ねーさん
私を廃寮から救い出してくれた人物は、トラヴィス・レイヴンズクロフト。アンファエルン皇国の王太子であり、乙女ゲーム『アンファエルンの光の聖女』のメイン攻略者であった。
なのにどうして彼の言動が崩壊しているかと言うと、それは彼が私の唯一の『お仲間』だからである。
それが分かったのは、自習時間に執務室に呼び出された時の事だ。
◇◇◇
「あっはっはっは・・・、もう、やっだぁー!そんな、怖がんないでよぉ~!」
腹を抱えて、けらけらと笑い続けるトラヴィスを見て、私は心底引いたし恐怖さえ覚えた。
(何!?怖っ!しかもなんで、おねえ言葉!?)
ヤバい人だ。本物だ。そう思って本気で逃げようとドアノブに手をかけたが、全くドアは開かなかった。
(うそっ!閉じ込められた?)
サーっと全身から血の気が引いた。あんなに頑張って来たのに、ここで私のアリアナとしての人生は終わるのかと、一瞬覚悟を決めたくらいだ。するとトラヴィスは笑いすぎて涙が浮かんだ目じりを拭きながら、私に向かってひらひらと手を振った。
「ごめん、ごめん!怖がらせるつもりはなかったんだけどさぁ、ちょっと吃驚させようと思っちゃって・・・うふ。そうしたら、あんまり良い反応してくれるから、こっちもついね」
そう言って、ぺろりと舌をだした。
(・・・はい?)
何なんだ、このトラヴィスらしからぬ言動は!?全然ゲームの中の完全無欠の皇太子らしくない。まるで中身が誰かと入れ替わったような・・・と、そこまで考えて頭を叩かれた気になった。
「ちょ・・・ちょっと待ってくださいよ・・・貴方って、もしかして!?」
「ふふ・・・『アンファエルンの光の聖女』あんたも、プレーヤーだったんじゃない?」
動揺する私に、トラヴィスはニッコリと極上の笑みを返した。
まぁ座りなさいよ、と言われ、私はフラフラと再び椅子に腰かけた。
驚いた。まだ心臓の鼓動が早い。
「そ、その・・・殿下はいったい、いつから・・・?」
「トラヴィスで良いわよ。殿下なんて固っ苦しいから。そうねぇ、5才くらいだったかなぁ・・・」
「そ、そんなに早く!?」
それじゃ、私の大先輩だ。
(私がアリアナになったのって、ほんの一年前だからなぁ・・・)
トラヴィスは机に両肘をついて、手の平に顔を乗せた。
「驚いたわよぉ。あの頭悪そうだった悪役令嬢のアリアナが、すっかり優等生になってるんだもん。しかもダンスパーティでの断罪イベントが、全然違うものになってるし。その上あのディーンがアリアナの婚約者のままでいるなんて、ありえないじゃない?あっこれは私と同じかも?って思ったわけ」
「は、はぁ、なるほど・・・。」
「で、ダンスに誘って、ちょっとカマかけてみたんだけどさぁ、効果てきめんだったわね。あんたって、顔に出やすいんだもん」
そう言って、面白そうに笑う。
(いや、別に良いんだけど・・・良いんだけどね・・・良いのか!?)
この無視できない程の違和感。自分の顔が引きつるのを感じた。
(乙女ゲームのNo.1イケメンと言っても過言ではないトラヴィスの顔で、この言動・・・)
眉間を親指と人差し指で押さえて、深呼吸して脳を落ち着かせた。そしてトラヴィスと目を合わせないようにして、
「すみませんが、殿下。どうして、その・・・殿下の喋り方が・・・あのう・・・「おねえ」のようになっているのでしょうか?」
恐る恐る問うた私に、トラヴィスはキョトンとした顔を向ける。そして、
「えーやだぁ、おねえだなんて。だって私、前世OLだもん。これが普通でしょ?」
当然とばかりに返された。
「いや、普通じゃないです!トラヴィスはこんなんじゃなーい!」
と握りこぶしで大声を出してしまう。そんな私を見てトラヴィスは、今度は手を叩いてケタケタと笑った。
どうやらトラヴィスの中身は、たちの悪いお姉様のようだ。私は力が抜けて、肩を落とした。
だけど、トラヴィスの『昔の話』を聞いている内に、私もつられて段々笑えて来た。そして・・・たった一人だと思ってたこのゲームの世界で『仲間』に出会えた事に、心が浮き立つのが分かった。どうやら彼(彼女?)は随分前からトラヴィスをやってるようだし、色々情報を聞けるだろう。
だけど残念ながら、ここで授業のチャイムが鳴ってしまった。
「ねぇ、秘書。引き受けてくれるでしょ?」
トラヴィスねーさんは、テーブルに片肘を付いて顔を乗せたまま、片目を瞑った。
「聞かなくても分かってますよね?」
私もニッと笑って親指を立てる。思わぬ流れで、私は自ら望んでトラヴィスの秘書を引き受ける事になった。
まさか自分と同じ境遇の人がいるなんて思ってもみなかった。驚いたけど、懐かしい世界の話が出来るのが純粋に嬉しかった。
だけど良い事ばかりじゃない。トラヴィスと親しくなるのは、想像していた以上にエメラインの神経を逆なでしたようだ。以来ずーっと、多種多様な嫌がらせを受ける事になったのだ。
だとしても、今回の誘拐モドキはさすがに行き過ぎだ。トラヴィスがストーリーを知ってたから良かったものの・・・。
廃寮から林を抜けながら、私はトラヴィスを見上げた。
「あのぅ、そろそろ何とかして貰えませんか?私はただのモブ系悪役なので、エメラインに本気で攻撃されたら、普通に死にます」
「う~ん、確かにそうよねぇ・・・」
