消せない(クリフ目線)
「毎年ダンスパーティでパートナーを取り合うのは珍しい事じゃ無いがね。殴り合いまでするのは久しぶりに聞いたよ」
「別にパートナーを取り合いしたわけでは無いです・・・」
ディーンは憮然とした表情を浮かべた。彼の目の周りは綺麗に青あざができている。普段、真面目でお固い奴の無残な顔に、俺は思わず吹き出したが、途端に後悔する。
(痛っ!)
口の中が切れているのだ。
「笑うな、クリフ!これはお前がやったのだろう」
ディーンはそう言うと、彼も痛そうに顔をしかめた。
「お前だってやり返したじゃないか」
俺は医務室の鏡に目を向けた。頬が腫れあがって、口元から血が出ている。
学園医師であるファジソン医師は、俺たちのやり取りを聞いて肩をすくめた。
「まぁね、どういう理由でこうなったかは知らんが、手当が終わったらしっかり先生に叱られておいで」
俺達は顔に脱脂綿を張り付け、消毒の匂いを振りまきながら、とぼとぼと先生の元へ向かった。
1年の学年主任だったワイバートン先生は、厳しい顔で俺達を迎えた。毎年恒例の大事なダンスパーティでの暴力沙汰だ、機嫌が悪くなるのも無理はない。
「さて、理由を聞こうか」
腕を組んで、俺達の顔を交互に見た。俺は先に口を開いた。
「むしゃくしゃしていたので俺が先に殴りました。・・・ディーンは悪くありません」
「私もイライラしていたので、直ぐに殴り返しました。クリフだけが悪い訳ではありません」
俺達二人の意見を聞いて、ワイバートン先生は眉間にしわを作り、溜息をついた。
「クリフ君。ディーン君を殴った理由は?」
「別に・・・顔を見て腹が立っただけです」
本当の理由など言えるわけが無い。
「私が彼を腹立たせる事を言いました」
きっぱりとディーンがそう言う。俺は心の中で舌打ちした。
(余計な事を・・・)
「何と言ったのだね?」
「それは言えません。プライベートな事です」
ディーンは表情一つ変えないで、冷静に言う。目の周りが青くなった顔じゃ、少々間抜けな感じは否めないが・・・。
ワイバートン先生が探る様に目を細めた。
「噂ではリリー・ハートさんを取り合って、喧嘩したって聞いたが・・・」
「それは違います!」
俺達二人の声が重なった。
「リリー嬢は関係ありません」
ディーンが続けた。そうだ、リリー嬢は関係ない。
(ディーンがリリー嬢と踊った事は、関係しているけどな・・・)
俺はダンスパーティでの出来事を思い返した。
◇◇◇
「外に出よう。今なら誰も見ていない」
俺はアリアナ嬢の顔を隠す様に、手のひらをかざした。泣いてる顔が誰にも見られない様に。そして彼女がそれ以上、ディーンとリリー嬢を見ない様に。
アリアナ嬢が泣くのを見るのは初めてだった。彼女は強い。見た目は小柄で、触れると折れてしまいそうな風情だが、中身はそんなにやわじゃない。俺は彼女のどんな表情も好きだったが、ディーンの為に泣くのを見るのはキツかった。俺は彼女を外に連れ出しながら、気分は沈み込んでいた。
(やっぱりディーンの事が・・・)
この一年、彼女の気を引きたくて、色々とアプローチをしてきたつもりだ。けれど、そんな俺の気持ちを知りつつ躱しているのか、それとも恐ろしく鈍いのか、彼女は友人のスタンスを崩す事は無かった。
(ディーンに対しても、そうだと思っていたんだけどな・・・)
初めて会った時、彼女は自分はディーンには好かれていないと言っていた。だから結婚せずに、将来は自分で身を立てたいのだと。その言葉通り、彼女は学業では誰にも負けなかった。
ディーンの方も、リリー嬢に心を奪われていると言う噂があったから、俺は自分にも十分チャンスはあると思った。婚約者がいながら他の女にフラフラする様な奴に、負ける訳が無いとも思っていた。
けれど知り合ってみると、ディーンは思ったよりも良い奴で、それに凄い奴だった。本気で勉強したのに、学年末の試験では完敗だった。誰かに負けて悔しいと思ったのは、生まれて初めてだったかもしれない。それにどう見ても、あいつが好きなのは・・・
(馬鹿な奴だ。せっかく婚約までしてるのに)
何があったのかは知らないが、ディーンはアリアナ嬢に対し、どこか遠慮しているように見えた。そのくせ嫉妬だけは隠しきれてないのだ。
そしてアリアナ嬢自身は、ディーンの事を大事な友人としか見てないと思っていた。だから・・・あの涙は、正直俺にはこたえた・・・。
「ディーンとリリーを見るのが辛かった?」
そう聞く俺に、
「い、いえ!違います。そんな筈は無いのです」
彼女はそう答えたけれど、握った手は震えていた。それに小さい肩も・・・。抱きしめたい思いに駆られたが、辛うじて押しとどめた。彼女はそんな事、望んで無いと思ったから。
俺が彼女の為に唯一出来たのは、
「聞いて・・・俺は何があっても君の味方だから。君がこれからどんな選択をしても、俺はそれを尊重するし、そばに居て君を守るよ。・・・友達だからね、俺達は」
ただそう伝える事だけだった。
その後、重い気持ちのまま一人ダンス会場に戻ると、運悪くディーンを見つけてしまった。何があったのかは知らないが、あいつも不機嫌そうな顔をしている。
(ちっ・・・)
その時は正直、ディーンの顔など見たくはなかった。だから少し離れた椅子を探した。
(諦めた方が良いのか・・・)
その方が彼女の為なのだろうか・・・。だけどまだ答えを出したく無い。そう思った。
俺は椅子の背にもたれて、目を瞑った。少し心を落ち着かせたかったのだ。
だがしばらくすると、ダンスフロア―でどよめき起こった。
(うるさい・・・なんだよ?)
