の彼とはまるっきり違う厳しい声。だけど私はこのディーンの声と表情に覚えがあった。その事を思い出して、身体が一瞬で冷たくなって震えだす。
(学園で・・・最初に会った時のディーンだ。アリアナを嫌ってて、リリーを庇おうとした時と同じ・・・)
心の奥底が冷えていく様な感覚と、絶望的な悲しみが胸に広がる。何・・・?これは・・・私の中のアリアナの感情?
空気がピリッとする程、緊迫している。ディーンの態度は皇太子に向けて良いものでは無い。明らかに不敬だ。
(マズい・・・駄目だよ、ディーン!)
そう思うのに、声が出ない。アリアナの感情が、私の身体をすくませていた。
けれど、トラヴィスの表情は平静で、怒ってる様子も慌てた様子も無い。それどころか目の奥には、面白がっている様な色も見られる。彼は悠然とした態度で自分の机に半分腰かけると、長い脚を組んだ。
「そんな顔をするなディーン。君の婚約者が怖がっているぞ」
「アリアナに何をしようとしていたのか伺っても!?私には彼女が嫌がっている様に見えましたが」
(え・・・!?)
そうか・・・そうなのか!
私が嫌がってるのが分かったから、ディーンは怒ってくれてるんだ。
そう理解した途端、身体の震えが止まる。私は慌ててディーンを見上げた。
「あ、あのディーン様!私は大丈夫です・・・から・・・」
そう言いかけた私を、ディーンはスッと見下ろした。藍色の目が、暗い炎のように揺れているのを見て、言葉を続けられなくなった。
(・・・めっちゃ怒ってる・・・え?、もしかして私にも怒ってるの・・・?)
怖い・・・怖すぎる。こんな恐ろしいディーンの目は、ゲームの断罪シーンでしか見た事が無い。アリアナを断罪する目だ・・・
背筋を冷たい汗が落ちていく。それなのに魅入られた様に目を逸らすことが出来きない。
「ディーン、落ち着け。アリアナは何も悪くない。お前は少し思い込みが激しい所がある。まずは、こちらの話しを聞け!」
見かねたのかトラヴィスは呆れたように片手を振った。
「自分の婚約者が、無体な事をされているのを見て落ち着けと?聡明な殿下の仰る事とは思えませんが」
冷静な口調の中にも苛立ちが滲んでいた。それを聞いてトラヴィスはやれやれと言う風に肩をすくめ、溜息をついた。
「ひとまずは謝っておこう。お前の考えている様な事はしていないが、アリアナの頭を無理やり抑えていたのは事実だからな。済まなかった」
と、あっさり頭を下げた。すると私の頭や背に回されていたディーンの腕の力がわずかに弱まった。
「・・・理由を伺っても、宜しいですか?」
少し落ち着いてきたのか、口調もやや柔らかくなっている。ピリピリした空気も無くなった。トラヴィスはもう一度、肩をすくめた。
「ああ。その前に言っておくが、私は単にアリアナの目を見ていただけだからな。思いついたことが有って、すぐ試してみたくなったのだ。ふむ・・・これは最初にアリアナに説明するべきだったな。どうやら焦って、彼女を怯えさせてしまった様だ。それも謝っておく」
トラヴィスは私に向かっても頭を下げた。そして、さらに説明を続けた。
「魔力の評価テストを受けた事があるだろう?子供の頃か・・・もしくは2年次に進級する時に受ける試験だ。その試験官達は、どう言う能力を持っているか知っているか?」
突然、話の内容が変わったせいか、ディーンは訝し気な顔をした。
「ええ、その試験なら私も幼少期に受けた事があります。確か試験官の方は、特別な『目』を持っていて、魔力の量や属性を測る事が出来るとか・・・。でも、それが何か?」
私もトラヴィスのさっきの行動との繋がりが分からなくて、首を傾げる。
トラヴィス我が意を得たりと言う風に、笑みを浮かべた。
「私もその『目』を持っているんだよ」
「ええっ!?」
私とディーンの声が重なった。
「国の専門の試験官と、同じくらいの測定能力を持っていると思って貰って良い」
さらっとそう言うトラヴィスに、私はディーンと顔を見合わせた。
(はぁ~・・・さすが、ミスター・チート。なんでもござれなわけか)
思わず拍手したくなるくらいだ。
「この『目』の能力は、他人の目の奥を『視る』事で発動できる。その人物の持つ魔力や属性を、色や形や大きさなどのイメージで、知る事が出来るんだよ」
「へぇ・・・、凄いですね」
思わず私がそう言うと、ディーンの腕が微かにビクッと動いた。
どうしたんだろう?
トラヴィスは構わず続ける。
「それで、やっと話は戻るのだが、魔力と言うのは人の精神に紐づけられているものなんだ。だから先程、アリアナの話を聞いて思いついたのだが、『目』の能力を使って、相手の肉体に宿る精神を視る事が出来ないかと思ったのだ。精神はイコール魂と言っても良い。それがどの様に私の『目』に映るのか、どうしても気になった。それで、直ぐに試してみたくなったのだが・・・ふふ・・・アリアナには私が突然、奇妙な事をし始めたように見えただろう。おまけにディーンには叱られるし、散々だったな、ははは・・・」
愉快そうに笑い出したから、ディーンも私も毒気を抜かれてしまった。ディーンの目の中にあった怒りも、すっかり消えてしまっている。
(よ、良かった・・・)
ホッとして、力が抜けるのが分かった。自分で思っていたより緊張していたようだ。それにトラヴィスの奇行の意味も知る事が出来て、色々と腑に落ちた。要はトラヴィスは、イーサンが言っていたように、私の身体に精神が二つあるのかを確かめようとしたのだ。
(ディーンが居るから、結果を今聞くことはできないけど・・・)
そう思いながらトラヴィスに目を向けると、彼は何故か、悪戯そうな目を私に向けた。
「それにしても、お前たちはいつまで、私に見せつけるつもりだ?ディーン、お前がそんなに情熱的だったとは、知らなかったな」
そう言って、ニヤッと笑ったのだ。
そう言われて私はハッと我に返る。ディーンはここに来てから、トラヴィスが話している間もずっと、私を自分に抱き寄せたままだったのだ。