真夜中の訪問者
私は覚醒しながら自室のベッドで寝がえりをうつ。その拍子に額に当てていた濡れタオルが落ちた。
(あ・・・っと布団が濡れる)
タオルを掴んで、サイドテーブルに置いてあった水桶に放り込んだ。
二日間寝込んで、どうやら熱は下がったようだ。身体はまだ怠いけど、熱がある時に特有のボーっとした感じは無くなった。
私は一つ伸びをして、体を起こした。
「明日は学校に行けるかな?・・・あ~、いんや、クラークに引き留められるか・・・」
アリアナを溺愛してる兄は、念のためにもう一日休めと言うだろう。下手したら、今週いっぱい寮から出して貰えないかもしれない。
私はベッドから身体を起こし、布団から出た。まだフラフラするけど、気分はスッキリしている。
「今、何時だ?」
部屋の中が暗い。辺りも周りも静かだから、真夜中なのかもしれない。私は机まで歩いて、ランプを灯した。時計の針は3時を指してる。
メイドが用意してくれていた水を飲んで、もう一度ベッドに潜り込む。けれど、ずーっと寝ていたからか、なんだか目が冴えてしまった。
(なんか・・・色々夢を見たなぁ・・・)
天井を見上げながら、熱のある中で見ていた夢を思い出して、少々うんざりした気分になる。
「・・・トラヴィスってば、なんで私に恋愛話ばっかふってくるんだろう?」
攻略者の中では誰が好きかとか、誰が一番格好良いと思うのかとか・・・。だいたい彼らはヒロインの為の攻略者達であって、悪役令嬢は関係無かろうに。
(中身はアラサーのOLのねーさんだもんなぁ)
前世は29歳の独身キャリアウーマンだったらしいトラヴィスは、どう言うわけか若者達の恋愛模様に興味津々らしいのだ。私は彼とはもっと重要な話をしたいというのに・・・。
「だいたい、トラヴィスって暗殺者に狙われてるんだよね?あんな、のほほんとしていて大丈夫なのか?」
トラヴィス自体は超がつくチートだし、学園は厳重に警備されてる場所だから大丈夫かもしれない。それでもモーガン先生の事もあるし、イーサンみたいな能力者が相手だとしたら油断は出来ないと思う。
それにトラヴィスがゲームをほぼ完全コンプリートしているなら、その内容だって聞いておきたい。闇の組織や闇の魔法の事や、イーサンの弱みに繋がるヒントが隠れてるかもしれないじゃないか。
(なのにすぐ話が逸れるし、頼まれた仕事は忙しいし・・・うう)
執務室では、私はトラヴィスと二人きりなのだ。なのに長く話が出来たのは、自習中に呼び出された時と、秘書になった最初の日ぐらいだった。トラヴィスは皆と作業室に居る事も多いし、学園の事だけで無く、皇国の公務の一部も担っている。だから最近は、なかなか二人で話が出来なくなっていた。
運良く執務室で二人になれた時も、どう言うわけかディーンやクリフ、兄のクラークがしょっちゅう出入りするから、深い話が出来ないでいる。トラヴィスは「心配されてるわねぇ」とにやにやしながら私に言ってきたが、意味が分からない上に気味が悪かった。
「もっとトラヴィスと話す時間を作らないと・・・でもってイーサンに『参りました』と言わせるネタを・・・」
と私が天井を見上げながら、ぶつぶつ言っていた時だった。
「へぇ、俺をまいらせるの?どうやって?」
声と共に、目の前に人の影が現れたのだ!!
「ぎゃあーーーーーーーっ!!!」
あまりの事に、恐怖映画の登場人物の様な叫び声をあげてしまった。それに布団のシーツを引っ張り過ぎて、微かにビリっと音がした。
「うるさ・・・相変わらず、騒がしい奴だな。くっくっく・・・」
影が笑い声に合わせて揺れた。
この声、そして人をちょっと小馬鹿にした物言いときたら!
「・・・あ、あんた、イーサン!?」
「淑女とは思えない、雄たけびだったな。公爵令嬢」
「なっ!・・・くっ・・・や、やかましいわ!」
だってランプだけの灯りで、ほとんど顔が分からない黒い影が突然、私に覆いかぶさる様に現れたのだ。誰だって叫ぶだろう。
「何しに来たのさ!?言っとくけど、隣の部屋に兄や使用人だっているんだからね!大声出すよっ!」
「馬鹿かお前は。たった今、大声をあげただろ?それで誰か来たか?この部屋にはシールドを張っている。どれだけ騒いでも誰にも聞こえない」
そう言ってニヤリと笑った。正確には暗くて分からないが、絶対そうだと思った。馬鹿にされるのは気配で分かるのだ。
(大体この私に向かって『馬鹿』だとぉ!?ふざけんじゃ無いよ!)
私はギッとイーサンを睨みつけた。
「怖いね、公爵令嬢。俺は話をしに来ただけだよ。そう睨むな」
「こんな夜中に何の話よ!?こっちは病み上がりだってのにさっ。それに一体、どうやって入ってきたの!?」
この学園は不審者が入れないよう魔術で警備されているし、寮の部屋にも兄がシールドを張っていたはず。なのに、こいつは易々と私の寝室に入り込んできてるのだ。
(どこまで強い魔力持ってんのよ・・・しかも図々しくて、厚かましくて、太々しい!)
全部同じ意味だが構わない!心の中でけちょけちょにけなしてやる。
だけど私の気持ちとは裏腹に、意外にも真面目な声で、イーサンはゆっくりと諭すように言った。
「サグレメッサ・モーガンに気を付けろ。あの女は闇の組織の者だ。・・・しかもその辺にいる下っ端じゃない」
「えっ?」
闇の組織・・・?モーガン先生が!?