トラヴィスは思案気に唇に人差し指を当てた。
「確かにあんたじゃ、ヒロインの様にはいかないわよね。でもさぁ、あんただってリリーがエメラインに目を付けられるのは嫌なんでしょ?だから自分の方に目を向けさせたいって言ってたじゃない?」
とトラヴィスは、何をいまさらと言う感じで私を見た。
「ぐっ・・・。そりゃ、そう言いましたけどね・・・。でも殿下は少しやり過ぎなんですよ。いくらエメラインの目を、私の方に向けさせるったって、ちょっと私を構い過ぎなんです!」
そうなのだ。私は少しでもリリーを助けたくて、エメラインの的になってやろうと思ったのだが、トラヴィスの悪乗りが酷過ぎた。
見かける度に手を振って来る。菓子だの何だのと人前で色々渡してくる。挙句の果てに、昼休みに放課後、果ては休みの日まで、暇さえあれば何かと私を執務室に呼びつけるのだ。
「おかげでエメライン王女が殿下を訪ねる度に、私と鉢合わせるわけですよ!そりゃ彼女だって、良い気しませんって!」
最初は子供っぽいアリアナなど、そんなに相手にしないのでは思ったのだけど、エメラインの悋気を舐めていた。彼女はいちいち腹を立て、私を焼き殺しそうなそうな目で見て来る。
「だってえ、用事はちゃんとあるんだしぃ。折角、前世仲間と会えたんだから色々話したいしぃ。それに、あんたって可愛いから構いたくなるし、色々あげたくなっちゃうんだもん」
トラヴィスは頬を膨らませて文句を言った。私は頭を抱える。
「そんな可愛い素振りで『だもん』はやめてください・・・」
(前世でもはもう30前だったんでしょ?その口調は完全にアウトだって。それにマジでトラヴィスのふくれっ面はやめてくれ、イメージが崩壊する・・・)
本当に頭が痛くなってきた・・・。
すると、トラヴィスが突然歩みを止めた。
「どうしたんですか?」
「来たようだよ」
急に口調を変えて真面目な顔になる。彼が指さす方に視線を移すと、林の向こうでチラチラと動く灯りが見えた。「アリアナー!」と私を呼ぶ兄の声も聞こえる。
「場所探知の魔法具を持っているのだろう?エメラインのシールドを壊したから、君の居場所が分かったんだね」
すっかり『皇太子トラヴィス』の口調で私に笑いかけた。
(・・・うっ、カッコよ・・・)
目がチカチカする。中身があれだと分かっていても見惚れてしまうった
それに、この人のこの変わり身の早さには毎回驚かされる。私と二人の時は、すっかり『アラサーOLのトラヴィスねーさん』なのに、ひとたびスイッチが入るとイケメン完璧皇子に戻るのだ。
(いったい、頭の中どうなってんだか・・・。私には出来ない芸当だよ)
感心と呆れが入り混じった気分で、なんだかドッと疲れてしまった。クラークの声を聞いて安心したせいかもしれない。
前方の灯りの方に目を戻すと、兄とディーン、そしてクリフとグローシアが走ってくるのが見えた。
「アリアナ!無事か!?」
「アリアナ様!」
クラークは持っていたカンテラを投げ出す様にして、私に走り寄った。他の皆もホッとした表情を緩ませる。
「大丈夫ですよ、お兄様。トラヴィス殿下に助けて頂きました」
「殿下、ありがとうございます!場所探知の魔法具も使えず、往生しておりました」
クラークは神妙な顔で、トラヴィスに向かって頭を下げた。
「礼には及ばない。アリアナ嬢には、いつも良く働いて貰ってるからね」
クラークは再度トラヴィスに頭を下げた後、心配そうな目を私に向けた。
「いったい何があったんだ・・・?授業の途中で居なくなるなんて。リリーやミリア達も心配して、さっきまで一緒に探してくれてたんだよ?」
「そうだったのですか!こんな遅い時間まで?」
「ああ、暗くなってきたから、女の子達はさっき無理やり寮に帰らせたんだ。アリアナが見つかった事を教えて安心させてあげないとね」
(そうか、迷惑かけちゃったなぁ・・・)
諸悪の根源ははエメラインなのだけど。
「心配かけてすみません。でも詳しい話は後で良いですか?トラヴィス殿下も早く戻られた方が良いでしょうし」
私も寮に帰りたかった。半日、薄暗い部屋に閉じ込められて、寒かったし何だか疲れた。体も重い。
そしてあれ?っと思った。
(女の子達は帰らせた・・・?)
私は思わずグローシアを見てしまった。グローシアは私の視線の意味を察したのか、
「わたくしは、どうしてもアリアナ様を探したかったのです。アリアナ様の騎士ですから!」
そう言って騎士の礼をする。
するとクラークが、少し照れくさそうに頭に手をやった。
「いや・・・グローシア嬢は、僕がそばに居れば大丈夫だと思ったから・・・」
グローシアもその言葉を聞いて、恥ずかしそうに俯いた。
(ふ~ん)
なんだか最近、この二人は良い感じなのだ。
(ダンスパーティの時ぐらいからかな?もう、さっさとくっついちゃえば良いのに。グローシアとなら家格も合うしさ)
何よりこの二人は「アリアナを守る!」という点において、価値観がぴったり合うらしい。幾分、私にとっては有難くもあり、暑苦しくもあるのだが・・・・。
思わずふうっと溜息をつくと、ディーンがこっちへ近づいてきた。
「アリアナ・・・」
「・・・はい?」
「ちょっと失礼する」
ディーンはそう言って、突然私の額に手を当てた。