俺は薄目を開けた。そして目に飛び込んできた光景に瞠目して、身体を起こした。
アリアナ嬢がトラヴィス殿下とダンスを踊っていたからだ。
(どうして、トラヴィス殿下が!?)
驚いたが、アリアナ嬢の笑みが引きつってるのを見て、吹き出しそうになる。
(くっく・・・、嫌がってるの隠せてないぞ?)
笑い出すのをこらえていると、ガタンッという椅子の倒れる音が聞こえた。そちらに目をやるとディーンが目を見開いて立ち上がっていた。踊っている二人を、奥歯を噛みしめる様な顔をして睨んでいる。
(・・・おいおい。こっちは、だだ洩れかよ・・・)
思わず俺はディーンに近寄り、声をかけた。
「なんて顔してんだよ?」
ディーンは返事をせず、ふいっと顔を逸らせた。
(ああ、そうか。そう言う態度か)
さっきまでの、むしゃくしゃした気持ちがぶり返してきた。
「自分勝手な奴だな」
俺はディーンを責め立てた。
「ディーンだって、リリー嬢と踊っただろう?お互い様じゃないか」
(俺にはあんな風に、彼女の気持ちをかき乱す事なんて出来ない。アリアナ嬢は俺の為に、泣いたりなんかしない・・・)
だがディーンは俺が言った事を、馬鹿にするようにフッと笑った。
「アリアナは俺が誰と踊ろうと、気になんてしないさ」
ディーンは顔を背けたまま、自嘲する様に言った。
「どうせ笑って『お似合いだ』などと言うに決まってる」
気が付いたら俺は、ディーンの胸ぐらを掴んで、殴り飛ばしていた。
◇◇◇
先生にこってり絞られた後の帰り道、ディーンが俺に向かって頭を下げた。
「殴って済まなかった・・・」
俺は面食らった。
「何言ってんだ?先に殴ったのは俺だろう?」
「ああ。だけど私はあの時、冷静では無かった・・・。普段なら、クリフが何故そんな事をしたのか、まず確かめたと思う」
それに冷静だったら簡単に殴られる様な事は無かった、と付け加えた。どこまでもムカつく奴だ。
「俺は謝らないぞ。・・・悪かったとは思うけど」
「なんだ、それは?」
ディーンは苦笑して、
「いいさ、別に。・・・多分、私が悪いんだろう」
こいつのこういう所も気に食わない。
(なんで俺に、敵わないと思わせるんだ・・・)
寮へと戻る道に人気は少ない。まだダンスパーティは続いているのだろう、外にいるのは二人きりになりたいカップルばかりだ。
「・・・腹いせだったんだ・・・」
「え?」
ディーンの言葉が良く聞こえなくて、俺は聞き返した。
「リリー嬢と踊ったのは、アリアナに対する腹いせだったんだ。・・・馬鹿な事をしたな。おかげでリリー嬢には怒られるし。クリフには殴られるし、散々だ・・・」
(はぁ?)
「お前なぁ・・・」
俺が二の句が継げない居ると、ディーンは彼らしからぬ拗ねた顔を見せた。
「アリアナは、私には『さっさと』踊ってしまおうと言った上に、リリー嬢と踊れって言ったんだ。彼女曰く『絵の様に素晴らしいと思うから』だとさ」
その時の気持ちを思い出したのか、吐き捨てる様に言って、眉間にしわを寄せた。そして、俺の方をジロリと見て、
「おまけに自分はクリフと楽しそうに踊って、周りから称賛されているんだ。どういう事だ?って思って腹が立った・・・」
(あ~・・・なるほどね・・・)
何となくディーンの気持ちが分かって、俺は頭をかいた。
(そう言う事か・・・)
「振り回されてるな」
何気なしにそう言うと、
「クリフもだろ?」
即座にディーンにそう返された。真っすぐに俺の目を見て・・・。
(そうか・・・気付いてたか。そりゃ、そうだな。気づいて無いのは、多分本人だけだ)
だから素直に答えた。
「ああ、そうだな」
ディーンは溜息をついた。
「しかも私の方が分が悪い」
「何を言ってるんだ?婚約者が」
「名ばかりだからね・・・」
俺はそれには何も答えなかった。代わりに、
「お前とリリー嬢が踊っていた時、『お似合いだ』って彼女言ってたぜ」
そう言うと、ディーンは立ち止まって顔をしかめた。
「・・・そうか・・・やっぱり・・・」
「だけど、笑ってなかったぞ」
「えっ?」
俺はディーンを置いて、スタスタと歩き始めた。
「お、おいクリフ!」
ディーンはその先を尋ねたそうに追いついて来たが、俺は黙ったまま歩き続けた。
アリアナ嬢が泣いていた事は、絶対に言わない。言わないと彼女と約束したし、しゃくに触るから。
(分が悪いのは俺の方だ。・・・だけど・・・まだ消せない・・・)
俺は歩くのをやめて、ディーンを振り向いた。
「なぁ、2年生になったら勝負しないか?」
「え?」
「成績だよ。実技も加わるから、アリアナ嬢は首席にはなれないだろ?」
ニヤリと笑ってやると、ディーンも不敵な笑みを浮かべた。
「負けるつもりはないよ」
「こっちのセリフだ」
俺が拳を出すと、ディーンも腕をあげた。そして互いに軽く、拳同士を打ちつけた。