「ど、どうして?闇の組織って、あんただってその一員なんでしょ?何でそんな事教えてくれるの・・・」
だってモーガン先生が闇の組織の者だとしたら、仲間ってことじゃないの?
「俺は闇の組織には入ってない、今はな。・・・仕方なく関わってるだけだ」
「は?関わってたら一緒でしょうが。それにモーガン先生にしろ、あんたにしろ、何で私にかまうわけ?」
1部で消える、モブ悪役なのに。
するとイーサンは面白いものを見たように、暗闇の中で目を細めた。
「分からないのか?クラーク・コールリッジ、ディーン・ギャロウェイ、クリフ・ウォーレン、リリー・ハート。お前の周りにいる奴らは、この皇国の未来を担う奴らばかりなんだ。そんな奴らの中心にいる奴に、興味が沸くのは当たり前だろう?」
「それこそ、はぁ?だよ。お兄様は家族だし、みんなは友達ってだけで、私は中心にいるわけじゃない。それに私は家柄と頭以外は何も持ってないよ」
全く意味が分からない。私の周りが凄いのは認める。だけど何度も繰り返すが、私はただのモブなんだから。
けれど、イーサンは「くっくっくっ」とおかしそうに笑うと、
「持ってるだろう?お前・・・前よりも、もっと混ざってるな」
「え?」
どきりと胸が鳴った。
「もう一つの命と溶け合ってる。ふふ・・・どういう気持ちだ?」
頭がぐらりと揺らいだ気がした。溶け合ってる・・・アリアナと・・・?
返事の出来ない私に、イーサンは目を覗きこむようにして言葉を続けた。
「面白い・・・、溶け合い交じり合っているのに、個として存在しているのか。お前はどういう風に感じている?」
興味深そうに聞いて来るが、私はそんなのに答える余裕は無かった。
(・・・やっぱりアリアナの魂と私が混ざってきてるのか・・・?このまま進むと私はどうなる?アリアナは?私の気持ちは私のものなのか、それともアリアナのもの・・・それに・・・このまま混じって行くと、もしかして・・・アリアナは消えて・・・)
駄目だ・・・考えが全くまとまらない。ぐらぐらする頭を落ち着けようと、私は目を瞑って息を吐いた。とにかく冷静にならなくっちゃ・・・。
すると顔の直ぐ上で、呆れた声が聞こえた。
「おい、こういう状況で目を閉じるとは、良い度胸だな」
「へ?」
そう言われて、私は目を開けた。
「今、自分がどういう状況なのか、理解して無いのか?」
にやにや笑いながら指摘されて、私は今の状態をゆっくりと分析した。
(真夜中)
(ランプだけの灯り)
(ベッドの上)
(イーサンは私の上にまたがってて)
(でもって両手は私の顔の横で・・・)
(顔は額が付きそうなぐらい近い・・・)
(・・・っ!?!)
「うううううわぁぁぁぁ!!!」
私は慌てて両手でイーサンの胸を押し、ベッドの上を後ずさる様に彼から逃れた。けれど、
「わっ、きゃあ!」
ドサッ。
勢い余って、端からベッドの下に転げ落ちてしまった。
「あっはっはっはっは・・・・」
イーサンの馬鹿笑いする声に腹が立って、私は急いで立ち上がる。彼はベッドの上に胡坐をかいて、お腹を抱える様にして大笑いしていた。その様子に、私の頭がさらに沸騰した。
「あ、あ、あんたねぇ!この前と言い今と言い、じょ、女性に対して、なんて失礼な態度なのよ!?いい加減にしなさいよっ!」
両手の拳を振り回しながら、叫ぶ様に抗議すると、
「この前?なんの話だ?」
この野郎!覚えて無いとは言わせないぞ!
「滝の所で!む、無理矢理私の頬にキ、キ、キ・・・」
(い、言えない・・・く、くそぉ・・・うう・・・)
「ああ、キスした事か」
事も無くあっさり言われて、顔にボッと火が点いたように熱くなる。するとイーサンはベッドの上からにじり寄り、私の顎に指を添えた。
「なんだ?もう一度して欲しいのか?」
頭をガンッと殴られた様な衝撃が走る。
(なな、何を言っとるんだ!そして何をしとるんだ!こいつは!?)
慌てて、イーサンの手を撥ね退けた。
「ば、馬鹿じゃ無いの!?あんたって、も、もしかして、ロリコンなのっ!?」
パニックの余り、つい言わずもがなの事を言ってしまった。
イーサンは数秒キョトンとした顔のまま固まった。しかし突然「ぶっ!」と吹き出して、お腹を押さえてベッドにうつ伏せに倒れた。身体を震わせて、声も出ないくらい笑っている。まるで、笑い上戸の発作が起きた時のクリフみたいだ。
(・・・酷い・・・)
なんて奴だ・・・。なんかもう、色々酷い、酷過ぎる。
私はベッドの横で腕を組んで、見下ろす様に睨みながら、イーサンが笑い終わるのを待った。
「はっはっは・・・あー、はは・・・うっ、ごほっ、げほっ。・・・はぁ・・・。」
笑い過ぎて咳込んでやがる。
涙目でやっとこっちを向いたイーサンを、思いっきり冷たい目で見てやった。
「くっく・・・睨むなって。はは、こんなに笑ったのは、久しぶりだな。お前、俺を笑い殺す気かよ?」
(おっ・・・?)
目尻を下げたイーサンの顔には、いつもの馬鹿にした笑みは浮かんでなかった。なんだか普通の少年の様で、逆にドキッとさせられる。
(なんだ、こいつ、こんな顔もできるんだ・・・。普通に笑うと、結構可愛い・・・)
そこまで考えて、ハッと気を取り直した。いかんいかん、騙されるなよ私。